——記憶喪失。
予想だにしない事実に、ルーカスは衝撃を受けていた。同時に、己の行動を猛省する。
(……
イリアが目覚めたと
彼女は、泣いていた。
ルーカスの好きな
彼女は、彼女の大切な人——祖父のように慕っていた、前
そんな彼女が泣いている。
涙を目にして、ふつふつと、ある感情が沸き上がった。
熱く激しい、怒りの感情。
〝何か〟があったのは確実。その〝何か〟を対面するファルネーゼ卿がしたのではないか。
そうでなかったとしても、理由を知っているはずだ、と。話を聞いて考えるよりも先に、体が動いていた。
烈火の
(イリアを傷つける者は、誰であろうと許さない。例え、幼い頃から見知った親しい相手だとしても、決して)
けれど「貴方が誰かはわかりません!」と言われて、頭が真っ白になった。
自分を認識していない。その事実が、信じられなかった。
視線を向ければ、怯えた様子で瞳を逸らされてしまい、これまでの彼女とは違う、違和感を覚えた。
(まさか、記憶を失っているなんて……)
誰が予想出来ただろう。
突然、頭を抱えて苦しみ出した事も含め、予想外の事ばかりで、ルーカスは歯痒さを感じずにはいられなかった。
❖❖❖
応接室。ファルネーゼ卿と腰を据えて話す。
内容は勿論、彼女の状態について。
「単刀直入に聞く。彼女の記憶は、戻るのか?」
「なんとも言えませんな。お嬢さんの様子を見るに、手続き記憶と意味記憶——つまり経験や繰り返しで得られた技能やコツ、プロセスなど体で覚えた記憶と、一般知識や常識に関する記憶には問題ない。
自身に関する事、関わりのあった人物や、自分が体験した出来事の記憶などを思い出せないようですな。
頭痛という変調も見られる。無理に記憶を取り戻そうとしてはなりません。さっきも言ったように、現時点では安静第一ですな。それと——」
ルーカスは手を組み合わせて、握り込んだ。
イリアが目覚めた事は嬉しいが、手放しで喜べる状況にはない。
(一体、何があったんだ……)
刃物で
政争、闘争、
——はたまた何者かの思惑か。
(いずれにしても、彼女の実力を考えれば害をなせる人物は限られる。もし
ルーカスはそう結論付けた。教団に動きが見られないのであれば、
(……そういえばこの一年、イリアは表舞台にあまり出ていなかったな。
連絡も……職務に追われて、最近は取った覚えがない)
ルーカスが特務部隊の団長に任命されたのは昨年の春。約一年前だ。慣れぬ団長の職務と立て込む任務に忙殺され、色々と余裕がなかった。
(ルキウス聖下の逝去と新教皇の就任。
表舞台から遠ざかった彼女。
そして今回の件……何か関係しているのか?)
けれど、線に繋げるには情報が少なすぎる。
どのような思惑が動いているのかわからないため、今は静観すべきだろう。
——と、考えをまとめていると、いつの間にか部屋は沈黙に包まれていた。
ファルネーゼ
ルーカスがファルネーゼ
「すまない。思考に
「まずはお嬢さんが安心できる環境を整えるのが宜しいかと。その上で今一度、詳しい検査をしてみましょう」
「安心できる環境、か」
彼女の記憶が戻るまで安全な場所を提供し、敵から守り抜く事も。今の自分であれば難しくない。
ふと、ルーカスは、生前ルキウス聖下と交わした約束を思い出す。
『もしこの先あの子が困っていたら、その時は手を差し伸べてあげてくれないか?』
今がまさに、その時ではないだろうか。
(何より、イリアは俺にとって大切な存在だ。
ルキウス聖下との約束を抜きにしても、守りたい大切な……)
——ならばやる事は決まっている。
決意を胸に、ルーカスは立ち上がり。
「ファルネーゼ
謝罪の意を込めて頭を下げた。
「顔を上げて下され、若様。むしろ
過去にはお辛い経験もなされたでしょうが、近い内にいい知らせが聞けそうですな?」
「……
「はっはっは! 心配せずともわかっております。治療についても出来る限りを尽くしましょう」
彼女の事で
一日に何度も同じような事を言われれば、嫌でも気付かされる。
(どうも俺は、イリアの事となると周りが見えなくなってダメだな……)
ルーカスは「気を付けよう」と、一層の自制心を持って行動する事を、己の心に深く