「あA Aあああ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ!!」
「——ッ!?」
「な、なんだこの声は……!?」
低く/高く、何かを打ち付ける様な重く鈍い胴間声でありながら、何物も突き刺さんとする様な金切り声。矛盾で構成されたその『音』が、穴の中で共鳴していく。
それに伴って叩き付けられる莫大な殺気と底知れぬ『絶望』。
その瞬間、三人は『死』を実感した。
「———」
一拍置いて、完全な無音。
死者しかいないような不気味なほど静かになったその時、土に埋め込まれていた『アイリス』が卵から孵る雛のごとく這い出てきた。
ただ頭と穴の空いた胴体以外、右腕しか存在していない身体だ。どちゃりと、そのまま地面に倒れ伏す。
ギョロリと、蒼い瞳がソフィアたちを捉えた。
『
「え、え……? 最優先保護対象……?」
「あ、あ゛ぁ……!? 何言ってんだテメェ……! 一人で何納得してやがる! テメェが起こしたソイツはなんだ!?」」
「聞こえて……ないの…?」
ソフィアは知る由も無いが、アイリスから発せられた指向性スピーカーから無機質な音声が届く。
最優先保護対象に痛覚の鈍化。
最後の一文を聞いたと同時にソフィアの身体から痛みが消え、殺意の矛先が帝国兵二人に向いた。
「あ゛アaAああ゛!!」
右腕だけでも這いずり、絶対に対象を殺さんとするその意志。
傍目から見れば到底どうにか出来るわけがない無様で無力な姿なのだが、だからこそ意志の強さに圧倒される。
それにアベルは耐えられなかった。
「な、なんなんだよお前は……! 動けないガラクタの癖に、ボクたちをビビらせやがって……! お前がなんだか知らないけど、王女ごとぶっ壊してやる!」
「——ッ!? 待てアベル! やめろ! オレの声を聞け! アベル!」
身が裂かれそうな程の殺気を浴びせられ、正常な判断が出来ていないのだろう。アベルは上官の命令を破りながら、『恐怖』を与えてくるアイリスに向かって剣を走らせる。
狙いは、倒れ伏して晒している首筋。刎ねるのに力を技量もいらない。ただ剣を叩き付けるだけだった。
『敵性存在を確認。攻撃意思を感知。
「はえ——」
這った状態から視線だけをアベルに合わせる。
その瞬間、右眼から蒼い一条の
どちゃりと、死体のアベルが地に伏せる。
「んなっ……!? し、視線だけでアベルを殺しやがった……!? なんだアイツ……!」
驚き溢れるリースが剣を抜き、切先を地面に向けたままアイリスとの間合いをはかる。
困惑といくらかの敵意が乗ったその感情をアイリスは捉えた。
『次弾発射まで六百秒。欠損部位の補完開始。代替骨格形成』
右手が置かれた地面に電光が走ると、砂の中から鉄が抽出されアイリスのへと渦を巻くように纏わりついていく。
「砂鉄を……集めてる……?」
「今度は何をしようってんだ……」
時を置かずに、砂鉄の竜巻は散り散りとなり中から現れたのは鉄の両脚で大地を踏み締めるアイリスだった。
空となっていた左腕も今では黒金の腕が付いている。
「んなっ……!」
「『ジン類は…ぜn B……は壊……! Ha壊ス……る……! ハカイ、はかい……破壊!!!』」
声帯から発せられる音が流暢に『声』へと変わっていくと共に、アイリスの殺意がより一層膨れ上がる。
左腕を前に出し、指をガチャガチャと動かして動作を確認。後ろに右脚を引き、その脚と並行に右腕を沿わせ、手を鉤爪の如く折り曲げる。
さながら獣の爪。それを斬り裂こうとするのはリースの喉仏だった。
「クソがッ……! こんな
腰を落とし、今にも突貫して来そうなアイリスにリースは備える。
「『我、猛させるは
身体強化の魔法。膂力増大、皮膚硬化。五感は拡張され、思考も加速。
これでリースの体は、どんな鋭い剣も通さぬ強靭な肉体となり並の人間じゃ絶対に敵わない存在となった。
「来いよバケモノ……! 貴様なんぞ、オレの踏み台でしかないんだよ……!」
「あぁぁぁぁぁぁ! シNe、人ルイ!!!」
一拍でリースの眼前へと間合いを詰めたアイリスが大爪と化した右腕を思いっきり振り下ろす。
「はやっ……!」
防御の為に剣を顔の前まで持ってくるも、まるで紙を切るかの様に剣は綺麗に断ち切られる。
それと同時に宙に血が飛び散った。
「この……野郎が……!!」
即座に後方へと離脱し、リースはアイリスを睨みつける。
その顔には一本の傷が斜めに入っており、流れる血が左半分を濡らしていた。
衝撃によって強制的に足が後ろに下がったのがリースにとっての奇跡。
だが、これで終わりではなかった。
「Ga亜ァァァァ!!」
「こんなバケモノとマトモに付き合ってられるか……!」
真っ二つになった剣を投げ捨て、再び間合いを詰めてきたアイリスに対応。
右、左、左、右。ガードする腕からは鈍い音が鳴り、掠めた頬は抉れて血が溢れる。
右回し蹴りから続けて、左後ろ回し蹴り。リースが腰を折りそうな勢いで仰け反ると、その顔に向かって右の豪腕を叩きつけんとする。
「あ——」
咄嗟に左手を顔の前に持って来てしまう。それがリースの左腕の寿命だった。
「がぁぁぁぁぁ!!」
振り抜いた豪腕はリースの左腕を千切れさせ、そのまま顔面を殴打。
歯が飛び散り、リースの身体は地面に叩きつけられた衝撃そのままにアイリスが産まれた壁へとめり込んだ。
「ガハッ……!」
身体強化が意味を成さない。
まともに食らったのはたったの一撃。それでもう満身創痍。立ち上がる力も残っていなかった。
「ヒューッヒューッ……! この……オレさまが……!」
残されたのはかろうじて使える『声』。たどたどしく、血だらけの口内で滑舌は悪くなったが、それでも詠唱は出来る。
土煙の中、
「『荒野のわだ——』」
その時間をアイリスは決して与えない。
「ソレハ、モウ、サセナイ!!」
そして蒼く輝くアイリスの瞳には、リースの体が赤いシルエットとなって完璧に捉えられている。
喉仏を砕き、首を掴むなんて容易だった。
「ガッ……! ゴボッ……!」
「シネ」
銀鈴の様な美しい声で、今までで一番流暢に発せられた二文字。
何の躊躇いもなく、アイリスはリースの首をへし折った。
骨が折れる生々しい音が無音となった穴に響く。
「たす……かったの……?」
絶望的な状況が五分も経たないうちに覆されたのだ。その状況の変化にソフィアの心はついていけていない。
とりあえず、なにはともあれ自分の命を救ってくれた『恩人』に礼をしようとすると——
「シネ、シネ、シネ、シネ、シネェェェェ!!」
「ひっ……!!」
アイリスはリースの首を掴んだま地面に叩きつけ、肉の塊と化した胴を踏みつけていく。
黒い脚が赤く染まるまで、何度も、何度も、何度も——
憎悪を叩きつけるように、ぐちゃぐちゃにしていった。
そして飛び散った一粒の血がソフィアの頬に付着する。
「うぷっ……!」
凄惨すぎる光景に込み上げてくる吐き気。
——その存在は決して英雄ではない
姿形を自在に変化させ、憎悪と憤怒を撒き散らしながら人を『破壊』する。
それはまさに言い伝え通り。ソフィアは自分が起こしてしまったモノの状態をハッキリと認識した。
「アレが……機械の魔王……」
ポツリと呟いたその声に反応し、アイリスの蒼い瞳がソフィアを貫いた。