「——こうして、お姫様のキスで目覚めた王子は全世界の人々と手を取り合い、怖い怖い魔王を撃退。人々の力は平和をもたらし、英雄たちは国を作って仲良く暮らしていくのでした」
「わーい! やったー!」
レストアーデ王国・王都ソルトレーゲンにあるアルメリア城の寝室。
絢爛豪華な装飾が壁に並び、濃い茶色をした木目の床は部屋の主の心を無意識に癒している。
その窓際。純白のカーテンに仕切られた天蓋付きのベッドの中で七歳のソフィーリア・ヴァン・レストアーデ第一王女は、母親のヴィルヘルミナ王女に読み聞かせをして貰っていた。
サイドテーブルの上のランプが、金色に輝く二人の髪を照らし、より一層の明るい雰囲気を作り上げていた。
「ねぇねぇ、おかあさま! その、おうじさまがわたしたちのごせんぞさま、なんでしょう!?」
「えぇ、そうよ。今ある平和は、初代レストアーデ王とその仲間たちのおかげで成り立っているの。だから、私たちはその血を受け継ぐレストアーデ家の一族——王族として、みんなを守っていかなければならないのよ。分かるわね、ソフィア」
「はい! おかあさま!」
——新暦五二五年。
かつて、この大陸メルトメトラで『魔王』呼ばれる最悪にして災厄の化身が率いる軍勢と凄惨な生存戦争を繰り広げていた人類。それによって争いは絶えず、ありとあらゆるモノが、人が、破壊し尽くされたという。
しかし、最後の決戦『
そこから人類は魔王を倒した英雄たちが作る国にそれぞれついていき、新たな歴史を歩み出していた。
そして、先史文明が滅びてから二二五年間、この世界で争いは一度たりとも起きていない。
——それでも、否、だからこそこの平和を壊さない為にも彼女たち王族レストアーデ家は国と民を護り続けると誓っているのだ。
「ねぇ、おかあさま! わたしも、おうじょとしてだいすきなこのくにをまもっていきます!」
「ふふふっ、ありがとうソフィア。流石、私たちの愛しい娘。人に優しい貴女が私は大好きよソフィア」
「わたしもだーいすきだよ! おかあさま!」
「おいおい、ボクのことは除け者かソフィア」
「あ、おとうさま!」
ガチャリと重々しい木の扉が開くと、この国の王たるユーストリス・ヴァン・レストアーデが長い黄金の髪を靡かせながら中へと入ってくる。その扉の近くには側近が立っており、閉まる扉の隙間から頭を下げているのが見えた。
普段は厳格な顔付きで偉丈夫の圧を見せているユーストリスだが、家族と会う時は別。
娘に除け者にされたことに軽く頬を膨らませる、子供っぽい父親だった。
「お帰りなさいアナタ。もう仕事は終わったのかしら?」
「あぁ。多少残っているが、帝国関連のことはもうヴァルターに任せておけば問題ない。久しぶりに家族との時間をゆっくり過ごさせてもらうよ。——だから、ソフィア。ボクのことは?」
「だいすきだよ、おとうさま!」
ベッドに入ってきた父親をソフィアは満面の笑みと一緒に抱きしめる。
「うむ、よろしい」
「ふふっ、アナタったら。子供じゃないんだから」
「いやいや、これがナメちゃいけないんだ。意外と寂しいもんだぞ、娘にスルーされるというのは。君も想像してみると良い」
「————寂しいわね」
「だろう」
苦笑し、顔を見合わせる夫婦。
と、そこで父の温もりに充てられたのかソフィアの頭が船を漕ぎ出した。
「おっと、おねむかなソフィア」
「んーー……」
「ちょっと夜更かししすぎたかしら。この子、エクスハードの物語にいつものめり込んじゃうから時間を忘れちゃうのよね」
「ははっ、この歳であの物語に没入できるなら将来有望だな。立派に育つよこの子は」
「えぇ、なんてったって私たちの子ですもの」
布団を被せ、眠りに落ちたソフィアの髪をユーストリスは優しく撫でる。ヴィルヘルミナも、モチモチと柔らかい娘の肌をゆっくりと撫で我が子の命の暖かさを感じ取る。
七歳でありながら、国の責務の一つを理解しつつある彼女に万感の想いを馳せながら二人は穏やかな時間を過ごすのだった。
——破壊を撒き散らす雷光と共に。
⭐︎
「——ッ!?」
眼前を青白く染める稲光と、焼き尽くされる両親。自分の身体を押したと思われる男の手。それらが一瞬で脳裏を焼き尽くす同時にその身が感じ取った地面の揺れでソフィアは目を覚ました。
鬱蒼と木々が生い茂る森。大木のウロの中で寝ていたソフィアは、震える体を無視して即座に立ち上がり腰のナイフを手に取った。
「敵襲は……ナシ、かな……。いや、でもどうだろ……。念の為、準備は済ませておこうかな。霧がかってて視界も悪いし」
僅かな警戒心を残しつつ、音沙汰ない敵の姿に一つ安堵。葉を伝って落ちる雫が、薄く汚れた彼女の肌を洗い流した。
一昨日から降り続いていた雨があがったものの霧のせいで視界不良。おまけに地面は水を吸って泥状態となり、動きにくさも倍増している。
ここでもし『敵』に襲われたら一瞬で劣勢に立たされてしまうだろう。
ソフィアはウロの中へと戻り、ナイフを置いて枕代わりにしていたボンサックの口を開き中から濡れて潰れたパンを取り出した。
「湿ってるけど……、泥がついてないだけまだマシね……。『捧げる祈り。奏でられる調べは癒者の手に。施しを君に、注ぐ命の雫』——【
潰れたパンを祈るように挟み、詠唱を行うと、両手から橙色の光が溢れてパンを温めていく。
敵に見つからない為の、極少量まで絞った魔力量。
三十秒だけ行ったそれは、濡れたパンの外側だけを乾かした。
「いただきます」
生乾きのパンをソフィアは頬張る。モチャモチャと舌触りは勿論最悪で、麦の甘味なんて微塵も感じられない。
不快しか与えてこないそのパンをそれでもしっかり噛んで空腹を誤魔化していく。
と、食べ終えると同時に巨大な虚しさがソフィアの胸を突き刺し、碧の瞳から涙が溢れた。
「仲良く暮らす……。ずっとそうやってみんな生きてきたのに、なんでこんなことになったんだろ……。ねぇ、お父様……お母様……。答えてよ……」
溢れ出た極細の弱音はウロの中ではよく響いた。
——新暦五二五年、十月三日深夜。【
強大な力を用いて『空』からやってきた帝国軍はそのまま王城だけを目標にし、国家が侵略してくることを考えてもいなかった王国兵を蹂躙。夜が明ける前に王城は陥落し、ユーストリス王もヴィルヘルミナ女王も処刑に。
王城を占領した帝国は、シエンシア平和協定の唯一禁忌条項——
『機械の創造を禁ずる。破れば即座に敵国とみなす』
——という一文を王国は犯したと大義名分と共に証拠を掲げ、統治を開始。
二ヶ月でレストアーデ王国は亡国となり、王家の血は両親の
それから十年。残った僅かな臣下によって帝国から隠れ生き延びていたソフィアは現在、元王国領の森へと戻ってきていた。
全ては理不尽によって奪われたレストアーデ王国を取り戻す為に。
けれど、それを叶えられる確率は0に等しいことを今のソフィアは思い知らされていた。
「——ッ……! くよくよしちゃだめよ、ソフィア! 私は生き残った王女として王国の汚名をそそいで、国を取り戻さなきゃいけないのよ……! この程度で揺らいでたらレストアーデ家の名が廃れるわ……! 誓いを思い出しなさい!」
折れそうな心を奮い立たせ、涙を乱暴に拭う。
王国が『機械を造った』という事実を彼女は認知していない。であるならば、あの日提示された証拠はでっち上げ。
メルトメトラ北部・広大な大地を持ちながらも凍え死にかねない寒冷地も共にしているにオスカリアス帝国と比べ、攻められたレストアーデ王国は大陸の中央部に位置した温暖な気候で豊潤な大地を持っている。
周りの国々から『何でも集められる』のが王国の特徴だ。そんな王国をオスカリアス帝国はあの日に全て手にしたのだ。
なにもかもが帝国に都合の良いことばかり。その背景に何かしらの陰謀が働いていたと考えるのが普通だろう。
最後の王女たる自分が諦めたら全てが終わってしまうと分かっているからこそ、ソフィアは屈辱と一緒にパンを飲み込んだ。
「ふぅ……。やるのよ私……」
革の水筒で喉を潤していくと、ウロの前に黒い影が一つ降り立った。
「——ッ!?」
すぐ傍に置いていたナイフを手に取り眼前に構えるも、それはすぐに下げられた。
「おはようございますソフィア様。このクルルタリス・パイル、ただいま戻りました」
「クルル……良かった、無事だったのね」
「はい。二人の兵と会敵しましたが、どちらもすぐに獣の餌にしてやりました。傷も、刃毀れも一切ありませぬ」
燕尾服の上から暗めの外套を羽織り、両腰に反りのある短剣を二本を差しているクルルと呼ばれた老齢の剣士。齢六十ながらも、背が高く引き締まった体つきは、現役の兵士にも劣らない身体能力を持っている。元王国兵剣術指南役にして元
そんな彼が一つ息を吐きフードを外すと、皺の入った顔が苦々しく歪んでいた。
その憂いを帯びた白銀の双眸に見つめられ、ソフィアの顔つきが『王族』へと早変わりする。
「状況は?」
「……あまり芳しくありませぬな。儂らの正体が分かっているわけではないでしょうが、帝国兵の数は昨日よりも増えているようです。奴ら、是が非でも不審者を排除したいみたいですな」
「……これが今の王国の姿ということね。自分たちの都合で一度敵と認定したらどんな手段でも追い詰める……。周りの人たち皆を信用してたあの頃とは大違い」
忠臣を前に喪失感のこもるため息が吐き出される。
十年前までは人の往来が活発で、来る者を拒まなかったレストアーデ王国。人の繋がりこそを大事にしてきたその国是は今、帝国によって真逆のモノへと塗り潰されていた。
「儂としても奴らの跳梁は許しておけませぬ。ですが、今は耐えるべきかと」
「分かっているわ。大丈夫、今までずっと耐えてきたんだからこのくらいは平気よ。それより、ハーベは?」
「彼女は森にトラップを仕掛けております。まぁと言っても、この状況ですし仕掛けられるのはせいぜい鳴子用の探知術式くらいでしょうが……」
クルルタリスが陣の刻まれた【探知石】を懐から取り出す。
「敵の動向が知れるだけでも大きいわ。なら、合流し次第すぐに——」
——と、タイミングが良いのか悪いのか。ブゥゥゥゥゥンッと、ハーべに渡された石が激しく震える。
彼女が仕掛けた結界に敵が入ってきた報せだ。
それに応じて、木の上から小柄で赤茶毛の少女が急いで降りてきた。
三つ編みの前髪を横に流している、たまごの様な丸顔で童顔。ソフィアと同じ歳の彼女が従者のハーベだ。
「ソフィア様! クルルタリス様! 帝国兵が——」
「分かっているわ。ありがとうハーべ。貴女のおかげで先に動くことができるわ」
「もったいなきお言葉! それがあたしの役目ですから!」
「それで、ソフィア様。これからはどうされるおつもりで?」
「そうね。分かっているとは思うけど、ここで捕まったら全てが無に帰すわ。会敵は極力避けて、免れないのなら迅速に処理をお願い」
「御意」
「よし。それじゃあ早速行動開始。私は二人にもバフをかけるわ。ハーベ、認識阻害の術をお願い」
「かしこまりました!」
ソフィアが二人の前に立ち、両手を二人の胸に当てながら詠唱を開始する。
「『捧げる祈り。奏でられる調べは癒者の手に。施しを君に、注ぐ命の雫』——【
対象の状態を強化し、パフォーマンスを最高潮にまで達せさせるその強化術。先程はパンに使ったが本来は人に使うモノであり、ソフィアが使える唯一の【魔法】だった。
触れられた胸が熱くなり、全身に心地よさを感じながら、クルルタリスは臣下に尽くす主人を見てどこか哀感を共にしていた。
美しく輝き絹のようにサラサラしていた王女の長い金髪はいまや肩のところで切り揃えられ、その髪も泥に塗れて硬くくすんでいる。着ている服は、農民が着る様な茶色のズボンにくすんだ緑のチュニック。薄く古びたソレは男性用で、荒く作られたブーツは泥で汚れて見窄らしさが増している。
その姿はまるで貧乏暮らしの田舎の男。およそ十七の王女には見えないだろう。
それでも王家の証たる碧い瞳は力強く未来を見据え、諦めの情は一切感じさせない。
それが今のソフィーリア・ヴァン・レストアーデだった。
「今は生き延びることが最優先。今日中に【グラウンド・ゼロ】を抜けて、西都のステラ領に辿り着くわよ」