一つ目はシックなダークブルーのチャイナドレスだ。いわゆるキョンシーをイメージした仮装で、肩は出すぎないようケープを羽織る予定でいる。莉々果は太ももまで露になる深いスリットを要望したが、紗希は一般的なデザインに留めてもらった。
もう一つはメイド服。ミニスカートのメイド服とロングのメイド服で莉々果と散々話し合った結果、クラシカルなデザインを採用した。たっぷりとしたロングスカートに、白いエプロンを用意している。
最後は吸血鬼。こちらは大きめのパーカーとミニスカート、それからストッキングにガーターベルトと、莉々果の訴えを大々的に取り入れたコスチュームだ。もう少し露出控えめでもよいのでは、という紗希の主張は、却下されている。
いずれもカラーバリエーションがいくつか用意されており、莉々果は延々と『黒がいい』『いや白も可愛い』と悩んでいた。紗希は余った方を着る担当だ。
「そういえば。昇吾さんは留学中、本場のハロウィーンを楽しまれたのでは?」
(どんな格好をしたのかしら? あっ、それとも、お菓子を渡す役? ……)
興味津々で紗希が尋ねると、珍しく沈黙が返ってくる。
「……っ、あ、ぁ、いや。楽しんだというか、なんというか」
どこかほんのりと、昇吾の顔が赤い。目線を下げて上げてを繰り返している。
紗希が何か声をかける前に、昇吾はポケットからスマートフォンを取り出す。
「均から連絡があった。そろそろ、お暇するよ」
「えっ、帰れるの?」
莉々果が目を見開いて言うと、昇吾がウッと詰まった。
確かに窓の外は大混雑で、これから外に出るのは昇吾の立場を考えると紗希にも賛同しづらい。
二人の様子を確かめた莉々果が言った。
「んー! やっぱり一回着てから決める! 紗希ちゃん、ちょっと引っ込むね!」
「わ、分かった」
バタバタとコスチュームを抱え、莉々果が別室に飛び込んだ。はあ、とため息をついた昇吾に、紗希は謝る。
「ごめんなさい。莉々果が」
「いや、むしろ、ありがたい」
「ありがたい?」
ちらり、と昇吾が紗希の方を見る。
「と……」
そう口にしたっきり、昇吾が少し考えるようなそぶりを見せる。
「と?」
(と……とりあえずとか?)
しばらく、静かな時間が流れた。莉々果が『こっちも可愛いなー! トリック・オア・トリート! って感じ』と言う声が漏れ聞こえてきた。
「……トリック・オア・トリート?」
思わず紗希が繰り返して口ずさむと、昇吾の口元がひくりと動いた。
紗希はハッとした。今の位置関係だと、まるで自分が昇吾に言ったみたいだ。
「あ、あの、お菓子! お菓子ならありますから、お持ちしますね!」
「っいや、待ってくれ」
昇吾の手が立ち上がりかけた紗希の手首をつかんだ。ぶわっ、と顔中が赤くなる。体の奥底にある、たとえ死に戻っても消えない感情が溢れ出して、飛び出そうと暴れだす。
薄くて形の良い昇吾の唇が微笑んで、小さく、別室にいる莉々果には絶対聞こえないであろう声で囁いた。
「……ほしいのは悪戯だと、言ったら?」
動揺と衝撃が紗希の中を駆け巡る。昇吾がこんな遊びの様な言葉がけをするなんて、思いもよらなかった。
悪戯。ハロウィーンの悪戯なんて、考えたこともない。ましてや、昇吾にしてもよい悪戯なんて、思いつかない。
(えっと、ええと……そうだ、莉々果は今日、いたずらだと言って私のお腹をくすぐってきたのよね……それなら、あまり変じゃないかしら?)
くすぐるとしたら、わき腹が定番。でもわき腹は流石に近づきすぎる。なら、今つかんでいる手はどうだろう。
昇吾の顔が一瞬固まったように紗希は見えた。でも、伸ばした指はもう止められない。
爪先で軽くさする様に、紗希は昇吾の手をくすぐる。
二人そろって、視線がそらせない。お互いに自分たちの状況を、冷静に判断できない。
瞬間。
「おまたせー! 衣装決まったよー!」
遠くから元気に響いた莉々果の声に、紗希はパッと手を離した。彼女はソファから立ち上がり、そちらへ向かう。
心臓がバクバクして、耳まで真っ赤だ。
(悪戯、だったわよね。大丈夫よね……?)
昇吾の手をくすぐった指先が熱い。何も言われなかったのだからきっと大丈夫だ、と紗希は自分を納得させる。
すると莉々果が満面の笑みで吸血鬼用のコスチュームを渡す。
「はいっ! これ、よろしくね!」
「えっ?」
「着てみて。一応生配信までにサイズ感とか確かめておきたいから」
「でも……」
紗希は昇吾の方を振り返る。ミニスカート丈の服を着たためしは何度もあるが、昇吾が見るとなるとなんとなく恥ずかしい。
「ほら、配信時間は変更できないから!」
有無を言わせない莉々果の声に、紗希は席を立つ。
「わ、分かった。ちょっと着替えてくるわね」
奥の部屋に向かい、紗希はコスチュームの試着に入った。着ていた服を脱ぎ、まずは黒いストッキングとコウモリを模したガーターベルトを取り付ける。続いて黒いペチコートとミニスカート、ハロウィーンらしいアップリケのついた白いTシャツの上から、オーバーサイズのパーカーを羽織った。
さらに額には、吸血鬼らしくみえるからという理由で、幅広のレースをあしらったカチューシャも用意されている。
普段の自分ならまず選ばないものばかり。
部屋から出ると、莉々果が素早くチェックを始めた。スカート丈やパーカーの見え方の確認だ。
「良い感じ! 似合っている! そう思いますよね? 昇吾さん」
くるんと振り返った莉々果に、紗希はやっと昇吾が部屋の隅になぜか立っていることに気が付いた。
「すまない。流石に着替えると聞いて、別室のドアから中が見えない位置に立とうと思ったんだ。その、普段の紗希さんとイメージが違っていて、似合っているのはもちろんなんだが、なんというか、ええと……」
気遣いのたまものだったようだ。紗希は彼の反応が気になって、思わず顔を覗き込む。
(やだ、はしたない。衣装のせいで気持ちが開放的になっているのかしら?)
莉々果がニコニコしながら昇吾に近づいていく。圧をかけているように見えるのは、紗希の気のせいだろうか。
「か、可愛いと思う。うん、可愛い……そうだな、可愛い」
まるで噛み締めるように言われて、紗希は顔全体を赤らめた。昇吾の顔を覗き込んでいたのが恥ずかしくなって、急いで視線を背ける。
莉々果は満面の笑みを浮かべると、紗希の手を引いた。
「いいねぇ! ちょっとその感じで、動画の台本チェックしよう!」
「わ、わかったわ。あの。昇吾さん。帰れそうだったら、気になさらずに帰ってくださいね。ここ、オートロックですから!」
撮影ブースに二人が消えていく。
紗希が、自分の背後で「想像以上だった」と頭を抱えた昇吾がいると知るのは、まだ遠い