――その後は貢が安全運転ながら車を飛ばし、わたしたちはどうにかうず潮クルーズの出航時間に間に合った。
「――ここからは潮風がスゴそう……。ウィンドブレーカー、羽織ってた方がいいかもね」
クルーズ船の乗り場へ向かう前に、わたしは車のトランクからスーツケースを引っぱり出した。
船の上では潮風をまともに浴びてしまうので、フードを被っていないと髪がベタベタになりそうだ。
「え~っと……、どこに入れたかな……」
一応持ってきてはいたはずなのだけれど、スーツケースのどの辺りに入れたかまでは憶えていない。……気がついたら、車の周りが散らばった洋服やら何やらでエラいことになってしまっていた。
「……絢乃さん、よかったらコレ着ときます?」
探し物で苦労しているわたしを見かねてか、貢は自分が着ていたネイビーのパーカーを脱ぎ、わたしに羽織らせてくれた。
フレンチスリーブでむき出しになっている腕に、パーカーを通して彼の温もりを感じて、わたしはキュンとなる。
「え……、いいの? それじゃ貴方が……」
「僕は大丈夫ですから。ジャケットもありますし、髪も短いので潮風に当たってもギシギシにはならないと思うんで」
彼はそう言うと、自分のスーツケースから昨日も着ていたジャケットを取り出してサッと羽織った。
「……ありがと。でも、そんなこと言ってていいの? 後で髪がベタベタになっても知らないから」
わたしはお礼を言いがてら、彼に軽口を叩く。彼がそれでいいなら別に構わないのだけれど、後から恨みがましく言われても困る。
……まぁ、彼がそういうことをネチネチ言ったりしない人だということは、妻であるわたしがいちばんよく知っているけど。
「――じゃあわたし、乗船チケット買ってくるね!」
散らかした荷物を片付けた後乗り場へ着くと、わたしは彼を残してチケット売り場へ向かおうとした。けれど、彼は「ちょっと待って下さい」とわたしを引き留めた。
「……ん? なに?」
「チケット代、僕に出させて下さい。元は昨日、絢乃さんから頂いたお金ですし」
彼はデニムパンツのポケットからお財布を出して、そこから抜いた五千円札をわたしに差し出す。
ちなみに、このクルーズの乗船料は大人一人につき二千五百円。これはちょうど二人分の料金である。
「ありがと。後で領収書くれとか言わないでね? っていうか、そんなに気を遣わなくていいのに」
「言いませんよ、そんなこと。……まぁ、絢乃さんにばかりお金を出して頂くのも、夫として不甲斐ないというか、情けないというか」
要するに、男として格好がつかないと言いたいらしい。でも、彼は忘れているみたいだ。昨日もさっきも観覧車に乗った時に料金を払ってくれたことを。
彼は元々、そんなにお金を使わない人だ。
別にお金のかかる趣味を持っているとか(コーヒーや車にはそれなりにお金はかかるかもしれないけど)、ギャンブルにハマっているとかそういうこともないし、お酒も飲めなければ煙草も
それを持ってきて、結婚前には慎ましい節約生活を送っていたから、お金を使うことに対してまだ抵抗があるのかも。
そういうわたしだって、湯水のごとく浪費しまくる人間では決してないのだけれど……。
「……どうしました、絢乃さん?」
「あ……、ううん! 何でもないの。――じゃ、乗船券買ってくるね!」
チケットは事前にに予約してあったので、わたしは窓口で料金を支払い、二人分のチケットを受け取ってすぐに貢の元へ戻った。
「――はい、お待たせ!」
「ありがとうございます。ご苦労さまです。じゃ、行きましょうか」
チケットを受け取った彼は、紳士よろしくわたしをエスコートしてくれる。……とは言っても、一緒に乗船する人たちの列に並んだだけのことなのだけれど。
船着き場まで行くと、潮風を浴びてパーカーがパタパタとはためく。
「……ねえ、このパーカー、やっぱりちょっとブカブカだね」
わたしはちょっと照れ笑いをした。男女での体型の違いを除いても、貢の方がニ十センチも背が高い分、服のサイズがわたしには少し大きいのだ。
「それがまたいいんじゃないですか。女性が大きめな男性の服をブカブカで着るのが可愛いんですよ。いわゆる〝
「…………」
わたしは彼の思わぬ性癖を見てしまったような気がして、表情を引きつらせた。
「何ですかその顔。……あっ、もしかして引いてます!? 引いてますよね!?」
「…………べっつに~」
引いてはいない。いない……けど、ちょっと意外だっただけだ。こんなに真面目な彼が、〝萌え〟なんて言い出す日が来るとは……!
「やっちまったなぁ……」
そんな彼の呟きが聞こえて、わたしは笑うのを必死にこらえていた。
* * * *
――福良港から出ているうず潮クルーズの船は、二種類ある。
ひとつは幕末に
もうひとつが、これからわたしたちが乗船する「日本丸」という白い船だ。
『――本日は鳴門海峡うず潮クルーズ船、日本丸にご乗船下さいましてありがとうございます』
船が出港すると、乗務員の女性がハンドマイクを手にアナウンスを始めた。
このクルーズではうず潮がすぐ近くに見えるだけではなく、乗務員さんのガイド付きで周辺の観光スポットなども見られるのだ。
お天気は良好とまでいかなかったけれど、初めて間近で見たうず潮の迫力はものすごくて、自然の驚異というか神秘というか……、そんなものをひしひしと感じられた。
もちろん、この感動を親友たちとも
* * * *
――一時間のクルーズを終え、船は福良港へ戻ってきた。
「うわぁ、潮風でベトベト! 貢のパーカー、借りててよかった」
乗船前に心配していたとおり、パーカーのフードからはみ出ていたわたしの髪の毛先は、潮風を浴びたせいでベタついていた。でも、これだけで済んだのは、彼が快く自分のパーカーを貸してくれたおかげである。
「貢の髪、わたしよりヒドいことになってるね……」
「はい。今日は念入りにシャンプーしないと、髪傷んじゃいますよね」
わたしが彼の髪を触ると、彼も困ったように苦笑いした。
「ホント。わたしなんかロングだから大変かも」
わたしも笑う。でも、どれだけ手間がかかってもケアを欠かさないのは、ひとえに愛しい彼のためなのだ。
「――さて、ここの道の駅でちょっとママたちのお土産買って、パンケーキ食べに行こうか」
川元さんが言っていたけれど、ここには海産物の加工品が数多く売られているらしい。母やお義兄さまのお酒のつまみになりそうなものなら、ここで手に入りそうだ。
「そうですね。どうせなら、ここから直接配送頼みます? お菓子はともかく、海産物の加工品は持ち歩くわけにもいかないでしょ。臭いの問題とかありますし」
「……そうだね」
確かに、磯の香りをプンプンさせながら旅行を続けるのはちょっと抵抗がある……かも。
――というわけで、ここで買ったお魚の干物や三年トラフグの加工品などは東京の自宅宛てに配送してもらうことにして、わたしたちは貢の運転する車でまた島を、今度は西側から北上するのだった。
* * * *
「――はぁ~~、美味い! 食べられてよかった」
彼は念願だった〈幸せのパンケーキ〉で「バナナホイップパンケーキ・チョコソース添え」を一口味わうと、至福の表情を浮かべた。
「貢って、甘いもの食べてる時すごく幸せそうな顔になるよね。女の子みたい」
わたしはシンプルなパンケーキを頬張りながら、まるで母親になったような気持ちでそれを眺めていた。
彼が幸せそうな笑顔でいると、わたしまで幸せな気持ちになるから不思議だ。
「そういう絢乃さんだって、僕とおんなじような顔してますよ?」
「……だって美味しいんだもん」
ここのパンケーキは厚みがあって、フワフワでしっとりしている。バターとカラメルソースが利いていて甘さ控えめなので、甘いバニラアイスとの相性がバツグンにいいのだ。