声に出すつもりはなかったのに、思わず漏れ出た言葉にイリアは自分で驚く。
シャノンとシェリルが、にやりと擬音の付きそうな含み笑いを浮かべた。
「お兄様が気になるの?」
「えっと、ちゃんとお話をしたいと思ったんです。手紙には『急な任務ですぐには戻れそうにない』と書かれていましたが、何かあったんですか?」
「んー、まあよくある事よ。お兄様が駆り出される案件って言ったら、最近は魔獣絡みの事件で……」
「シャノンお姉様!」
語気を強めたシェリルの声が響く。咎めるような声色だ。
シャノンが「しまった」という顔をして焦りを見せる。
魔獣と聞いて思い出すのは、リシアと出会った時の記憶だ。
——
普通の熊の何倍も大きく
剛腕による薙ぎ払いは、騎士の
イリアは不安から逃れるようにぎゅっと拳を握りしめた。
「魔獣って、あの時の……? 大丈夫なんですか!?」
「だ、大丈夫よ! だってお兄様は物凄く強いもの。大群って言ってもすぐに片付けて帰ってくるはずよ!」
取り繕うように言い終えたシャノンが「——あ」と口元を覆ったが、
「たい、ぐん……?」
驚愕する。一体でも
「お兄様は物凄く強い」と彼女は言うが、実際目にした訳ではない。
彼が無事でいられる保証などない。
(……怖い)
彼が危ないと思うと、胸がざわついた。
そして、脳裏にノイズ掛かった断片的な情景——崩れる大地、マナの煌めき、泣き叫ぶ青年——が浮かんで、消えて。
(痛い……苦しい……!)
頭が鈍器で殴られたように痛み、得体の知れぬ激しい感情に揺さぶられ、胸が引き裂かれそうになった。
(一瞬、浮かんだ映像は……何? 彼と、私は……)
顔を合わせたのはほんの一瞬。過去の自分は面識があったと言うが、実感はない。
……だと言うのに。
胸に手を添えると、心臓がドクドクと
(どうして、こんな……こんな気持ちになるの? わからないよ……)
やり場のない思い。不安、だろうか。どんどん膨らんでいく。イリアは、痛む頭と胸を押さえて、
「イリアさんは団長さんが何処に行ったのか、知らされてなかったんですね」
「余計な心配をかけたくなかったのだと思います。なのにシャノンお姉様は……」
「ごめんってば……」
彼女たちの会話はイリアの耳には入って来なかった。
そうして、痛みと不安に塞ぎこんでいると——。
「大丈夫ですよ」
と、優しげな声が降り、誰かの温かな手が、頭を押さえる手に重ねられた。イリアは伏せた顔を上げる。
瞳に映ったのは、慈愛に満ちた
「団長さんなら、大丈夫です。イリアさんは覚えていないみたいですけど、あの日私達を助けてくれたのは団長さんなんですよ。すっごく強くて格好良かったんですから!」
「……ルーカスさんが?」
リシアは「はい!」と大きく頷いて見せた。
彼があの魔獣を仕留めたというのは、今初めて知る事実だった。
あの時は、浮かんだ
「そうそう、お兄様は本っ当に強いのよ! 〝力〟を使えば、この国でお兄様の右に出る者はいないわ。女神教の
「そうですね。伊達に〝救国の英雄〟と称えられ、団長の肩書を背負っている訳ではありません。必ず任務を成功させ、無事に帰って来られます」
シャノンとシェリルは得意気だ。不安など微塵も感じさせず、笑顔すら浮かべて堂々としている。
「私達ではどう足掻いても
「ね?」と、リシアは花が咲いたような笑顔を浮かべた。
その笑顔は、あの日何も思い出せず
(……ルーカスさんなら、大丈夫……)
イリアは
気持ちを
彼女達は変わらず笑顔を
「ありがとうございます。シャノンさん、シェリルさん、リシアさん。私も、信じます。ルーカスさんは無事に帰って来るって」
イリアは微笑んだ。すると、彼女達は満開の笑顔を見せて。
「今はお茶会を楽しまなきゃね! まだ聞きたい事も話したい事もたっくさんあるんだから」
「よろしければ、お茶菓子も召し上がって下さいね。
「そうなんですか!? ふわぁ……てっきりお店の物だと思っていました。どれもとっても美味しそうです」
場の雰囲気が
リシアがお茶菓子を楽しそうに見つめながら、自分の席へと戻っていく。彼女は席に着くと「イリアさんは、どのお菓子にしますか?」と問い掛けて来て、ケーキスタンドへ目を向けた。
宝石のように輝き、芸術品のように美しい造形の
イリアは「全部食べてみたい」と口走りかけて、寸前で言い留まる。
元気になった途端そんな事を言っては——。
(食い意地が張ってると思われちゃう……!)
食欲に忠実な自分に恥ずかしさを感じて黙っていると、「イリアさん?」と、三人から心配そうな視線を向けられた。誤解で余計な気遣いをさせるわけにはいかない。
イリアは「どれも、素敵で見惚れちゃってました」と笑って誤魔化し、いくつかのお茶菓子を皿に取り分けた。
その後は終始和気あいあいと。女の子らしい話に花を咲かせ、楽しい時間が流れて行った。
楽しい時間の中、イリアは願う。
戦場へ
何事もなく再会できる日が来ることを。
(私は、知らないところで彼に助けられていた。それなのにまだ……お礼も、伝えていない)
彼は過去の自分へと繋がる、
けれど——。
(どうか無事に戻って来て……)
記憶の事など関係なく、彼の無事を強く願った。
彼の
もしかしたら——と、イリアは思う。
(ルーカスさんは、記憶を失う前の私にとって、大切な存在だったのかな……)
心配で不安になるのも、この胸の高鳴りも、全部。そうならば納得が行く。
(……ルーカスさん)
彼が帰って来たら、今度こそ。目を逸らさず、あの美しい瞳を真っ直ぐ見つめて話そう、とイリアは心に決める。
まずは「ありがとう」と感謝を伝えて、それからこの胸の内に