——それは、ソフィア達が帝国兵から逃げていた同時刻。
ステラ領では惨劇が起きていた。
「ぎゃあああああ!!」
上空から叩きつけられるその純粋な力により、建物は倒壊。巻き込まれた人たちの血飛沫が舞う。
赤色が混ざる土煙が消えると、その中から二足歩行のバケモノが飛び出し、また一人の命を奪っていく。
「なんで……、なんでここに機獣が居るんだよ……! 『機獣避けの陣』はちゃんと機能してたはずだろ……!」
機獣。
それはこのメルトメトラに棲息する人の脅威。
全長は最低二メートル。顎から上へと向かう鋭い二本の牙、ギョロリとした気味の悪い目玉。丸太を思わせる巨腕で身体を前傾姿勢に保ち、折り曲げている太い脚は踏み込んだだけで地面を抉る。一挙手一投足が死の挙動。
それでいて、全身を覆う鈍色の体毛は全て
圧倒的な攻撃力と防御力を兼ね備えた暴力の化身。
それが平和だった街に二十五体も降り立ち、街を破壊していっていた。
「このっ……! お前らの棲家はここじゃないだろうが……!」
二十五の脅威に立ち向かうは、ステラ領にて平和を実現させていた騎士団。
帝国軍服を思わせる黒を基調とした軽鎧の騎士服。タイトな装いに、煌びやかな装飾が散りばめられながらも動きを阻害しない柔軟性。胸には帝国の象徴たる稲妻模様。黒いマントの裏地は光の加減で赤く見えるようになっている。ただ、その粋な意匠も今は赤黒い血で染まっていた。
また一人、騎士の命が散ろうとしている。
「え……」
騎士にのしかかっていた重みが消える。押しのけると機獣は生き絶えており、その硬い上半身は溶けるような形で断ち斬られていた。
その隣に、溶けた剣身が音を立てて落ちる。
使い物にならなくなった直剣を捨てたのは、この土地の領主。
細身の身体に黒と赤が混ざった鎧を身に付け、荘厳な黒マントと赤髪を靡かせながら機獣に対峙していた。
「狼狽えるな!! 分からない原因に思考を割く余裕はない! 今は、被害を食い止めることだけを考えるのだ!」
「リューエル様!? ここにいては危険です! お下がりを!!」
優男という言葉が似合う顔立ち。武器を握るよりも人と手を握り合うことに長けているのがステラの領主だ。
領主としての『武力』はある程度あるが、機獣を倒せたのは不意をつけたからだ。
「アナタ様がここでいなくなってしまえば、それこそステラ領は終わりです! ここは我らに任せて——」
「悪いけど、それは聞けないよ私の大事な臣下。今、民たちは不安と恐怖に押し潰されている。それなのに、私が逃げ出してしまえば彼らは生きる希望を失うかもしれない。この絶望的な状況だからこそ私は背を見せなければならない」
「リューエル様……」
「まぁ頼りない背中だろうがね。——それよりも、早く立ちたまえ。脅威はまだ去っていないぞ」
尻餅をついている騎士に主人自ら手を差し出す。
この手に一体、何百人・何千人の民が救われてきたのか。ステラ領に生きる者として、救われた者の一人として、その恩に報いないわけにはいかない。
「頼りない背中だなんて言わないでください。我らは全員、アナタ様の大きな背中に引っ張られてここまで来たのですから。きっとアステリア様もまだ見ていたいと思っていますよ」
「アステリア……。そうだね、娘の為にもここをちゃんと生き延びないといけないね。ついて来てくれるかい?」
「どこまでも——」
リューエルを先頭に、後続に騎士達が揃う。騎士たちは直剣を抜き、街を破壊する敵を捉えていた。
「リューエル様、民衆の避難が完了しました!」
「よし、良くやった! ならばここが分水嶺だ! 街は壊されても直せるが、後方の農地を荒らされたら生きていけなくなる! 絶対にここを死守せよ!」
「ハッ!!」
身体強化をかけ、騎士たちが機獣へと押し寄せる。一体につき複数人。死と隣り合わせの中でも、誰も怖気づいてはいなかった。
「ここが命の張りどころ……! 私はもうなにも失わせはしない……! 王国に忠誠を誓いながら、帝国に迎合する日々だった……。だが、それでも自分の領地くらいは守ってみせる……!」
両手を前に突き出し、手を重ねて魔法を発動する。
『万象
手の前に炎の球体が現れると、そこから炎の刃が何個も撃ち出される。
炎の刃は舞うように、弧を描きながら機獣たちを溶かし裂いていく。
そこで生まれた傷に騎士たちが剣を差し込みトドメ。趨勢は徐々にリューエル達に傾いていた。
「
「——aアア」
何処からか聞こえてきた音と共に、突如として
「リューエル様!!」
騎士の一人がそれに気付くも、もう遅い。
そして、避難先の一つとなっているステラ領の丘の上。領地を見渡せる屋敷の窓から、赤髪の少女がその光景を見ていた。
——見てしまっていた。
「お父様ぁぁぁぁ!!」
その悲痛の叫びは部屋の中に響き渡り、現場までは悲しくも届かない。
彼女の紅い瞳に、押し潰されて血の塊と化した父親の姿が刻み込まれたのだった。
「……絶対に許さないんだから」
原型を無くした愛する父親の姿。こちらに微笑みかけてくれる柔らかな顔も、頭を撫でてくれる硬い手も、民に立派な背を見せるための屈強な両脚も。もう彼女の記憶の中にしか残らない。
涙を流す少女の瞳に瞋恚の炎が宿る。