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2-7 「発達しすぎた科学は魔法と見分けがつかない」

 顔のすぐ横にはこの世のものとは思えないほどの美形。先ほどとは違った意味でソフィアの顔は赤くなった。


「ア、アイリス!?」

「アイリス様……やっぱり……!?」

「違ぇよ。マスター、自分の髪の毛とオレの髪の毛を一本ずつ抜いてオレに渡してくれ」

「か、髪の毛?」

「そ」


 耳元での囁き。 

 アイリスが何をするか分からないが、気付けばソフィアは言われるがまま髪の毛を渡していた。


『——最高権限者ソフィーリア・ヴァン・レストアーデの遺伝子情報を確認。フェーズ2、電子信号パターンを解析……抽出成功。合成開始』


 アイリスの手が光を放つ。その中では機械の髪の毛とソフィアの髪の毛が絡み合い——

 ゆっくりと開いた手のひらにシンプルな指輪が一つ出来上がった。


「ほれ、マスター。これを親指に付けろ」

「ゆ、指輪を……!?」

「オレが付けてやろうか?」

「だ、大丈夫! 自分でやるからっ!!」


 生み出された指輪をひったくる様に取り、ソフィアは右の親指に嵌める。

 それを見てアイリスが一つ指を鳴らすと、目を丸くさせているハーベを見つめた。


「さぁ、どうだ色ボケ従者。マスターを正しく認識できるか?」

「認知ってそりゃ当たり前で——え……」

「ハーベ?」

「そこにいるのって、本当にソフィア様ですよね?」

「……当たり前じゃない。もしかして分からないの?」

「は、はい……。正確には、まるっきり別人に見えるというか……。今のわたしにはソフィア様が黒髪の赤い瞳に見えるんです……!」

「えっ…!?」

「それに、ちょっと意識を逸らそうとしたらソフィア様の顔自体も分からなくなって……。こんなのまるで……」


 ——認識阻害。自分が使う魔法だからこそ、その効果がよく分かる。そして、こんな間近にいて、自分の大切な人を認識させないその強力すぎる効果を、詠唱もなく物体を介して行うその難易度の高さも。

 流石『魔王』の力量とでも言うべきか。一瞬でソレを成し遂げたアイリスにハーベは改めて畏れを抱いた。


「これなら下手な変装しなくてもバレないだろ。ついでに、偽名で呼べばマスターはもう完全に別人だ」

「どうやったの……?」

「理解できるとは思わねぇが……まぁいいか。人がよく言う『気配』ってのは、全身に帯びている電気信号——準静電界っていうもんがあるからだ。だからオレはマスターの電気信号パターンを解析して、その準静電界を誤認させる装置を作ったのさ。ソレがその指輪な」

「これが……」

「人がモノを正しく認識できるのは、その物体の情報を目や耳で捉えているからな。だから、電気信号パターンと人の目には見えない光を乱してマスターをにしたのさ」


 そう言って、アイリスがパチンと指を鳴らすごとにソフィアの髪色が黒→赤→青→白→黒へと変化していく。

 それを認識できたのはハーベだけで、一瞬で切り替わるソフィアの髪に目を丸くさせていた。


「あとは人の耳には絶対に聞こえない音も流して、マスターが発している情報を更に誤認。受け取る情報を攪乱してやれば、色ボケ従者の言う認識阻害の完成だ」


 アイリスの言っていることは、ソフィアたちにはほとんど理解できない。けれど、さりげないアイリスの行動が本能でソレを理解させた。

 『機械』というモノの底知れない便利さを——


「機械ってこんなに凄いのね……」

「発達しすぎた科学は魔法と見分けがつかないってのは、オレが生まれる時代より前の言葉だ。500年以上経って、ようやくソレが証明されるとは思わなかっただろうな」


 ソフィアは手を掲げて、まじまじと指輪を見る。一見ただのアクセサリーにしか見えないこの指輪がそんな効果を生み出しているとは誰も思わないだろう。

 十年ぶりに街中を歩ける。

 その高揚感で思わず笑みが溢れた。

 ——と、そこでハーベが気付く。

 目の前の嬉しそうなソフィアに告げるのも躊躇うようなその事実に。


「ソ、ソフィア様……。今すぐその指輪を外した方がいいのでは……?」

「? どうして?」

「だ、だって……シエンシア協定が……」

「あ——」


 シエンシア協定。そこにある禁忌の一文。

 【機械の創造を禁ずる】

 そのことを認識した途端、ソフィアの身体が小刻みに震え出した。


「おい、マスター……!? どうした……!?」


 抱きしめているからこそ分かったソフィアの異常。

 血の気が引いて顔は真っ青、体温は冷たくなり指先は痺れ始めている。

 ——強大なストレスによるパニック障害の症状。動悸が増し、中枢化学受容器に異常アリ。

 それが、アイリスが得た情報だった。


「急になんでパニックに……? そんなにシエンシア協定とやらを破ることが怖いのか……?」

「そ、そりゃそうですよ……。だって、禁忌なんですよ……!?」


 答えられないソフィアに代わり、ハーベが答える。そのハーベもソフィアほどではないが血の気が引いていた。

 その様子に疑問は尽きないが、人間の感情の細かな機微をまだ理解出来ていないアイリスにとって禁忌とやらを破るその心情は分からない。

 ただ、理屈の面から分かる部分もあった。


「おい、マスター。落ち着け。別にマスターはその禁忌とやらを破っちゃいねぇよ」

「はぁはぁ……! ど、どういう……こと……!?」

「その禁忌は『機械を作ってはならない』だろ? 使用云々は記載されてないはずだ」


 今度は正面から優しく抱きしめ、震える背中をポンポンと叩いて落ち着かせる。


「機械を作ったのはあくまでオレだ。マスターが作った事実はここにねぇ。だから大丈夫だよ」

「あ……」


 アイリスの腕の中で感じるその温かさ。

 最後に誰かに抱きしめられたのは一体いつだったか。懐かしさとそのぬくもりに、強張っていた身体から力が抜けていった。


「ほれ、機械の身体だから暖かいだろ。冷え切った身体には丁度良いはずだ」

「そう……ね。ありがとう、アイリス……」

「おう」


 ソフィアが抱きしめ返すと、その心地良さに震えは止まり落ち着きを取り戻していく。

 アイリスの言葉がハーベにも効いたのだろう。彼女の血の気も戻っていた。

 思いがけない事態だったが、なにはともあれ、ひとまずの問題はこれで全て解決。目立つ二人は堂々と隠れて立ち振る舞える。


「とりあえず、マスターの認識はこれでいいとして。名前は——セレネで良いか。マスターの特徴に合ってるし」

「セ、セレネ美女って……。それを偽名にするのは、ちょっと……いやかなり気恥ずかしいんだけど……」

「そうか? 事実だし別に良いだろ。色ボケ従者も、これからはセレネって呼べよ」

「色ボケ従者言うな! ——まぁでも、そうですねソフィア様。これからはセレネとお呼びさせていただきますね! ソフィア様にピッタリの偽名だと思いますし!」

「もう、貴女まで……。好きにしなさい」

「ってか、なんで今まで偽名を使ってこなかったんだよ。服装もそうだけど、そこら辺が間抜けにもほどあるっつーか。よく今までバレなかったな」

「「うぐっ……!」」


 アイリスの呆れ声に二人して、胸を抑えてうめき声を漏らす。

 偽名が決まり、期せずして新たな門出となることとなったソフィア。

 アイリスの腕の中で小さく笑みを浮かべると、今後の行方を左右する扉がノックされた。


「——お三方、お料理の方が完成したそうですぞ」



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