「一緒だと? ……そうか、オレの記録も見たのか。だったら分かるだろ、オレたちの憎しみと怒りと絶望が。そしてお前たちの『罪』が。人類に滅ぼされた身として、オレたちはお前たち人類を滅ぼす権利がある」
グツグツと燃え滾る怒りと憎悪の視線がソフィアの視界を貫く。
笑みすら浮かべず冷酷の裏にある熱情。それでもソフィアはアイリスから目を逸らさなかった。
「……えぇ、そうかもしれないわね。起きてすぐ帝国兵を殺したのもその一環でしょうし、今にも私を殺したくて仕方ないんでしょう?」
「あぁ、子孫だろうが関係ない。オレはあの時生まれた感情に誓ったんだ。必ずレストアーデたち人類を滅ぼすってな。——だから、お前に対して何もできないこの状況が腹立たしくてしょうがない……!」
「なら、取引しましょう」
胸倉を掴むアイリスの手をソフィアは再び掴む。
しかし今度は優しく、包み込むように。決して崩れることのなかったその黒い手を離さない。
「取引……だと?」
「えぇ。私の記憶を読んだのなら、私がどういう想いで動いているかも分かったはずよ。帝国に復讐して王国を取り戻したい私と、私を筆頭に人類に復讐したいアナタ。その道筋は一緒だと思わない?」
それは悪魔——いや、魔王との悪辣な取引だ。ソフィアは今、人類を滅ぼせる存在にその許可証を与えようとしているのだ。
それが実現してしまった時、ソフィアは全人類に憎まれるだろう。地獄に堕ちること間違いない。
「私は絶対に王国を取り戻すの。どんな手を使ってもね——」
自分の無力さを知った。無謀な企みということも知った。
それでも、この身を焼き焦がさんとする熱情だけは決して消えようとはしない。
彼女は今こそ、壮大な
——それが今、手の届く場所にある。
「あぁでも、王国の人たちとか私に優しくしてくれた人が死ぬことだけはやっぱり嫌だから、私の復讐が終わったら
「……なんでオレがそれに付き合わないといけない。復讐をやりたきゃ自分でやれよ。オレはオレのやり方で——」
「たった一人、それも全盛期の力をほとんど使えず、今私がここにいなかったら地に臥せっているだけの存在がどうやって?」
「それは……」
「私がいれば、少なくともそれらは解消出来るんでしょう? 悪い話じゃないと思うけど」
アイリスの力が緩んだところでソフィアは体を起こし、アイリスの蒼い瞳に視線を合わせる。
その眼差しに弱さは感じない。
「アナタは本当に全人類を憎んでいるの? 本当に憎いのはアナタを真の意味で裏切ったこの『レストアーデ』の血なんじゃないの?」
「そんなことはない!! オレはオレ達、
「そうでしょうね。でも、人間の私が教えてあげる。感情に限界はないけど、見境ない感情の放出は身を滅ぼすだけ。感情で何かを成そうとするなら、正しく制御して明確な目標を定めることが必要なのよ」
「感情を制御……だと?」
「えぇ。私の場合だと、帝国に復讐して王国を取り戻したいのはこの感情は本物。でも、だからって帝国民全員を殺そうだなんて考えてないわ。私の復讐の矛先は、王国を滅ぼす原因となった帝国兵とその先にいる者たちだけ。——彼らを討つ為だけに私は今ここにいるの」
碧い双眸に宿る燃え滾る熱情はアイリスと何ら変わりない。けれど、それを意志の強さで彼女は自分の復讐心を支配している。
乱暴に、生まれたばかりの感情のままに力を撒き散らす
感情を持つだけではない。それを自在に動かす意志があるかどうかが人間と
「……復讐の矛先。オレの場合はお前がそれだと?」
「私にはそう見えたわ。アナタの復讐心が全人類に向いていないとは言わないけど、その比重は『
「お前はそれでいいのか?」
「えぇ。まぁ、偉そうなこと言って交渉なんてしてみたけど私が言いたいことは一つだけ——」
言葉を切り、瞳を閉じて恭しく頭を下げる。
「無力な私に力を貸してください。——お願いします」
「お前……」
それはアイリスにとって初めての感情。生まれた時から人に尽くすことが当たり前とされ、人から与えられる言葉は全てが命令形。
人から『お願い』なんてされたことはなかった。
ましてや、自分の生みの親の子孫にそんなことを言われるなんて——
「……まさか人間がオレに頭を下げるなんてな。確かに、お前とパスが繋がっちまっている以上お前がいないと十全に力を発揮できないのは事実だ。その点とお前の誠意に免じて、お前の復讐を手伝ってやらんこともない。人を減らすのはオレにとっても利益があるからな」
「ほんと……!?」
「だが、王国民を残して欲しいって願いは別だ。今のオレじゃ、機能的にお前を殺すことが出来ないからな」
「そんなッ……!」
「『王国民の命の引き換えにお前を殺す』。先にその条件を提示したのはお前だが、文明が失われたこの世界でマスターたるお前を殺す方法が見つかる可能性はゼロだ。【アイギス】を突破する手段がないのなら、お前の言う取引は成立し——」
伽藍堂の胸に手を当て、対比のようにソフィアの胸を見るとアイリスの言葉が止まる。
「……どうしたの?」
「お前、そのネックレスはなんだ?」
伸びた襟元から覗く太陽をイメージしたようなネックレス。円形の中にその太陽が収められた様なその意匠は、猛々しく燃える炎のごとく力強い熱を感じさせた。
「これはレストアーデ王国の紋章よ。魔王を討った時、それぞれの国が魔王から奪った身体の一部を
そこで、ソフィアは全てを察する。
無くなった左腕と両脚。穴の空いた胴体。そこにはメインコアと呼ばれる人間で言う『心臓』があった。
つまり、だ。
「これはオレの
メインコアが戻れば【アイギス】を突破出来るだけではなく、四肢が完全に戻るなら全人類を滅ぼすことが出来るだろう。
凄惨にアイリスの口角が鋭く吊り上がる。
「奇跡というか、象徴が無かったら人を纏められない人類を間抜けに思うか。なんにせよ、メインコアがあるなら前提条件はクリアだ。ひとまずマスターの条件は飲んでやるよ。先払いの約束だ。メインコアが戻ってきたらマスターを殺して王国民の命は救ってやる。他の奴らを殺すかどうかは、マスターの言うようにその後だ」
「……いいの?」
「あぁ。まだこのオレにもマスターの希望を叶えようとする機能くらいは残ってるみたいだからな。それに……」
「それに?」
「マスターからの『初めて』のお願いだからな。それくらいは聞いてやろうと思ったのさ」
復讐の心が溶けたわけではない。お願いを聞いたとはいえ、人への憎悪が消えたわけでもない。
それでも『アイリス』は、人に寄り添う為にとかつての人類が作りあげた最高傑作だ。理性が少しでも戻りさえすれば、暴走するだけの
『全』人類を滅ぼすことよりも、最大の復讐相手とアイリスの『意志』が定めたレストアーデの血を途絶えさせる方が感情的にもシステム的にも合理的と判断しただけだ。
「じゃあ、契約成立ってことで良いのね?」
「あぁ、いいぜマスター。
ニヤリと悪辣な笑みをアイリスは浮かべる。
「いや、むしろ恨まれる立場かなお前は」
「毒を喰らわば皿までよ。私はアナタに夢を見ることにするわ」
握手を交わすようにソフィアはアイリスの手を取った。
温かい人間の手と冷たい機械の手。
五三十年以上の時を超え、今再び人間と機人が手を取り合った。
お互いの復讐を果たすために——
「ソフィーリア・ヴァン・レストアーデよ。王国を取り戻すまでよろしくね」
「オーケー、マイマスター。メインコアを取り戻す前に死んだらその時点で全人類を殺すからな。せいぜい頑張れ。——オレが殺すまで死ぬんじゃないぞ」