「これで……くたばれ!!」
「ぐぼはぁ!!」
腹を押えてがっくりと力なく膝から崩れ落ちる男子。
「けっ!! 弱ぇのにケンカ売ってくんじゃねぇっての!!」
「ば、ばけもん……」
「あぁん?」
ずざざざっと後ずさりしていく男子。
「す、すみませんでしたぁ!!」
「「「あ!?」」」
すたこらと腹を抱えながら逃げていく男子を追いかけていく、その男子の取り巻き達。
「ちっ……。これからバイトだっつぅのに、無駄な体力使わせんじゃねぇよ……」
逃げていく背中を見ながら俺はため息をついた。
そして少しだけ汚れてしまったズボンや服を手で払い、そのまま目的地へと歩き出した。
俺、
まぁ先ほどの事があった事からも分かるとは思うけど、町を歩いているだけで、そこそこの腕自慢達は俺の顔を見たとたんに喧嘩を売ってくる奴か、そそくさと道路の端へと避ける奴かに分かれる。
一度なぐ――話し合いをいた後は、まず顔を見ただけでという事はなくなるのだが、中には何度も俺にぶっと――話し合いをしても分かり合えなかった奴もいる。
俺は元々が『不良』という印象が根付いてしまっているので、そういう状況になっても仕方がない事ではあるのだけど、出来れば学校のそばに来てまで絡んできて欲しくはない。
こんな俺でも一応は高卒くらいにはなっておきたいからな。
「お疲れ様です!!」
「おうお疲れさん!!」
「今日もよろしくお願いします!!」
「ははは。今日も元気じゃねか剛。遠慮せずにガンガンこき使ってやるからな!!」
「はい!! 着替えてきます!!」
しばらく歩いていると、お目当てのお店にたどり着き、もう一度服装をチェックしてから大きく深呼吸。
そうして勢いよく勝手口を開け挨拶をする。
決まって俺の対応をしてくれるのはお店の大将であり、この店のオーナーでもあるものすごくガタイの良いおじさんだ。
しかし面と向かっておじさんなんて言ったらそれこそ容赦なく拳が頭に舞い落ちてくる。この方こそが十年ほど前までこの辺りでは負け知らずと恐れられた伝説のヤンキー、
俺も中学生の頃は家庭の事情でけっこうヤンチャしていたのだけど、その頃の俺は自信過剰というか、自分が一番強いと思い込んでいて、ケンカなら誰でも構わずに買ってしまう程、まぁ要するに粋がっていたわけなのだけど、ケンカして体のそこら辺をケガして街中を歩いていたら、いきなり後ろから首を絞められた。
そしてそのままこの『耀家食堂』へと連れ込まれ、訳の分からないまま制服を脱がされて、ティーシャツの上に真っ白な作業着を着せられ、前掛けをして調理場の一番奥にある洗い場の前に立たされた。
「洗え」
「はぁ? なんだよ!! 誰だよおっさん!! 知らねぇよ!! こんなことやってられっか!!」
「い・い・か・ら・やれ!!」
「……ちっ」
見ず知らずのオジサンの迫力に押されたわけじゃないけど、結局は目の前に溜まりまくっている使用後の食器を見て舌打ちをする事しかできない。
そうして溜まっている食器などを洗って行くのだけど、もちろん食洗器なんてものを使えるわけもなく、一つ一つ手洗いする。
俺が洗い物をしている時にチラッとおじさんの方へと視線を向けると、先ほどとは全く違う、今度は真剣な眼差しをしてフライパンを振り、鍋の中の味見をししている間に、おじさんと一緒に所狭しと動き回るオバサンが新たな食器を出し、そこへオジサンが料理したものを移し替えて見栄え良く整えると、おばさんがタイミングを計ったかのように厨房の前のテーブルへと差し出す。
それを手にした接客をしていたオバサンよりも年上のおばちゃんがお客さんの所へと運んでいく。
それが声を出されずに行われているのだ。
――すげぇ……何かかっこいいじゃん!!
こういうのを阿吽の呼吸というのだろうか。俺はしていた洗い物していた手をしばらく止めて、その流れを黙って見ていた。
「坊主……」
「え!?」
どの位経ったのか分からないけど、気が付くと俺の横に体の大きな男の人が立っていて、おじさん達が休みなく動きどんどん料理を作りは混んでいくのを黙って一緒に見ている。
「料理ってのはな、一人だけじゃできねぇんだ」
「はぁ?」
「あの材料を作る人がいて、その材料を運ぶ人がいて、料理する人がいて、食べる人がいる」
「そんなの当たり前じゃねぇか!!」
「そうか? 誰かが抜けても料理は完成しねぇんだぜ? そうしてみんな働いて一生懸命に生きるためのお金を稼いでるんだ」
「そ、それがどうしたってんだ。あんたに関係ねぇだろ!? つうか誰だよアンタ!!」
「俺か? 俺ぁな、この店の元店長ってやつだ。今は体が動かねぇもんでな。そこ若造にみせ任せてる」
「え? そこの若造って……」
「助!!」
すると隣の男の人は大きな声を出してオジサンと思われる名前を呼んだ。
「ん? おうなんだよ大将。起きてきて大丈夫なのか?」
「ちょっと起きるくらい心配いらん。この子がそうか?」
「ん? あぁ……お前さぼって……。まぁいいや。そうだこいつが頼まれた奴だよ」
「そうか。何となくだが、昔のおめぇに似てやがるな」
「ちっ。まぁ粋がってるって事だけは似てるかもしんねぇな」
「そうか。ちょっとこの坊主かりるぞ」
「あん? まぁ……しょうがねぇな。美麗すまん洗い物してくれねぇか!!」
「はぁ~い!!」
助と呼ばれたオジサンが声を掛けると、先ほどのオバサンが俺の隣まできて、俺にニコリと微笑み頼ものを始める。
「行くぞ坊主」
「え? あ!! ちょ、ちょっと待てよ!! 今度は何処にって聞けよ!!」
首根っこを掴まれるなんて言葉を聞いたことが有るいけど、本当にそんな状態で俺は店の奥のドアを越え、さらに奥へと連れていかれた。
「さて坊主」
「なんだよ」
「お? 威勢がいいのはいい事だ」
「ちっ」
ドアをくぐり、廊下を歩いていくと家族が暮らしていると思われるスペースが現れて、リビングのソファーに座るように促される。遠慮なく℃仮と腰を下ろすと、フッと笑って隣の部屋へといった男の人がお茶を入れて戻ってきた。
「お前さん。感心せんな」
「なんだよ急に」
「その態度はまぁいい。しかしな母親に心配をかけてしまっていてはダメだろう?」
「な、何でここで母さんの話が出るんだよ」
「お前さんの母親に頼まれてな。お前さんの事を鍛え直してやってくれってな」
「はぁ? 鍛え直すって何だよ。今の俺は強いぜ? あんた……良く見たらじじいじゃねぇか。あんたなんて簡単に「やってみろ」――え?」
目の前の白髪の爺さんが俺をしっかりと見据えている。まったく視線を崩さず、そしてどこか体調が悪いと先ほど言っていたはずなのに、まったく体がぶれない。そしてなんというか――大きく見えるのだ。
「……」
「出来んか? 安心しろ。坊主ごときじゃケガなどせん。まぁお前さんには分からんかもしれんがな。これが守るものがある物の強さを経験してきた者の強さだ」
「…………」
「確かに働かないで酒ばかり飲んでる親父さんに反発する気持ちはわかる。わかるがそれを他人にぶつけてどうする? しかも一番悪い手でな。まぁどこにぶつけていいかわからんという事も分かるが、それでもお前さんを育てるため、懸命になって働く母親に今のお前は何を返している? お礼を言ってるか? 言っておらんだろ? それどころか文句すら言ってるんじゃないのか?」
目の前の爺さんがいう言葉に反論できない。なぜならその通りだからだ。
「今のままじゃお前さんは落ちるとこまで落ちてしまいそうだと、わしに相談に来たんじゃ。まぁわしには助のやつをあんな感じにしたという実績があるもんでな」
「え? あのオジサンも?」
「オジサン……。まぁお前さんからすりゃ、25も、26も30もオジサンに違いねぇ」
ガハハと笑う爺さん。
「アイツの前や、美麗の――わしの娘の前では言うなよ。助はいいとしても美麗は怒らすとわしですら怖いからな」
またも豪快にはっはっはと笑う。そして――
「どうじゃお前さん。ここで稼ぐって事の大切さ学んでみんか?」
「学ぶって……何で俺が……」
「前さんもこのままじゃいけねぇとは心の隅で思ってるんだろ? ならものは試しだ」
「……考えさせてくれ」
「おう!! いつでも待ってるからな!!
そうして俺はその日は解放されたのだが、町で何かをしようという気はもうなくなっていて、そのまま飲んだくれの親父が居るであろう家へと真っすぐに帰宅した。
「いらっしゃいませ!!」
「おう!! 今日も威勢がいいじゃねぇか剛」
「当たり前っすよ助さん!! 俺から元気を取ったら何にも残らねぇっすからね」
「そんな事はねぇだろ。まぁいいや。今日の賄は旬のサバを使った竜田揚げだ。これ食ってもう少し頑張れ」
「おぉ!! 俺それ好きなんすよね。マジで感謝数よ。あの時、食ったのが忘れられないんス!!」
「あぁ……あの次の日のやつか?」
そう俺はあの次の日にはもう、この『耀家食堂』で働き始めたのだった。それまではケンカする事しか『やる事』が無かった俺だけど、一日よく考え気が付いたら店の前へと向かっていたのだ。
初日だしまだ中学生だったという事もあって、簡単な事だけしかさせてもらえなかったけど、しっかりと『働く』という事をした後に出してもらった、サバの竜田揚げが今まで食って来たものの中でも抜群にうまく感じたのだ。
中学を卒業するまでは、本当に些細な事を手伝う感じだったけど、このまま俺はお店でバイトを続けていこうと決めた。そしてバイトとして雇う条件として高校にはしっかりと通う事もいい渡されていたから、手伝いの後には勉強をしていた。
これには助さんの奥さんである美麗さんが面倒を見てくれて、どうにか自分でも行けそうな高校へと進学することが出来たのだった。
こうして俺は今、普通に高校へと通いながらバイトをしているのだけど、高校に入ったばかりの頃はほんとうにバイトが楽しくて、今までしていたケンカばかりの毎日がばからしく思えるほどに充実していた。
なんと荒れていた俺の事を好きになってくれる女子もいて、それが中学時代のクラスメイトで同じ班の班長をしていた女子。
実は色々と中学時代にやらかした事を陰でかばってくれていたらしい。後々ではあるけど、中学時代のクラスメイトに偶然会った時にその事を初めて聞かされた。
それからは彼女と共に歩んでいこうと決意するには十分だ。何しろ荒れていた俺の事をそこまでも心配してくれていたなんて、自分の母親と耀家食堂の人達以外にもいてくれたという事が嬉しかったから。
今までは町に出ればそういう輩に声を掛けられることもあったけど、バイトをするようになってからは、本当にめっきりとそういう事は少なくなっていき、高校卒業を迎える頃には、まったくと言っていい程俺の周囲からそういうやつらの影を感じる事はなくなった。
まぁこれも助さんや、今となっては引退した元大将が関係しているんじゃないかと睨んでいるけど、俺が何かを聞いたりすることはない。
――だって聞いても絶対に答えてくれなさそうだし。それに恩を返せなくなりそうだし。きっといつか返して見せる!!
「いらっしゃいませ!! こちらへどうぞ!!」
今日もまた店の中で元気いっぱいに声を張る。今の俺にはソレしかできないから。
そして数年後――。
「剛!! ソッチできたか!?」
「ハイ助さん!! 今揚がりました!!」
厨房で助さんの指示を聞かなくても仕上げまで任せてもらえるようになった俺は、この春から調理師として資格を取って、助さんの隣にようやく立てるようになった。もちろん経験値は違い過ぎて俺なんか「まだまだだ」とよく言われるけど、それでも俺の『恩返し』の第一歩に近づいている事に変わりはない。
「はいよ!! サバの竜田揚げ定食よろしく!!
お店には俺に因んだ料理が定番メニューとし提供され始めていた。