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第23話 初夜 2



 イリオスは、疲れ果てて気絶するように寝てしまった、自分の幼妻を見つめた。


 イリオスの腕枕に小さな頭を乗せて、静かな寝息を立てる美澪のまろい輪郭を、羽を滑らせるようになでた。


「うぅん……」


 くすぐったかったのか眉間にシワを寄せ、宙に浮いたままの手から逃れるようにイリオスの胸元に顔を埋めたミレイは、穏やかな顔をして再び深い眠りについたようだった。


「……ふっ」


 おおかみの手から逃れて、逆に狼の懐に入ってくるとは、なかなかどうして肝が座っている。


 ミレイを起こしてしまわないようにクスクスと忍び笑いをしたイリオスは、シーツからはみ出した華奢な肩にシーツを掛け直してやると空いた方の腕を枕にして、天蓋ベッドの天井画を眺めた。


「……ヴァートゥルナ、か」


 視線の先には、女神ヴァートゥルナの手の甲に口づけるゼスフォティーウ神のフレスコ画が描かれている。


 場面から推測するに、プロポーズを申し込んだ幸せ絶頂期の場面だろう。


「ふん、皮肉か?」


 ここにはいないグレイスに向かって、吐き捨てるように言った。


 王太子妃の居室と王太子夫妻の寝室の内装や家具一式を調えるのは王妃の役割だ。


 さすがに、発注や手が行き届かない細かなところは、侍女やメイドに一任しているだろうが……。


 それにしても天井画にあえてこのシーンを選んだと言うならば、皮肉か、嫉妬か、あるいは悪意が込められているはずだ。


 生憎あいにく、異世界から召喚されたばかりのミレイには、この手の嫌がらせは通じないだろう。


 しかし、イリオスに対しては効果的面だといえた。


(……あくどい女になったな、グレイス。まあ、そうでなければ王妃の座に居続けることなどできはしないか)


 かつて愛し、そして憎みながらも愛し続けているグレイスのことを考えていると、


「あたしに対して失礼ですよ」


 と声がかかり、イリオスは左隣に顔を向けた。


「起きていたのか……?」


 そう問うと、ミレイは「『ふん、皮肉か』のところから起きてました」と言った。


「……ほとんど最初からじゃないか」


 そう言って苦笑すると、イリオスは幼子をあやすようにミレイの頭をなでた。


身体からだは大丈夫か?」


「あちこち痛いです」


 頬を染めながら即答したミレイに、「そこは『大丈夫です』と答えるものじゃないか?」と言って苦笑する。するとミレイは、


「誰かにそう言われたんですか?」


 と真面目な表情で尋ねてきたので、イリオスは「いいや?」とはぐらかした。すると上体を起こして、腕の代わりに枕を抱き込んだ美澪が、


「そういえばあたし、イリオスさんがおいくつなのか知りません。ちなみにあたしは、十七歳です」


 と言ったので、イリオスは自由になった左腕の肘をつき頭を支えて、「二十七だ」と簡潔に答えた。


 美澪は目を丸くして、


「十歳も歳が離れてたんですね。もう少しお若いかと思っていました」


 と真面目な顔で言ったので、イリオスは「それは褒め言葉か?」と言い、ミレイは「その通りです」とうなずいた。


 打てば響くように続く会話が心地よく、うとうとと微睡み始めたイリオスの腕を、ミレイはつんつんと人差し指で突付いた。


「……どうした?」


「まだ答えを聞いていません。初夜を迎えたベッドの上で、他の女性を思い浮かべるのは良くないと思います」


「……あなたは真面目だな」


「良く言われます」


 そう言ってうなずいたミレイに、


「あなたの信頼を裏切るつもりは毛頭ない。だから正直に言おう」


 と言って、先程まで考えていた胸の内を打ち明けた。するとミレイは、委細承知したといった様子で頷いた。その反応に驚いたのは、イリオスの方だった。


「……嫉妬、しないのか?」


 そう尋ねイリオスに、ミレイは「なぜです?」と即答し、仰向けになって天井画を見つめた。


「ただの女子高生が夢見ていた初めての経験とは程遠いものでしたが、初夜というものは大切なものなんでしょう? それなのにあなたは、王妃殿下のことを考えてましたよね。それに対して、デリカシーのない人だな、とは思いましたけど。嫉妬するほどあなたの事を知りませんし、恋愛感情はないですから。あたしが嫉妬することはありません」


 「これで答えになりましたか?」と言ってきたミレイに対して複雑な気持ちを抱きつつ、自分の口元が弧を描いていることに驚いた。


(母上が死に、グレイスが王妃となった今。俺には安らぎなど二度と訪れないと思っていた)


「……ありがとう、ミレイ」


「突然、どうした……ん、ですか……」


 振り仰いだイリオスの瞳の奥に、隠しきれない熱が情欲の炎がともっているのをみて、ミレイは顔を真っ赤に染めた。


 そして、この場に漂い始めた甘ったるい空気から逃れるように、ミレイは背を向けた。すると、あらわになった背中には、イリオスが付けた印が花びらのように散っていた。


 イリオスは目の前にさらされた、情事の跡が色濃く残る背中を見て、腰がずくんと重くなったのを感じ取り、本能の赴くままに美麗の背中に唇を当てた。


「ひやっ」


 「何するんですか」と抗議してきた紅く色付いた頬に口づけを落とし、そこから唇を滑らせて、尚も言葉を紡ごうとする口を口づけることで黙らせた。


「……つ、ん……ふぁ、はぁ、んっ、ん」


 絡み合う舌が生み出す快感と、鼓膜を犯すミレイの甘ったるい声と水音に、イリオスはもう一度、暴いたばかりの恥骨に自身を押し付けた。


「イ、イリオス殿下……っ、あたし、もう無理で……ん、んっ」


「大丈夫。……無理じゃない」


 言って熱のこもった瞳を向けると、ミレイはさらに顔を赤らめて、「あまりいじめないでください」と言った。


 イリオスは、そんなミレイを愛らしく感じながら、熱を持ち始めた小さな身体を組み敷いた。


「悪いが、約束はできかねる」


「な……!」


 反論しようと口を開けたすきに、深い口づけを落とし、イリオスとミレイの初夜は東の空が白むまで続いたのだった。



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