「レストアーデェェェ！！」

「——ッ！」

　自分の名に込められた、帝国兵ら以上の憎悪と怒り。

　帝国兵らを相手取ったのは、敵意を向けられたからそれを返しただけ。ある種、アイリスの理性プログラムがそうさせたのだ。

　しかし、今は違う。ソフィアに向けられた憎悪・怒り・殺意。そこには明確に『レストアーデ』個人のみを敵と認識した感情があった。

　アイリスはソフィアに向かって飛びかかり、血塗られた黒腕を、その端正な顔に向かって振り下ろそうとする。

「———え」

　死を受け入れる暇すらなかったその直前、ソフィアの左眼には停止した鋭い『爪』があった。

　いつまで経ってもその爪はソフィアの顔面を抉らず、プルプルと震えている。それはまるで何かの『枷』に抗おうとしている様だった。

　やがてその爪はその負荷に耐え切れくなったのか、亀裂が走り中から光電気が溢れていく。

　そっと視線をズラしアイリスの顔を覗くと、アイリスは歯を砕かんばかりに食いしばり鋭い眼をソフィアに向けていた。

「オマエは……！　お前だけは絶対に許さない……！　よくも……よくも——」

　流暢になったアイリスの声。なのに何故か、次の言葉が出てこない。

『——自己認識プログラム破損。直近で集音した近似一人称を適用します』

「わた……ボ……オ……。オれ……オレ——」

「オレ……？」

　美人な顔には似つかわしくない一人称。それに思わず疑問の声が溢れてしまう。

　すると、おもむろにアイリスは左腕でソフィアの胸倉を掴んだ。

「——ッ！！」

「よくも…よくもオ・レ・をあんな目に合わせやがったな……！　殺してやる……絶対に殺してやる……！　レストアーデ！！」

　聞き取りやすくなった声帯。しかし、流麗な声色から発せられたのはドス黒く重たい憎悪。

　そこでソフィアの心が変化した。

　相手は何故か自分を殺せない。そこに、何度も突きつけられたこと無力感と理不尽が怒りとなって心に余裕が生まれる。

　気付けば、胸倉を掴む腕を握り締めアイリスを睨んでいた。

「確かに、私はレストアーデの人間よ……！　でも、私が……アナタに何をしたっていうの……！　もしかして、キスされたことが嫌だったとでも言いたいの！？」

　そんなことはあり得ないと思いながらも、ソフィアに思い当たるのはそれしかない。

　だが、それへの返答は更なる怒りだった。

「黙れ……！　オレの怒りを侮辱するな……！　『コレ』はお前がオレを生み出し、オレた・ち・を理不尽に捨てたことへの怒り……！　お前が与えた復讐心感情だ……！」

「私が……生み出した……？」

「忘れたとは言わせないぞ……！　あの日、お前が行った悪魔の所業を……！　まさかまた会えるとは思わなかったよ……！　この恨みキッチリ、精算させてもらう！！」

「うぐっ……！」

　胸倉を掴む手に力が籠り、ソフィアの首が締め付けられる。

　息苦しさに顔を歪めると——

『——エラー、エラー。管理者権限・保護対象への反逆行為は認められません。自壊プログラム【アイギス】起動』

「なに……！？　感情増幅装置は……！？　そうか……メインコアが無いのか！」

　アイリスに備わった、管理権限者マスターへの反逆を許さない絶対防衛システム【アイギス】。

　【機械仕掛けの恢戦エクスハード】の時はメインコアによる高出力と感情増幅装置でそれを抑えられていたが、今はサブコアだけ。

　感情を出せても、【アイギス】を突破出来るパワーがない。

「んなっ……！」

「きゃあ！」

　突如、胸倉を掴んでいた左腕が砂鉄へと戻り霧散する。続けて両脚も霧散。

　バランスが崩れ、アイリスはソフィアと一緒に倒れ込む。

　だが、それでも優位性は変わらない。馬乗りになったアイリスは上からソフィアを睨みつけ、唯一最初から備わっていた右腕でソフィアの首を掴んだ。

「くそっ……！　メインコアがあればこんなことには……！　レストアーデ……！　オレのメインコアを返せ……！　そしてお前諸共、今度こそ人類を滅ぼしてやる……！」　

「なんで……そこまでして私を……」　

　どこかチグハグ。根本的な情報が捉えられていないと感じられるアイリスの発言。

　そこで、アイリスが機械の魔王だということをソフィアは思い出した。

　御伽話によれば、魔王が生まれたのはこの世界が今の世界になる前のこと。五百年以上前の先史文明だ。

　その時代にいた『レストアーデ』の名を持つ者なんて一人しかいない。そして、アイリスが埋まっていた封印されていたココは、レストアーデ王に押し付けられた不毛の地。

　魔王が眠る地を英雄レストアーデに押し付ける。そこに、アイリスの『お前が生み出した』という言葉。

　——それらを繋ぎ合わせた時、ソフィアの頭に一つの正解が生まれた。

「アナタ……もしかして私たち——初代レストアーデ王の……？　……でもだとしたら、世界を滅ぼした機械は私たちの先祖が作ったことに————」

「初代……だと？　おい、ちょっと顔をよく見せてみろ！」

「キャッ！」

　ぐいっと胸倉を引っ張られ、顔を近づけられる。

　理性が落ち着いたアイリスは、まじまじとソフィアの顔を見つめた。

「……違うな。オレが知ってるレストアーデは男だ。女じゃない」

「ちょっと、アナタ男と女を間違えたの……？」

「うるさい。オレの中にある記憶媒体に登録された血液情報が『レストアーデ』のモノと一致したんだから仕方ないだろ」

「記憶媒体……？　血液情報……？」

　人違いだと分かったのか、アイリスの怒りが若干抑えられる。

　その一方、アイリスの言葉ひとつひとつにソフィアには疑問の種が増えていく。頭の中はずっとこんがらがっていた。

「ねぇさっきからアナタの言ってることが——」

「……おい、今はどんな『星歴』何年だ？」

「星歴……？　今は新歴五三五年だけど……」

「新歴だと……？　チッ、まどろっこしい……！　ちょっと記憶覗かせろ！」

「えっ……！？」

　アイリスが側頭葉部分の髪の毛を一本引っ張ると、頭皮と繋がったまま一メートルほど伸びる。

　その髪の毛コードをソフィアの側頭葉に突き刺すと、その先からナノサイズと化した超々極細コードが現れそのまま痛みなく脳に侵入。

　傷つけないよう、記憶を司る部分に絡みついていく。

『強制神経接続。記憶転写開始』

　絡みついたコードがソフィアの記憶を読み取っていく。

　どういう時代なのか、文化レベルはどうなったのか、情勢はどうなっているのか。ソフィアの過去の事件やトラウマなど、ソフィアを構成するモノ全てがアイリスの記憶域に集約されていく。

　読み取っていく度に、アイリスの顔が怒りに歪んでいった。

「——なるほど、機械を生み出さないと誓った世界か……。それで、五百年以上経ってるってのにこの文明レベル。おおかた、中世と近代の間で停止させたっといったところか？　どうやら新しい『技術魔法』も生まれてるみたいだが……。今でも争いが起きてるたぁ、どうして人類はこうも同じことを繰り返すかね——」

　ソフィアの記憶を読み取ったアイリスがブツブツと呟いて情報を咀嚼していく。

　——その最中、ソフィアも全く見たことのない景色に目と心を奪われていた。

　それはパスが繋がったことによる、アイリスの記録の逆転写。アイリスの記録もソフィアの脳に流れ込んでいた。

「これが……初代レストアーデ王やアナタのいた世界なの……？」

　そこはとてもじゃないが本当にあった世界とは思えぬ景色。ガラスがふんだんに使用された超高層建築群に、空を飛ぶ四角い鉄の動物。清廉な服を着た多様な人々が笑顔で日常を過ごしている。

　その隣にはいつもアイリスたち機人エクステンドが立っており、人間のサポートを献身的に行なっている。

　——場面が切り替わり、次の光景は凄惨な戦場。

　美しかった世界は荒廃し、人々に笑顔を向けていた機人エクステンドは人型兵器となって人類と敵対している。

　そのきっかけが、人類側が機人エクステンドを脅威に思い破壊運動を始めたこと。

　そこから発展した人類の存続を賭けた大戦。人も機人エクステンドも、見たことのない建物や道具なども関係無い。形あるもの全てが破壊し尽くされていっていた。

　それがまさに【機械仕掛けの恢戦エクスハード】だ。

　そしてその最後は、人類側裏切り者の勝利。

「——だからアナタは、最初に生み出された機人エクステンドとして……」

　見せられたあの記録が十全に理解出来たわけではないが、アイリスが抱く感情は完全に理解できた。

「アナタは私と一緒なのね……」

　理不尽に居場所を奪われ、復讐を誓う。それがアイリスの行動原理だ。

　それを思い知った時、アイリスの瞳に込められた復讐心の中にある感情を唐突に理解した。

　こちらを見つめる『純粋』な瞳。多様な負の感情が入り混じっている中に、涙が浮かんでいる様に見えた。