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第25話 謁見の間



 美澪とイリオスは、ティールームから控えの間に到着した。


 美澪は、大きな真鍮しんちゅう製の両開きの扉を前にして、緊張から生唾を飲み込んだ。


 国王と王妃には、すでに、昨日の結婚式と披露宴で挨拶を交わしている。しかしそれは、衆人環視しゅうじんかんしの元で行われた儀礼的なものであって、2対2で会話をするのは今日が初めてだった。


 ストレスを感じているせいか、暑くもないのに汗が止まらない。


 イリオスの左腕に添えている右手が震え、絹であつらえたロングの手袋が手汗で湿っていく。それが恥ずかしくて、余計に発汗してしまうという悪循環に陥っていた。


 美澪がイリオスの腕から手を離そうとすると、白い手袋をはめた大きな右手に阻止されてしまった。


「どうした? ……顔色が良くない。具合でも悪いのか?」


 イリオスは、意思の強そうな眉をハの字にして、労るような視線を向けてきた。


 手を放すタイミングをすっかり失った美澪は苦笑いを浮かべ、


「えっと……少し、緊張してしまって」


 と素直に答えた。するとイリオスは、美澪の右手を優しく握り、そのまま顔を覗き込んできた。


 驚いた美澪の肩がビクッと跳ねる。


「そんなに緊張しなくても大丈夫だ。俺がそばにいる」


 そう言って微笑んだイリオスに、美澪の鼓動がトクンと高鳴った。心臓が、ドクンドクンと大きく拍動し、その音は頭の中にまで伝わってくる。


(あたし、なんで……)


 美澪は血色が戻った顔で、そっとイリオスを見上げた。


「ん? ……血色が戻ってきたな」


「――あ。汗も引いてきました」


 美澪は紅潮こうちょうした顔を隠すようにうつむく。


「イリオス殿下の頼もしいお言葉のお陰で勇気がわいてきました。ありがとうございました」


 そう言って、イリオスからフイッと顔をそむけた。


 美澪は高鳴る心臓を、ドレスの上から左手で押さえる。


(あたし、イリオス殿下にときめいちゃった。でもこれは、あたしの気持ち? それともヴァートゥルナの気持ち? もしあたしの気持ちだったら、あたしはイリオス殿下に惹かれていることになる……)


 そこまで考えて、美澪は頭をふるふると振った。


 ヴァルに言われた言葉が脳裏をよぎる。


『身体から始まる関係だってあるでしょ』


 美澪はいきなり、両頬をバチン! と叩いた。


(あたしの使命は子ども産むこと! それにここで、日本に帰る方法を探さなくちゃいけないのよ!)


 ――愛人を持つ男と恋愛する暇なんてない。


 ふぅー、と気持ちの切り替えに成功した美澪は、何事かと心配するイリオスと侍女たちに、「なんでもないです」と微笑みかけた。


 そうしてついに、真鍮製の扉が開いた。


「ミレイ」


 名を呼ばれて、もう一度イリオスの手を取った。堂々とした立ち姿の彼を見遣ったのち、美澪は深く深呼吸をして肺を酸素で満たすと、背筋を伸ばして胸を張った。


 そして一度だけイリオスと瞳を合わせると、侍従長の「王太子殿下ならびに王太子妃殿下ご入室!」という言葉を合図に、真紅しんくのカーペットを一歩一歩踏みしめて玉座ぎょくざの前まで歩いた。


「エクリオの若き朱鳥しゅちょう、イリオス・フォン・エクリオが、エクリオの朱雀すざく。国王陛下ならびにその伴侶。王妃殿下に拝謁はいえついたします」


「若き朱鳥の伴侶、ミレイ=エフィーリア・ディ・エクリオが、エクリオの朱雀。国王陛下ならびにその伴侶。王妃殿下にご挨拶申し上げます」


 美澪とイリオスが口上を述べ、膝を折って頭を下げると、鈴を転がしたような可憐な笑い声が頭上に降ってきた。


「ふふふっ、陛下、ご覧になって? イリオ……王太子殿下の背丈が高すぎるせいで、二人並ぶとまるで兄妹けいまいのように見えませんこと?」


(仮にも新婚夫婦に『兄妹』なんて言うかな、ふつう。もしかして……嫌み?)


 美澪は、伏せた顔に不快な表情を浮かべて、同じ体勢を維持する。なぜならば、頭を上げて良いと許しをもらえていないからだ。


「そういえば陛下、聞きまして? わたくしの兄が――」


 イリオスと美澪を無視したまま、自分たちとは関係ない話が続く。


「わたくし、心配しておりますのよ。そろそろ兄も良いお相手を――」


 最上級のカーテシーをしているため、曲げた右足がぷるぷると震え、左膝が床に着きそうになるたびに額と背中に汗がにじんだ。


(うぅ……早く! 早く立たせて!)


 奥歯を噛み締め、身体にかかる重力を意識しないように耐える。


「王妃よ。話はそれくらいにせよ。……王太子、王太子妃。おもてを上げてよい」


 謁見の間に響き渡った重厚な声に、美澪の肌に鳥肌が立った。


 足の痛みなど吹き飛んで、姿勢を正して恐るおそる見上げた先には、黄金の玉座にする泰然自若たいぜんじじゃくとして威厳に満ちた王の姿があった。


(ほっ、本物の王様だ……!)


 美澪は恐れ多くて、国王の瞳を見ることが出来なかった。


 そこにの空気感にそぐわない、鈴の音のように可憐な声をした王妃の、ころころと楽しげな笑い声が響いた。


「陛下。陛下が恐いお顔をなさるから、ミレイさんが怯えていますわ」


「……そんなに厳しい顔をしておったか?」


「ええ、なさっておりました。エフィーリアは、エクリオにとって無くてはならない存在です。わばミレイさんは、我らがエクリオの、掌中しょうちゅうたまなのですわ」


 国王はその通りだと言って、先程よりも表情を和らげた。


「エフィーリア殿。……いや、ミレイ妃。そなたはペダグラルファに来て日が浅く、故国に父母を残して、その不安や喪失感は計り知れないだろう。だができることならば、エクリオを愛し、民を慈しみ、イリオスと手を取り合い、この国を支えてほしいと思う」


 美澪は膝を折って頭を下げ、「お言葉を胸に刻みます」と言った。


 「よろしかったですわね。王太子殿下。……このように美しく聡明な方がとして支えてくれるのですもの。……きっと、御子みこも、すぐに授かることでしょう……」


 王妃の美しいオリーブグリーンの瞳に影が落ちて、泥濘でいねいのようににごる。あからさまに嫉妬の片鱗が垣間見えた。


 美澪が気づいたくらいだ。きっと、イリオスも気づいているだろう。隣をちらりと一瞥いちべつすると、眉間にシワを寄せたイリオスが、


「すべて王妃殿下のおっしゃるとおりでございます」


 と言って、美澪の右手と手を繋いだ。その行動に驚いた美澪がなにかを言う前に、シャンデリアが揺れそうなほど豪快な笑い声が室内に響いた。


「はっはっはっ! 堅物のイリオスにここまでさせるとは……。ミレイ妃は良い妻るだろう。イリオスは剣と民の安寧にしか興味がない堅物であるが、エクリオの未来のために、仲睦なかむつまじく過ごしてくれることを期待している」


 国王の最後の言葉に礼を尽くし、


「王太子イリオス。国王陛下のお言葉、しかと承りました」


「王太子妃ミレイ。国王陛下ならびに王妃殿下のご恩情おんじょうに感謝します」


 そう言って、無事に挨拶を終えたのだった。



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