ソフィアが声色を固くしてルージュに質問する。それに対し、ルージュは頭をかき思い出したくもないといった苦い表情で答えていく。
「——あれは、今からざっと十日くらい前かね。結論から言うと、二十五体の大型機獣がこのカルメリアを襲ったのさ」
「大型機獣が二十五体……!?」
その思いがけない数字と事態の重さに、ソフィアの腰が浮く。普段は冷静なクルルも驚愕に目を見開き、ハーベは悲鳴が出そうになった口元を抑えた。
いち早く事態を飲み込んだクルルがルージュに尋ねる。
「どうしてそのようなことに……? 『機獣避けの結界』は機能していなかったのですか?」
「していた……と思うんだけどね、なにぶんいきなり街中に現れたからね……。そのせいもあって、みんな大混乱さ」
「いきなり……」
有り得べからざるその状況に、ソフィアは小さく言葉を溢すことしか出来ない。
全大陸を探しても十人もいないと言われている超凄腕の結界術師。全都市部にはかれらによって機獣の侵入を防ぐ為の防衛結界が張られており、そのおかげで人々は安心して生活できるのだ。
その前提条件が崩れてしまえば、それこそ明日を生きようなんて思えなくなるだろう。
ルージュにとっては今でも鮮明に思い出せる、破壊の音とつんざく悲鳴。そしてそれらが消えた時の絶望の静寂。
滔々と語られる状況説明に、ソフィアたちは固まることしかできなかった。
「そもそも、機獣なんてそうそう街に近づくものでもないのにどうして……」
「さぁね…原因なんてあたいには分からんよ。——で、話を進めるけど、この騒動に対処するためにステラ騎士団とリューエル様が出たんだが……」
「もしかしてっ……!」
ソフィアの沈痛した声が四人の耳朶を打つ。
「お嬢ちゃんの想像通りさね……。一体ですら何人もの騎士が命を失いかねないのが大型機獣だ。ソレが二十五体。騎士たちは次々に死んでいったよ……」
「そんな……」
「リュ、リューエル……! 様は……!?」
血相を変え、思わず『様付け』を言い淀んでしまったソフィアに違和感を覚えることなくルージュは首を横に振る。
「——ッ!」
「あともう少しで状況が変わろうとした時にね、一際凶暴な機獣が現れてリューエル様はソイツに殺されたのさ……。そのせいで、騎士団も混乱して事態は最悪の方向へと転がったんだよ……」
「あ……」
「『セレネ』……!?」
ショックからか力が抜けたソフィアの体をハーベが立って支える。死ぬ寸前まで陥り、やっとの思いで辿り着いたのに肝心の当てが既にいないとなれば力も抜けるものだろう。
隣に行って宥めるハーべと混乱したソフィアに代わってクルルが続きを促した。
「……事情は分かりました。それほどの状況に追い込まれてしまえば、いかにカルメリアであろうと混乱は必至でしょうな。しかし、だからこそ解せません。——なぜこの状況で騎士たちは
「簡単さ。今のカルメリアは事実上、帝国に乗っ取られた形だからさ」
どうすることも出来ない歯痒さを感じて、ルージュは悔し気に顔を歪ませる。
「……帝国に乗っ取られたなんて今更の話だと思うだろうけどね、ステラ領民にとってここはまだ『王国領』なのさ。表立っては言えないけど、リューエル様のおかげであたいらはレストアーデ王国民としての矜持を捨てることなく生きていけていたのさ。ソレなのに……!」
今にも手のひらから血が出そうなほど、力強く拳が握られる。そこには門の前にいた騎士たち同様の怒りが込められていた。
「騎士団の崩壊でカルメリアが崩壊しそうになった時、ヴェルクーザ領からやってきていたサルード伯爵の使節団が力を貸してくれてね……。あれだけ梃子摺っていた機獣は帝国兵たちのおかげで退治に成功。逃げ出した機獣もいたけど、カルメリアは一時的にも平穏を取り戻したんだ」
「けど、そうはならなかった……」
ショックを受け止め、動くようになった思考をソフィアは巡らせる。時間はかからず、その結論へと至った。
「あぁ。逃げ出した機獣や原因究明のためにサルード伯爵らはここに残ってね。領主を失って弱体化したのを良いことに、やりたい放題してるのさ。『守ってやってるんだから、お前らは我らに従え——』ってな。それに残った騎士や領民が刃向かって、荒れたカルメリアが出来ちまった」
「ですがルージュさんの口ぶりからすると、リューエル様が亡くなったとてステラ家が消滅したわけではないのですよね? ご夫人のクリスティナ様ならならその暴走を止められるのでは?」
「そ、そうですよ……!? ステラ家は侯爵です……! いかに伯爵であろうと他領で内政干渉するなんておかしいですよね……!?」
機獣で荒らされ、帝国の介入によってカルメリアは分断されている。
意志を纏める必要があるのに、ソレが出来ていないということは——
「クリスティナ様は心の底からリューエル様を愛していてね……。あの戦いでリューエル様を失ったことで倒られて目が覚めていないんだよ」
「じゃ、じゃあ今のステラ家を支えているのは……」
「……アステリア、様」
ステラ家にいる一人娘。長女たる彼女の名前を出されると、
どこか嬉しそうにしながらも、悲しそうにルージュが口を開く。
「……アステリア様はよくやってくれているよ。混乱に陥った自分の家をまとめて、伯爵らとも交渉をやって……。でも、アステリア様はまだ16なんだ。現場の経験値がどうしても足りない。それにサルード伯爵が付け込んで実権を握っちまった」
「だから好き放題している……と」
「で、ですがアステリア様は領民にお優しい方だと聞いています! いくら実権を握られていたとしても、自分の領地が荒らされているのを放っているんですか……!?」
そこで、ルージュは歯が欠けそうなほど悔しさを堪える。
彼女もまた、大人として何も出来ない自分を情けなく思っていた。
「力関係が逆転しちまってるのもあるけど、アステリア様は復讐に囚われてるのさ。自分の親を殺してすぐ逃げ出して、今もカルメリアを脅かそうとしてる
弱体化したステラ騎士団だけでは街を守れない。何より、その機獣も倒せない。
それが最終的にステラ領全体を守ることになると信じて——。
「アステリア……」
ソフィアの嘆きの小さな呟きは、アイリスだけに届く。
温かった料理は全て冷め切ってしまっていた。