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第12話 合わせ鏡の儀式

「ミレイ様!」


 駆け寄ろうとしたメアリーの動きを、ヴァルは一睨いちげいで封じた。


 鉄の味が味蕾みらいを刺激し、唾液がじわりとみ出してくる。


 それを吐き出そうとしたとき、口内に入ったままの指がぜつの中心をぐっと押して、嚥下えんげを誘発させた。


 耐えきれず、反射でごくりと喉を鳴らすと、血液と唾液が混じったものが食道を通っていった。その瞬間――


「んん……っ!?」


 喉と胃が焼けるように熱くなり、心臓がドクン、とひときわ大きく拍動した。その様子を黙って見ていたヴァルは、ようやく美澪の口から指を引き抜いた。


 美澪は目尻に涙をにじませてゴホゴホとき込む。


 ようやく動けるようになったメアリーは、「ミレイ様!」と悲痛な声を上げて駆け寄り、美澪の背中をさすった。


 ハァハァと肩で息をし、ヴァルに文句を言おうと口を開きかけて「あれ……?」と身体からだの異変に気がついた。


(身体のだるさがなくなってる。それに頭痛も……)


 体調不良の症状が治ったことに驚愕きょうがくした美澪は、首元を押さえてヴァルを見た。


  美澪の反応に、ヴァルは気を良くした様子で「ほらね? 回復したでしょ」と言って自慢げに胸を張った。


「一体どういうことですか。ヴァルの神力って、何かを念じるとか、呪文を唱えるとかじゃなくて……。対象に血液を与えることで治癒力を発揮する力なんですか?」


「別に血じゃなくてもいいよ? ヴァートゥルナの力を宿したエフィーリアの体液ならなんでもいい。ボクが血を与えたのは、それが1番手っ取り早いって判断しただけ。あと、美澪が嫌がりそうだったから。……ふふっ。涙目になった美澪、かわいかったなぁ~」


 思い出し笑いをしながら愉悦に浸るヴァルに、美澪は怒鳴る気力を無くしてしまった。それでも苛つきはする。


「ふざけないでくださいよ……」


 メアリーに支えてもらいながら、げんなりと額を押さえる。


「じゃあ、キスした方がよかった?」


 ヴァルはにこりと笑って「ボクはそれでも構わなかったけど」と言った。


「……勘弁して」


 美澪は両手で顔を覆い、長い長いため息を吐いた。それから「ん?」と顔を上げ、


「……あたしの血に回復力があるってことは、魂を浄化できるってことですよね?」


 言ってヴァルを見上げた。


「うん、そうだね。でも、美澪が考えてるようなことは無理だよ」


「……なぜです? あたしの血を飲めば魂が浄化されるんなら、わざわざ結婚しなくたっていいじゃないですか」


「そう言うと思った。美澪。美澪の世界にドイロテス軟膏なんこうってあるでしょ?」


 問われた美澪は怪訝けげんな顔をした。


「ありますけど……。今、それ関係あります?」


「ドイロテス軟膏って、塗る場所によって吸収率が変わるんだよ。その吸収率が一番高いところが――」


「待って! わかっ、」


「生殖器官なんだよ」


「……わかったって、言ったのに……」


 センシティブな言葉をあけすけに言われ、羞恥に頬を染めた美澪に、


「正確には、皮膚が薄い場所ほど吸収率が高くなる。だからエフィーリアの神力を効率的に取り込むには、セックスとキスが一番手っ取り早いんだ」


「ああ、そうですか。じゃあ、あたしは結局、顔も知らない相手とそういうことをしないとダメってことなんですね……」


「そーいうこと」


 超現実的な理由を説明された美澪は、ただため息をくしかなかった。


(……ヴァルの言うことをそのまま信じるわけじゃないけど、過去の記録を見る限り、エフィーリアたちは子どもを産んでる。だから結局はあたしも……)


 美澪の周囲だけ暗晦あんかいな空気が立ち込める中、扉をノックする音が室内に響いた。


 美澪が覇気のない声で「どうぞ……」と応えると、儀礼服を着た副神官長が入室してきた。


 副神官長は入室するなり跪拝きはいし「エフィーリア様。合わせ鏡の儀式の準備が整いましてございます」と告げた。


(ついにこの時がきたのね……)


 美澪は表情を引き締めて「わかりました。すぐに聖なる泉へ向かいます」と言った。


 再度、礼をして下がった副神官長を見届けた美澪に、メアリーが右手を差し出した。


「それでは参りましょう。ミレイさま」


 美澪はこくりとうなずくと、メアリーの手を取ったのだった。





 いよいよ合わせ鏡の儀式が始まる。


 神官長を筆頭に強い神力を持つ神官たちが聖なる泉に祈りを授ける。するといでいた水面がさざ波はじめ、やがて渦を巻き出した。


「それではエフィーリア様、こちらへ」


 美澪は首肯し、神官長に促されて泉の畔へ移動した。


 そして神官長が目で合図を送ると、副神官長が銀ばりを乗せた盆を差し出した。


 美澪は、柄に精緻な彫刻が施された銀鍼を一瞥いちべつして、ごくりと生唾を飲み込む。


 神官長は、「エフィーリア様、お手を拝借いたします」と言って、美澪の白魚のような手を恭しく持ち上げた。


 そして銀鍼を手に取ると、躊躇ためらうことなく、美澪の人差し指の腹に刺した。


 銀鍼がプツリと皮膚を貫く感覚に、美澪は気が遠くなりそうになりながら、ギュッと瞳を閉じて耐える。


 血が鍼の刺し傷からぷくりと出血したのを確認した神官長は、美澪の指先をグッと抑え、一滴、二滴、三滴と、泉に血を捧げた。


 すると、泉の水面みなもが黄金色に発光し、渦が巻き上がった。


 時が経つにつれ、目がくらむほど一層光が強くなり、空高く水柱が上がった。



「エフィーリア様。ご武運を祈っておりまする」


 神官長の声が耳朶じだを打った。


 美澪の身体を清涼な一陣の風が吹き抜けていく。


 そして輝く水面が生き物のようにうねり、水泡を生み出して、美澪の身体を取り込んだ。


「きゃ……っ!」


 思わず目をつむった美澪は、そのまま水柱に飲み込まれていった。

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