美澪とイリオスは、ティールームから控えの間に到着した。
美澪は、大きな
国王と王妃には、すでに、昨日の結婚式と披露宴で挨拶を交わしている。しかしそれは、
ストレスを感じているせいか、暑くもないのに汗が止まらない。
イリオスの左腕に添えている右手が震え、絹であつらえたロングの手袋が手汗で湿っていく。それが恥ずかしくて、余計に発汗してしまうという悪循環に陥っていた。
美澪がイリオスの腕から手を離そうとすると、白い手袋をはめた大きな右手に阻止されてしまった。
「どうした? ……顔色が良くない。具合でも悪いのか?」
イリオスは、意思の強そうな眉をハの字にして、労るような視線を向けてきた。
手を放すタイミングをすっかり失った美澪は苦笑いを浮かべ、
「えっと……少し、緊張してしまって」
と素直に答えた。するとイリオスは、美澪の右手を優しく握り、そのまま顔を覗き込んできた。
驚いた美澪の肩がビクッと跳ねる。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だ。俺がそばにいる」
そう言って微笑んだイリオスに、美澪の鼓動がトクンと高鳴った。心臓が、ドクンドクンと大きく拍動し、その音は頭の中にまで伝わってくる。
(あたし、なんで……)
美澪は血色が戻った顔で、そっとイリオスを見上げた。
「ん? ……血色が戻ってきたな」
「――あ。汗も引いてきました」
美澪は
「イリオス殿下の頼もしいお言葉のお陰で勇気がわいてきました。ありがとうございました」
そう言って、イリオスからフイッと顔をそむけた。
美澪は高鳴る心臓を、ドレスの上から左手で押さえる。
(あたし、イリオス殿下にときめいちゃった。でもこれは、あたしの気持ち? それともヴァートゥルナの気持ち? もしあたしの気持ちだったら、あたしはイリオス殿下に惹かれていることになる……)
そこまで考えて、美澪は頭をふるふると振った。
ヴァルに言われた言葉が脳裏をよぎる。
『身体から始まる関係だってあるでしょ』
美澪はいきなり、両頬をバチン! と叩いた。
(あたしの使命は子ども産むこと! それにここで、日本に帰る方法を探さなくちゃいけないのよ!)
――愛人を持つ男と恋愛する暇なんてない。
ふぅー、と気持ちの切り替えに成功した美澪は、何事かと心配するイリオスと侍女たちに、「なんでもないです」と微笑みかけた。
そうしてついに、真鍮製の扉が開いた。
「ミレイ」
名を呼ばれて、もう一度イリオスの手を取った。堂々とした立ち姿の彼を見遣ったのち、美澪は深く深呼吸をして肺を酸素で満たすと、背筋を伸ばして胸を張った。
そして一度だけイリオスと瞳を合わせると、侍従長の「王太子殿下ならびに王太子妃殿下ご入室!」という言葉を合図に、
「エクリオの若き
「若き朱鳥の伴侶、ミレイ=エフィーリア・ディ・エクリオが、エクリオの朱雀。国王陛下ならびにその伴侶。王妃殿下にご挨拶申し上げます」
美澪とイリオスが口上を述べ、膝を折って頭を下げると、鈴を転がしたような可憐な笑い声が頭上に降ってきた。
「ふふふっ、陛下、ご覧になって? イリオ……王太子殿下の背丈が高すぎるせいで、二人並ぶとまるで
(仮にも新婚夫婦に『兄妹』なんて言うかな、ふつう。もしかして……嫌み?)
美澪は、伏せた顔に不快な表情を浮かべて、同じ体勢を維持する。なぜならば、頭を上げて良いと許しをもらえていないからだ。
「そういえば陛下、聞きまして? わたくしの兄が――」
イリオスと美澪を無視したまま、自分たちとは関係ない話が続く。
「わたくし、心配しておりますのよ。そろそろ兄も良いお相手を――」
最上級のカーテシーをしているため、曲げた右足がぷるぷると震え、左膝が床に着きそうになるたびに額と背中に汗が
(うぅ……早く! 早く立たせて!)
奥歯を噛み締め、身体にかかる重力を意識しないように耐える。
「王妃よ。話はそれくらいにせよ。……王太子、王太子妃。
謁見の間に響き渡った重厚な声に、美澪の肌に鳥肌が立った。
足の痛みなど吹き飛んで、姿勢を正して恐るおそる見上げた先には、黄金の玉座に
(ほっ、本物の王様だ……!)
美澪は恐れ多くて、国王の瞳を見ることが出来なかった。
そこに
「陛下。陛下が恐いお顔をなさるから、ミレイさんが怯えていますわ」
「……そんなに厳しい顔をしておったか?」
「ええ、なさっておりました。エフィーリアは、エクリオにとって無くてはならない存在です。
国王はその通りだと言って、先程よりも表情を和らげた。
「エフィーリア殿。……いや、ミレイ妃。そなたはペダグラルファに来て日が浅く、故国に父母を残して、その不安や喪失感は計り知れないだろう。だができることならば、エクリオを愛し、民を慈しみ、イリオスと手を取り合い、この国を支えてほしいと思う」
美澪は膝を折って頭を下げ、「お言葉を胸に刻みます」と言った。
「よろしかったですわね。王太子殿下。……このように美しく聡明な方が
王妃の美しいオリーブグリーンの瞳に影が落ちて、
美澪が気づいたくらいだ。きっと、イリオスも気づいているだろう。隣をちらりと
「すべて王妃殿下のおっしゃるとおりでございます」
と言って、美澪の右手と手を繋いだ。その行動に驚いた美澪がなにかを言う前に、シャンデリアが揺れそうなほど豪快な笑い声が室内に響いた。
「はっはっはっ! 堅物のイリオスにここまでさせるとは……。ミレイ妃は良い妻
国王の最後の言葉に礼を尽くし、
「王太子イリオス。国王陛下のお言葉、しかと承りました」
「王太子妃ミレイ。国王陛下ならびに王妃殿下のご
そう言って、無事に挨拶を終えたのだった。