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第十三話 繋いだ手のぬくもり

 自分達の様子を見兼ねて、助け舟を出したのは妹、シェリルだった。



「お兄様、朝食はお済みですか?」


「いや、まだだが……」



 シェリルの問い掛けに、ルーカスは首を横に振った。



「それでしたら、イリアさんとご一緒に召し上がるのは如何いかがでしょう? 今日はお天気も良いですし、庭園でお話ししながらゆっくりと。きっと素敵な時間になると思いますよ」



 シェリルが「ね?」と小首をかしげる。



(美味しい物を食べて、庭師の整えた優美な庭園をながめながら会話を交わせば、緊張もやわらぐのではないか——と、そう言うことか。

 確かに、いいかもな)



 ルーカスはシェリルの提案に乗る事にした。

 そうと決まれば、まずは食事へ誘うところからだ。


 自分から女性をさそうのは、不得手で気恥ずかしさもあるが、ルーカスは作法さほうのっとって、礼儀正しく紳士的な振る舞いを心掛ける。

 右手を後ろ腰へ回し、左手のひらを上へ向けて、そっとイリアの前に差し出した。



「レディ、よろしければご一緒に朝食は如何いかがですか?」


「え!? えっと……?」



 差し出された左手に、イリアは戸惑っているようだ。

 すると、イリアの耳元にシェリルが口を寄せる。



(気まずいのでしたら、断っても大丈夫ですよ。受けるのであれば右手をお兄様の手の上へ)


(は、はい)



 ひそひそとやり取りが聞こえた後。

 イリアはおずおずと右手を伸ばし、ルーカスの手のひらにのせた。


 イリアが「お願いします」と言って、見つめてくる。

 承諾しょうだくの意に嬉しさが沸く。


 ルーカスは「こちらこそ」と口にしながら目尻を下げ、口角をわずかに上げた。


 かち合った勿忘草わすれなぐさ色の瞳は変わらずに澄んでいて——綺麗だなと思った。



「では、お兄様はイリアさんのエスコートをお願いしますね」



 シェリルはそう言い残して「私もお兄様と一緒に居たかったのになぁ」とつぶやくシャノンと「邪魔したらだめですよ」と諫めるリシアと共に、屋敷の中へ入って行った。


 使用人達も一礼ののち、各々の仕事へと戻り、玄関前にはルーカスとイリアの二人が残された。



「それでは参りましょうか、レディ」


「はい」



 ほんのりと頬を赤らめたイリアの手をルーカスは引いて、庭園への道のり、レンガのかれた歩道へ。

 彼女をリードして、芝生しばふと、色とりどりな花が賑やかな花壇を横目に進んだ。


 しばらく歩いたところで、ふとルーカスは思う。



ひじを上げた状態のまま歩くのは辛いよな)



 こういう時、以前はどうしていただろうか? と一考して。



(手を繋ぐか、腕を組むか……だったな)



 しかし、腕を組むのは親しい相手の場合に限る。

 今の彼女にとって、自分は見知らぬ異性に他ならない。

 選択の余地はない。


 ルーカスはイリアの手を握って、下ろした。


 彼女の手は自分よりも小さくて、やわらかだ。

 手を添えるだけよりも近く、直に触れる手のひらからイリアの体温が……温かなぬくもりが伝わってくる。



(——自分でやっておいて、あれだが……手を繋ぐというのは、気恥ずかしいものだな)



 ちらりとイリアの横顔を盗み見ると、耳が赤くなっていた。

 彼女も気恥ずかしさを感じているのだろう。その様子に、更に恥ずかしさが増して来た。



(……失敗した。あのまま手を添えてリードしていた方が……。

 ——いや、それだと体勢を維持するイリアが大変だと思ったから、手を繋いだわけで……)



 こう言った事は、ルーカスが苦手とする分野だ。

 社交の場であれば割り切って行動できるが、今は違う。


 何が最善だったのか、と心の中の自分とルーカスは討論を交わした。


 けれど、繋いだ手は離さない。



(恥ずかしいからと逃げるのは、紳士に有るまじき行為こういだ。騎士道にも反する)



 気恥ずかしさから沈黙が続く中。管理が行き届き美しい景色を保つ庭園を歩くルーカスの頬は、熱をび朱に染まっていった。


 そよぐ微風びふう火照ほてった頬をでる。

 その冷たさが、心地良く感じられた。






 緊張がやわらぐどころか、羞恥心から余計に気まずい空気となってしまったが、何とかイリアをエスコートして朝食の席——庭園の景色を楽しむために壁をなくし、柱と屋根で造られた八角形の東屋ガゼボへルーカスは辿たどり着く。


 そこには上品な意匠のテーブルと椅子が二つ。

 テーブルには白いレース生地のクロスが敷かれ、その上にカトラリーが並んでおり、準備は万全に整えられていた。



(ようやく着いた……)



 ルーカスはテーブルの近くまで来ると繋いだ手を離し、ほっと溜息を一つ。


 それから椅子を引いて、イリアが着席するのを待った。

 イリアは椅子に腰を下ろすと、「ありがとうございます」と赤らんだ頬で微笑んだ。


 ルーカスはむずがゆい気持ちをいだきながら「どういたしまして」と微笑み返すと、自分も反対側の椅子へ腰を下ろした。


 対面したイリアがまぶたを閉じて深呼吸をしている。

 彼女の頬の赤みは幾分か引いたように見える。


 自分はどうだろうか、と思って頬に触れる。こちらはまだ熱が残っている気がした。


 そんな事をしていると、イリアは閉じたまぶたを開き、じっとこちらを見つめた。


 ルーカスの好きな色。勿忘草わすれなぐさ色の瞳。

 何度見ても、澄んで綺麗な色をしている。


 彼女はその瞳でこちらを射抜いて。



「ルーカスさん。ありがとうございます」



 薄桃に色付く唇で言葉をつむいだ。

 ルーカスはそれが何に対するお礼かわからず、首をひねる。



「エスコートのお礼なら、さっき聞いたぞ?」



 銀の髪を揺り動かして、イリアが首を横に振った。



(他に何か……礼を言われるような事をしたか?)



 思い当たるふしはない。

 むしろ目覚めた時の件を謝らなければ、と考えていたところだ。



「……ちゃんと伝えないとって思ってたんです。あの時、魔獣から助けてくれた事。ここに保護してくれた事も。感謝しています、ルーカスさん」



 イリアが深々と頭を下げた。

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