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第八話 グランベル公爵家

 聖歴せいれき二十五にじゅうご年 エメラルド月十二じゅうに日。

 エターク王国首都・城郭じょうかく都市オレオール、グランベル公爵家。


 時刻は黎明刻れいめいどき、大空がしらみ、明け渡り始めた頃。

 邸宅内の客室をルーカスは訪れた。


 扉を開くと、正面にはテラスへと続く大きな窓がある。

 ルーカスは入室すると、換気のため窓を僅かに開いた。


 そよぐ微風が刺繍ししゅうの施されたレースカーテンをひそやかに揺らす。


 ゆったりとした大きさのベッドの上には、魔獣討伐任務の折、保護した彼女。イリアの眠る姿があった。



(……まさか、こんな形で再会するとは)



 最初は見間違いかと思った。しかし——。


 光に反射して輝く長い銀糸。

 可愛らしく、容姿端麗ようしたんれいな目鼻立ち。

 たった一人で領域魔術を行使する優れた力。


 何より、あの歌声。記憶に深く刻まれた歌声は、間違えようがない。

 全ての要素が、彼女本人である事を告げていた。



(何故、君があんな場所に……)



 理由はわからないが、本来であればあのような場所にいるはずがないのだ。



(それに……リシアの話によると、腹部に負傷しており、それは刃物の刺し傷に似ていたと聞く。怪我を負って倒れていたという話ですら、にわかには信じ難い言うのに……)



 だが、彼女は此処ここに居る。

 夢や幻ではなく、手を伸ばせば届く距離に。現実を認めざるを得なかった。


 おだやかな顔で眠り続ける彼女の頬へ、自然と手が伸びる。

 触れる寸前で、ルーカスは手を止めた。


 家族でも恋人でもない異性。ましてや意識のない相手に気安く触れるなど、不作法ぶさほうにも程がある。


 不自然に静止した拳を握りしめ、力なく下ろす。

 今日も彼女が目覚める気配はない。



「イリア……」



 あれから一週間。イリアはいまだ目覚めず、眠り続けていた。






❖❖❖






「おはようございます。お兄様」



 客室を出たところで目覚めの挨拶が聞こえて、ルーカスは自分を「お兄様」と呼んだ人物を探した。


 長い廊下へ視線を向けると、桃色の髪の少女が居た。

 腰まで伸びたふわふわのウェーブがかった髪に、ルーカスと同じ柘榴石ガーネットの輝きを持つくりっと大きな瞳。



「おはよう、シェリル。早いな」



 ルーカスは口角を上げて、フッと微笑んだ。

 シェリル・フォン・グランベル。少女は今年、十八歳じゅうはっさいを迎えて成人したばかりの妹の一人。



「お兄様こそ、お早いですね。……お客様の様子はどうですか?」


「目覚める様子はないな。医者の話では怪我は完治、術の反動によるマナ欠乏症けつぼうしょうからも回復して、身体的には問題ない様なんだが」


「そうですか……。早く目を覚まして下さる事を祈るばかりですね」


「……ああ」



 ルーカスは無意識のうちに口を引き結び、視線を落としていた。



「お兄様、きっと大丈夫ですよ」



 眉根を下げ、うれい顔のシェリルが、ルーカスをのぞき込んだ。

 心配をかけてしまったようだ。


 こんな気弱な姿を見せるなんて「兄失格だな」と思いつつ、はたと気付く。

 の姿が見えない事に。



「シェリル、シャノンは?」


「シャノンお姉様ですか? お姉様ならぐっすり夢の中でしたよ?」


「それは……困ったな」



 シャノンはシェリルの双子の姉。二人は一卵性の双子の姉妹だ。

 数分早く生まれたシャノンをシェリルは「お姉様」と呼んでいる。



「そう言えば昨晩『明日はお兄様と一緒に出勤するんだー♪』と言っていましたね。なら、今頃慌てて起きた頃かも。お姉様ってば、朝は弱いのに無茶な約束をしますね」



 シェリルがくすりと愛らしい微笑みを浮かべた。シャノンの慌てっぷりを想像したのだろう。


 ルーカスも半泣きで身支度を整える妹の姿を想像して。釣られて笑みをこぼした。


 一緒に出勤——と言うのも、シャノンとシェリルも騎士団に籍を置く軍人だからだ。


 グランベル公爵家は古くから多くの騎士や魔術師を輩出してきた、軍人の家系。

 才能を認められ、軍の要職を任せられる事も珍しくなかった。


 今代こんだいの当主、ルーカス達の父レナート・フォン・グランベル公爵は軍部の最高位〝元帥げんすい〟の役職をになっており、ルーカスは団長職を任されている。


 ルーカスはまだ二十七にじゅうなな歳と団長職を任命されるには年若いが、近年の帝国との戦争で戦果を上げ、その功績をたたえられての抜擢ばってきだ。


 父親が元帥げんすいの地位にるため、「親の七光り」とあざけられ、ねたひがまれることも多い。



(親の力で生き残れるほど、戦場は甘くないんだがな)



 安全な場所でまつりごとだけおこなう、頭の固い貴族連中にはわからないらしい。


 とはいえ、あなどられてしまうのは、少なからず自分の実力不足もある。

 団長として恥じる事がないよう精進しなければ、とルーカスは己を叱咤しったした。


 そして、母もかつては軍の第一線で活躍しており、『迅雷』の二つ名を持つ優秀な魔術師だった。


 今はグランベル公爵領・ラツィエルを治めるため、領主としてかの地にとどまっているが、その力は健在だと聞く。


 年の離れた双子の姉妹も今年の春にアカデミーを卒業し、晴れて騎士団に入団。叙任じょにんを受けて騎士となった。


 そんなわけで、同じ騎士団本部に出勤するのだから「お兄様、たまには一緒に行こう?」とシャノンに誘われたのだ。


 可愛らしく提案されては断れない。ルーカスは二つ返事で承諾しょうだくした。

 妹の押しに甘いと言う自覚はあるが、共に出勤する事に不都合などない。



「シャノンの慌てる様子を見に行くか。それから、みんなで一緒に朝食をって、出勤しよう」


「ふふ。そうしましょう、お兄様」



 ルーカスとシェリルは悪戯な笑みを浮かべた。

 そうして、歩幅を合わせて仲良くシャノンの部屋へと向かい——寝ぼけたシャノンがちょっとした事件を起こす。

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