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第16話 アネモス城

 美澪とヴァルを乗せた馬車は、アネモス城の城壁へ差し掛かった。


 美澪は、馬車の窓から城壁を見上げ、その大きさに目を丸くする。


 馬車は城門をくぐると、城館へと続く広々とした道を進んで、石造りの荘厳な城館の前で停止した。


 馬のいななきとともに、御者が「アネモス城へ到着いたしました」と告げ、馬車の扉が開いた。


 しかし、エスコートのために先に下車しようとしたヴァルの動きが不自然に止まり、それを訝しんだ美澪が、


「ヴァル? どうしたんです。降りないんですか?」


 と声を掛けると、眉間にシワを寄せたヴァルが物言いたげに振り返った。そのヴァルの表情から、なんとなく事情を察した美澪は「ヴァル、あたしが先に降りますね」と言った。


 でも、と反対するヴァルを「大丈夫ですから」と右手で制して、美澪は扉をくぐった。すると案の定、踏み台の左手にはイリオスの姿があった。


『……あいつ、美澪のこと利用するつもりだ』


 脳裏にヴァルの言葉がよぎったが、美澪は不安を笑顔の仮面で隠し、イリオスに差し出された右手にそっと手を預けた。


 イリオスに手を引かれ、大勢の使用人たちに歓迎される中、落ち着かない気持ちで正面玄関をくぐる。


 そして美澪は、瞳に飛び込んできた光景に思わず感嘆の声を上げた。


「すてき……!」


 イリオスの手から離れ、美しい装飾品を瑠璃色の瞳に写して玄関ホールを見渡した。


 石造りの壁には、フルーティングが施された半円形の柱が、装飾としていくつも貼り付けられており、天井に吊るされた美しい真鍮のシャンデリアが美澪を見下ろしていた。


 そして、豪奢ごうしゃに飾られた玄関ホールの中でひときわ瞳を引いたのは、中央にどっしりと鎮座する螺旋らせん階段だった。広々とした二重の螺旋階段の造形美に、思わず瞳がきつけられる。


「……灰かぶりのお姫様に出てくる階段みたい」


 美澪の小さなつぶやきに、イリオスが首を傾けた。


「灰かぶり……?」


「あ、いえ。なんでもないです!」


 苦笑しながら胸の前で手を振り誤魔化ごまかしていると、そこに老齢の男性が近づいてきた。


「殿下」


「侍従長」


「イリオス王太子殿下、並びにエフィーリア様。ご無事のご帰還、何よりでございます」


 白髪の男性は丁寧にお辞儀した。


「ああ、いま戻った。……国王陛下と王妃殿下はどちらに?」


「謁見の間にてお待ちにございます」


「そうか、分かった。すぐに謁見に伺うと先触れを出しておいてくれ」


「かしこまりました」


 言って静かに下がっていった男性の後ろ姿を眺めていると、左耳に温かな呼気がかかった。


「ひゃ……!」


 とっさに左耳を抑えて隣を見ると、そこにはイリオスの精悍せいかんな顔があり、あと一歩踏み込めば鼻同士が触れ合ってしまいそうな至近距離で視線が交わった。


 お互いの呼気が口元を湿らせ、美澪は顔を赤くして後ろに後退した。


 しかしドレスの裾をシューズのかかとで踏んでしまい、あわや転倒するという所で、イリオスのたくましい右腕が美澪の細腰ほそごしをがっしりと支えた。


 美澪は上体をイリオスの腕に預けたままで狼狽うろたえた。


「あっ、す、すみませんっ。ありがとうございま――」


 す、という言葉は、どういうわけか、イリオスの口の中に吸い込まれてしまった。


「ん、ん、んん……!?」


 使用人たちの歓声や喜声が玄関ホールに響き渡る中、美澪はイリオスの拘束から逃れようと身体を捻った。


 が、もがけばもがくほど身体の自由は失われ、いつしか美澪は人の目を気にすることなく、夢中でイリオスの唇に自分の唇を押し付けんでいた。そして――


「まだ欲しい、まだ足りない、もっとちょうだい」


 美澪――の姿をした何者かが、とろりと潤んだ瑠璃色の瞳でイリオスを見つめ、口づけを強請った。


(違う、違う! これはあたしじゃない! あたしの言葉じゃない! ……やだ。やめて……あたしの中から出ていって……!)


 美澪の声は、誰にも届かない。


 息継ぎのために唇を離したイリオスは、


「これ以上はさすがにここでは……」


 と言って身体を離そうとしたイリオスに、美澪はなりふり構わずすがり付いて、イヤイヤと頭を横に振った。


「嫌、嫌よ。もっと愛して……。わたくしのことを愛してるって言ってくれたではないの。永遠に愛していると言ったではないの……!」


 さすがに異変を感じ取ったイリオスは「エフィーリア殿?」と言って美澪の両肩に手を置いた。すると美澪は、イリオスの手を跳ね除けて、よろよろと距離をとった。


「……あなた様はいつもそう。あの女の名エフィーリアばかり呼んで、わたくしのことは放っておられた……」


 美澪は両手で顔を覆い「わたくしは、わたくしには、あなた様しかいないのに……」言ってポロポロと涙を流した。そうしてついにはへたり込んでしまった。


「これはいったい……」


 手を伸ばそうとしたイリオスの手を遮って、ヴァルは美澪の首の後ろに手刀を落とした。


 「うっ」とうめいた美澪の身体が力なくかしいでいくのを見ていたイリオスに、


「ゼス……フォティーウ、さま……」


 そう言って、美澪はヴァルの腕の中でくたりと意識を失った。


 騒然としていた玄関ホールがシーンと静まり返る。その中でたった一人、動じることもなく美澪を抱き上げたヴァルは、呆然ぼうぜんとしているイリオスに、


「今代のエフィーリア様は、ヴァートゥルナ様の生まれ変わりと言って過言ではない神力と魂をお持ちのお方でございます。……おそらく、エクリオ王太子殿下との口づけで、殿下の魂を浄化したことによる副反応が出たのでしょう。魂を浄化することは、並大抵の御業ではないのです。このことを教訓に、今後は軽率な行動を慎まれますよう、エフィーリア様に代わり、お願い申し上げます」


 言って頭を下げたヴァルに「……気をつけよう」と言ったイリオスは近くの使用人を呼び寄せた。


「パラディン伯殿を、エフィーリア殿の居室へ案内するように」


「はい。かしこまりました。……では、パラディン伯様こちらへ。エフィーリア様の居室は三階にございます」


 使用人のあとに続いて螺旋階段を上っていくヴァルの背を見届けたイリオスは、


「私は謁見の間に向かう。……エフィーリア殿はこのエクリオにあらねばならぬ宝。そのことを肝に銘じ、手抜かりなきよう一心にお仕えせよ」


「かしこまりました。お言葉を胸に刻みます」


 一斉に頭を下げた使用人と護衛騎士たちを一瞥いちべつし、イリオスは玄関ホールを後にした。

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