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第8話 自分の一次作品を二次にされると?

 ちなみにワタシは「おもしれーもっとやれ」組です。

 つか、かつて寮で同室だった友人がやってくれたことがあったけど、ワタシより上手かったわ! この!(笑)

 ……はともかく、「あーこの部分伝わってねえな」というのが判るのは面白かったし、当時はワタシのメアリ・スーだったキャラがもろディスられていたので「ゑ?」という気分でしたが。

 まあ自分自身がイタい人だったということに気付かなかった若い日々。


 そんじゃ今自分が書いた作品を二次にされて遊ばれたらどーか? なんですが。

 いやまあ実に楽しいと思います。

 ワタシも二次する側なんで、どういう解釈されるのかと思うとわくわくするんですな。

 全くの原作改変、これ世界そのもの変えてるだろ! だったら特に!

 だってそれ、「このキャラがこうだったらこういうパラレルワールドになるぜ」っていう可能性を作ってくれてるんだから、そら面白いわ。


 ちなみに二次小説を書かれてしまう作品というのは、「隙間がある」ものだと思っています。良く言えば「想像の余地がある」、悪く言えば「すかすかな部分がある」。

 その昔キャプテン翼や星矢とかあの辺りががんがんに二次にされたのは、設定がすかすかだ、ということがあったんですよねー。皆そのスカスカ状態のまんまで書いたり描いたら、そら面白くないですよ。

 つまりキャラがめちゃ濃かったので、そのキャラから逆算した過去を想像したりできたんですね。キャラ作品として強烈だった訳です。


 ところでワタシは自分が書く時には設定が揃ってからじゃねえと怖くてたまりません。その上で未来ものとか次世代ものとか書くのが好きなんですよ! それでもやっぱり人様の作った世界の延長線上に作ろうとはしているのですが、気がついたら自分のフィールドに持ち込んでいるという。


 なので、もし自分の作品を二次にされることがあったら、ワタシは書いたひとの背景を想像しますわ(笑)。

 だって吉屋信子の「作品」総ざらえして作者自身がどういう何とやらを持ってるのか考えるのが楽しかった奴ですぜ。

 書いたものには個性と、そのひとの背景が出てしまうんですよ。

 隠せるひとは上手い。だけどカクヨムとかその他自分で書くだけ書いてる人というのは、大概その辺り隠せませんって。どっかに「自分」が出る。

 つか「自分」が出るのはそれこそ文豪だってそうですがな。ワタシは夏目漱石の「文章」が嫌いで読めないんだけど、何というか文章からにじみ出てくる何とやらが嫌なんだよな。それが「透けて見える何とやら」だと思うのよ。

 その透けて見える何とやらを眺めるのは楽しいと、ワタシは思いますぜ(笑)。


 しかし残念ながら、友人が書いてくれたもの以外、二次は無し!

 かつての相方はイメージな絵は描いてくれたので、脳内で人物を映像化できない自分にはありがたかったですが、今はもうそれも無いし。

 二次にされるのはキャラがぶっとんで魅力ある場合ですからして。

 まあされるくらいなら、そのひとの作るキャラは何だかんだ言って良いのですよ。


 あ、ちなみに「らいとすたっふルール」にのっとった銀英伝の二次ってのは、何かと面白く無いです…… 個人の主観(笑)ですが。

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