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第六話 伝えるべき言葉を胸に

 声に出すつもりはなかったのに、思わず漏れ出た言葉にイリアは自分で驚く。

 シャノンとシェリルが、にやりと擬音の付きそうな含み笑いを浮かべた。



「お兄様が気になるの?」


「えっと、ちゃんとお話をしたいと思ったんです。手紙には『急な任務ですぐには戻れそうにない』と書かれていましたが、何かあったんですか?」


「んー、まあよくある事よ。お兄様が駆り出される案件って言ったら、最近は魔獣絡みの事件で……」


「シャノンお姉様!」



 語気を強めたシェリルの声が響く。咎めるような声色だ。

 シャノンが「しまった」という顔をして焦りを見せる。


 魔獣と聞いて思い出すのは、リシアと出会った時の記憶だ。


 ——禍々まがまがしい黒いオーラを放つ熊に似た生物、魔熊まゆう


 普通の熊の何倍も大きく鋭利えいりに発達した牙と爪には鮮血がしたたり、血走った眼球と赤い瞳が獲物を探してギロリと動いていた。


 剛腕による薙ぎ払いは、騎士の躯体くたいをいとも簡単に投げ飛ばし、空から赤い血潮ちしおき散って——あの恐怖が鮮明に思い起こされる。


 イリアは不安から逃れるようにぎゅっと拳を握りしめた。



「魔獣って、あの時の……? 大丈夫なんですか!?」


「だ、大丈夫よ! だってお兄様は物凄く強いもの。大群って言ってもすぐに片付けて帰ってくるはずよ!」



 取り繕うように言い終えたシャノンが「——あ」と口元を覆ったが、つむがれた言葉はイリアの耳にしっかり届いていた。



「たい、ぐん……?」



 驚愕する。一体でも脅威きょういだったのに、あんな魔獣が沢山。想像しただけでゾッとした。


 「お兄様は物凄く強い」と彼女は言うが、実際目にした訳ではない。

 彼が無事でいられる保証などない。



(……怖い)



 彼が危ないと思うと、胸がざわついた。

 そして、脳裏にノイズ掛かった断片的な情景——崩れる大地、マナの煌めき、泣き叫ぶ青年——が浮かんで、消えて。



(痛い……苦しい……!)



 頭が鈍器で殴られたように痛み、得体の知れぬ激しい感情に揺さぶられ、胸が引き裂かれそうになった。



(一瞬、浮かんだ映像は……何? 彼と、私は……)



 顔を合わせたのはほんの一瞬。過去の自分は面識があったと言うが、実感はない。

 ……だと言うのに。


 胸に手を添えると、心臓がドクドクと早鐘はやがねを打っていた。



(どうして、こんな……こんな気持ちになるの? わからないよ……)



 やり場のない思い。不安、だろうか。どんどん膨らんでいく。イリアは、痛む頭と胸を押さえて、うつむいてしまった。



「イリアさんは団長さんが何処に行ったのか、知らされてなかったんですね」


「余計な心配をかけたくなかったのだと思います。なのにシャノンお姉様は……」


「ごめんってば……」



 彼女たちの会話はイリアの耳には入って来なかった。

 そうして、痛みと不安に塞ぎこんでいると——。



「大丈夫ですよ」



 と、優しげな声が降り、誰かの温かな手が、頭を押さえる手に重ねられた。イリアは伏せた顔を上げる。


 瞳に映ったのは、慈愛に満ちた面差おもざしのリシアだ。彼女がひざを折って寄り沿っていた。



「団長さんなら、大丈夫です。イリアさんは覚えていないみたいですけど、あの日私達を助けてくれたのは団長さんなんですよ。すっごく強くて格好良かったんですから!」


「……ルーカスさんが?」



 リシアは「はい!」と大きく頷いて見せた。

 彼があの魔獣を仕留めたというのは、今初めて知る事実だった。


 あの時は、浮かんだ旋律せんりつを歌へとつむぐのに必死で、周りを気にする余裕なんてなかったのだ。



「そうそう、お兄様は本っ当に強いのよ! 〝力〟を使えば、この国でお兄様の右に出る者はいないわ。女神教の使徒しとや、帝国軍だって目じゃないんだから!」


「そうですね。伊達に〝救国の英雄〟と称えられ、団長の肩書を背負っている訳ではありません。必ず任務を成功させ、無事に帰って来られます」



 シャノンとシェリルは得意気だ。不安など微塵も感じさせず、笑顔すら浮かべて堂々としている。



「私達ではどう足掻いてもかなわなかった魔獣を一瞬でしたからね! お世辞ではなく、団長さんであれば、すぐに解決しちゃいますよ! 信じて待ちましょう」



 「ね?」と、リシアは花が咲いたような笑顔を浮かべた。


 その笑顔は、あの日何も思い出せず焦燥しょうそう感にさいなまれていたイリアを束の間、安心へと導いたもの。不思議と心が落ち着いて行く。



(……ルーカスさんなら、大丈夫……)



 イリアはまぶたを閉じて、深呼吸をした。

 気持ちをしずめるためにゆっくり、ゆっくり。何度か繰り返すと、早鐘はやがねを打っていた心臓は落ち着き、頭痛と胸の痛みも消え去った。


 まぶたを開いて、リシアと双子の姉妹を見る。

 彼女達は変わらず笑顔をたたえていた。



「ありがとうございます。シャノンさん、シェリルさん、リシアさん。私も、信じます。ルーカスさんは無事に帰って来るって」



 イリアは微笑んだ。すると、彼女達は満開の笑顔を見せて。



「今はお茶会を楽しまなきゃね! まだ聞きたい事も話したい事もたっくさんあるんだから」


「よろしければ、お茶菓子も召し上がって下さいね。わたくしの手作りですが、腕には自信があるんです」


「そうなんですか!? ふわぁ……てっきりお店の物だと思っていました。どれもとっても美味しそうです」



 場の雰囲気がなごやかになり、お茶会らしい話題が上がった。


 リシアがお茶菓子を楽しそうに見つめながら、自分の席へと戻っていく。彼女は席に着くと「イリアさんは、どのお菓子にしますか?」と問い掛けて来て、ケーキスタンドへ目を向けた。


 宝石のように輝き、芸術品のように美しい造形のお菓子プティ・フールが並んでいる。

 イリアは「全部食べてみたい」と口走りかけて、寸前で言い留まる。


 元気になった途端そんな事を言っては——。



(食い意地が張ってると思われちゃう……!)



 食欲に忠実な自分に恥ずかしさを感じて黙っていると、「イリアさん?」と、三人から心配そうな視線を向けられた。誤解で余計な気遣いをさせるわけにはいかない。


 イリアは「どれも、素敵で見惚れちゃってました」と笑って誤魔化し、いくつかのお茶菓子を皿に取り分けた。


 その後は終始和気あいあいと。女の子らしい話に花を咲かせ、楽しい時間が流れて行った。






 楽しい時間の中、イリアは願う。


 戦場へおもむいた彼の無事を。

 何事もなく再会できる日が来ることを。



(私は、知らないところで彼に助けられていた。それなのにまだ……お礼も、伝えていない)



 彼は過去の自分へと繋がる、唯一ゆいいつの手掛かり。失った記憶を取り戻したいと言う気持ちは当然ある。


 けれど——。



(どうか無事に戻って来て……)



 記憶の事など関係なく、彼の無事を強く願った。


 彼の柘榴石ガーネットのようにあざやかで深みをびた、あかい瞳が思い出される。思い出して、胸が高鳴った。


 もしかしたら——と、イリアは思う。



(ルーカスさんは、記憶を失う前の私にとって、大切な存在だったのかな……)



 心配で不安になるのも、この胸の高鳴りも、全部。そうならば納得が行く。



(……ルーカスさん)



 彼が帰って来たら、今度こそ。目を逸らさず、あの美しい瞳を真っ直ぐ見つめて話そう、とイリアは心に決める。


 まずは「ありがとう」と感謝を伝えて、それからこの胸の内にき上がる思いを——。

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