――結婚披露パーティーが終わったのは、まだ日も高い午後三時過ぎ。式場スタッフから引き出物(焼き菓子の詰め合わせとファンシーなトレーとコースターのセット)を受け取った招待客が、一人また一人と引き上げていく。
「絢乃、新婚旅行から帰ってきたら、一緒に女子会ランチしようよ。あたしも唯ちゃんも、土日は予定空いてるからさ」
帰り際に、里歩がわたしにそんなお誘いをかけてきた。ちなみに、新婚旅行は四泊五日。帰ってきた翌日は、ちょうど土曜日だ。
「うん、わたしはいいけど……。二人とも、彼氏さんのことは放っておいていいの? 土日くらいしかデートできないんじゃない?」
二人も、彼女たちのお付き合いしている相手もみんな現役の学生さん。それも学校がバラバラなので、授業がお休みの土日くらいしかスケジュールが合わないと思うのだけれど……。
「だーい丈夫だよぉ、絢乃タン。翌日もお休みなんだし、デートは日曜日にできるもん。ね、里歩タン?」
「そうそう。親友と女子会なら、彼氏だって文句言わないって」
二人にここまで押し切られたら、わたしも断るわけにいかない。というか、断るつもりもなかったし。
そこに、さらに貢からのダメ押しが加わった。
「そうですよ、絢乃さん。たまにはお友達と羽伸ばしてきたらいいんです。こういう時間って、子供ができたらなかなか取れないんですから」
子供の話は、ここでは生々しくてまだ恥ずかしいけれど。愛しい旦那さまからのせっかくの厚意なので、甘えさせてもらうことにした。
「……そう? じゃあ、帰ったら連絡するね。その時に待ち合わせ場所とか、行くお店とか相談しようか」
「オッケー! じゃあ新婚旅行、楽しんできてね。お土産楽しみにしてるから」
「絢乃タ~ン、旦那さんも、行ってらっしゃ~い! まったね~~♪」
二人はわたしと貢に思いっきりブンブン手を振って、結婚式場を後にした。
「――というわけで、土曜日わたしは出かけるけど。貢はどうするの?」
結婚衣装から私服に着替えるために控室へ戻る途中、わたしは貢に訊ねる。
着替えた後はヘアメイクの人にお願いして、キレイにスタイリングされた髪も元のストレートに戻してもらうつもりだ。
「う~ん、どうしようかな……。僕の趣味っていうと、コーヒー好きと車好きってことくらいしか……。あ、あとスイーツと」
「じゃあ、都内のカフェ巡りとかはどう?」
「それはちょっと。僕はどっちかというと、飲む方より自分で淹れる方が好きなんで。お金だってどれくらいかかるか分かりませんし」
「ウチのお婿さんになったのに、まだお金の心配してるんだ?」
わたしがからかうと、貢は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「いやぁ、すみません。なかなか貧乏性が抜けなくて……」
頬をポリポリ掻きながら苦笑いする彼に、わたしは盛大に吹き出した。
* * * *
――着替えなどを終え、すっかり普段どおりの姿に戻ったわたしと貢は、荷作りしたスーツケースを転がして式場横のホテルをチェックアウトした。宿泊料金の支払いは、もちろんわたしのブラックカードで、だ。
「――じゃあママ、わたしたちはこのまま神戸に向かうから」
「お義母さん、行ってきます」
一緒にチェックアウトして、これから自宅へ帰る母に、わたしたちは旅行への出発を告げた。
「行ってらっしゃい。会社のことは私と
「……ママったら、里歩とおんなじこと言ってる」
わたしが母の発言に呆れてボソッと呟くと、貢が「まあまあ」と間を取りなしてくれる。彼がこの先、
「――じゃあ、行ってきます!」
予約していたタクシーの到着をホテルのドアマンが告げたので、わたしたちは母に手を振り、エントランス前で待ってくれていたタクシーに乗り込んだ。
* * * *
――品川駅前でタクシーを降り、これまたネットで予約済みだったチケットで改札をくぐり、新幹線で新神戸へ向かう。
東海道新幹線では直通で行けないので、新大阪から山陽新幹線に乗り換えて一駅。これは前回、出張で神戸へ赴いた時にもう覚えていた。
「――というか、ハネムーン休暇って十日も要るんですかね?」
「えっ、どうして?」
新幹線の車内で貢がぶつけてきた疑問に、わたしは首を傾げた。
ウチのグループ企業全社では、マックスで十日間のハネムーン休暇が認められている。それは、新婚旅行で海外へ行く人も多いからなのだけれど。
「だって旅行で五日間、お友達とのランチも含めたって六日間でしょう? 予定空いちゃいませんか?」
わたしたちの場合は旅行も国内で四泊五日、それ以外の予定もほとんど決まっていないので、ヒマを持て余すのではないかという彼の考えはもっともかもしれないけれど。
「その後の予定はまた決めたらいいじゃない。このごろ忙しかったから、休暇中に貴方といっぱいデートしたいし。お祖父さまとお祖母さま、パパの墓前に結婚の報告にも行きたいしね。それに――」
「はい?」
「トップであるわたしたちが率先して休暇を取るようにしないと、社員のみんなも休暇取得を遠慮しちゃうでしょ? せっかくある福利厚生の制度なのに」
「まあ……、それはそうですけど」
日本の男女の結婚率が低いのは、ハネムーン休暇を取得しにくい労働環境にある企業が多いことも一因ではないかとわたしは思うのだ。つまり、上の人が「結婚くらいで休暇なんか取るな。怠け者め」と苦々しく思う風潮が、まだ根深く
それを打破するには、ウチのグループ企業だけでもその風潮から抜け出さなければならない。そのためにも、組織のリーダーであるわたしとその夫となった貢が、「ハネムーン休暇取得は全社員の当然の権利なんですよ」とお手本になるべきだとわたしは考えたわけである。
「――ところで、絢乃さんのお祖父さまがすでに故人なのは僕も知ってましたけど、お祖母さまもというのは知りませんでした。いつごろ亡くなったのか、差し支えなければ話してもらえませんか?」
「あ、そっか。貢にはまだ話してなかったね。――お祖母さまが亡くなったのは六年前、ちょうどお祖父さまが亡くなる一年前だったの。お祖母さまは若い頃から心臓が悪かったらしくて、それが原因で……。お祖父さまもその精神的ショックから体調を崩してしまって、一年後にお祖母さまの後を追うように……」
「そうだったんですか……」
新婚旅行には似つかわしくない、やけにしんみりした空気になってしまったので、貢も悲痛そうな表情になっている。
「……まぁ、祖父母が立て続けに旅立ってしまったのはすごく悲しいことだけど、孫のわたしから見ても仲のいい夫婦だったから。祖父母も両親も、わたしにとって憧れの夫婦像なの。もちろん貢のご両親もね」
「ありがとうございます。両親もそうおっしゃってもらえると喜んでくれるでしょう。僕たちもこれから、絶対にそんな夫婦になっていきましょうね」
「うん!」
せっかく好き同士で結婚できたんだもん、やっぱり目指すべきはお互いの両親や、祖父母のように仲睦まじい夫婦であり続けたい。子供が生まれてからも、年を重ねてからも、ずっとずっと。
「――それはそうと、貴方に一つ相談なんだけど……」
「相談? 何ですか?」
「うん……。急にまた仕事の話になっちゃって申し訳ないんだけど……、貴方にも役員になってほしいなあと思ってて。そうね、差し当たり専務のポストを引き受けてもらえないかな、って。行く行くは本部の執行役員に、と思ってるんだけど」
わたしの相談内容を聞いた彼は二、三度瞬いた後、ここが公共交通機関の車内だということも忘れて雄叫びを上げかけた。
「…………ぇえ~~~~っ!? ぼぼぼぼ、僕が、専務ぅぅぅ!?」