目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第三話 任務、任務……また任務

 早朝、エターク王国騎士団本部・特務部隊執務室。

 静謐せいひつな執務室にはペンを走らせる音が木霊こだましていた。


 ルーカスは目の前に積み上がる紙の山から、一枚、また一枚と書類を手に取り、黙々と処理していく。


 沈黙をやぶったのは「……はあ」という、盛大なため息音だった。



「だんちょー、これいつになったら終わるんすか?」



 ルーカスは書類に落とした視線を持ち上げ、不満をらした声の主、ハーシェルへ向けた。


 机に突っ伏したハーシェルが、指でつまんだ書類を宙にひらひらと泳がせている。女性ウケの良い容姿をゆがめて、淡緑玉エメラルドの瞳で忌々いまいまし気に書類をにらんだ。



「しゃべってる暇があったら手を動かせハーシェル。……いつかは終わる」


「うええ、答えになってないですよー。一晩中頑張ったってのに……この有様じゃないっすか。そこで淡々と書類をさばく『執務の権化ごんげ』と違って、オレはこう言う仕事、苦手なんすよ」



 ハーシェルに『執務の権化ごんげ』と揶揄やゆされたのはアーネストだ。

 黒縁くろぶちの眼鏡越しに、鋭く細められた紺瑠璃色ダークブルーの瞳が、ハーシェルへ向く。



「変なあだ名で呼ぶな。こっちまで集中力が切れるだろ。黙って仕事をこなせよ」


「へいへーい。そんなにらむなよ」



 アーネストからピリピリとした苛立いらだちを感じる。


 普段は知的で落ち着いた雰囲気ふんいきのあるアーネストだが、ハーシェルが絡むとどうにも感情的になりやすい。


 昨晩を含め、ハーシェルの勤務態度はお世辞にも良いとは言えないので、ルーカスにもその気持ちは理解できる。


 更に今は、徹夜明け。

 魔獣討伐をこなし帰還して、ろくに睡眠を取れぬまま書類仕事に追われている。

 神経がり減って、余裕がないのも当然だ。


 ルーカスは部下である二人を尻目に、書類に向き直った。

 油を売っていては、終わるものも終わらない。



「それにしてもここのところ忙しすぎやしないか? ほぼ連日緊急招集しょうしゅう魔獣まじゅう討伐、多い時には日に数回だろ」


「確かに、他の師団の手に負えず、要請が回ってくる事が増えてるな」


「だろー? おかげで書類仕事まで増やされてさー。本当なら今日は休日で、女の子達とデートする予定だったのに。……ぐすん」


「気持ち悪い泣き真似してる暇があるなら、筆を動かせ筆を!」


「アーネストはつっめたいなぁ……」


「お前が無駄口を叩くからだ!」



 聞く耳は持ちながらも口は挟まず、ルーカスは仕事をこなした。



(ハーシェルが愚痴ぐちこぼしたくなるのも、仕方のない事だ)



 このところの異様な忙しさは、ルーカスも申し訳なく思っていた。


 ルーカスがひきいる特務部隊は、軍部の中でも独立した部隊。


 総員五百ごひゃく名と少数ではあるが、武力または智略ちりゃく、あるいは技術等に長けたプロフェッショナルが集まっている。


 有事・災時・戦時と状況におうじ、多様な任務をけ負うのだが……。

 ここ最近は主要任務のかたわら、魔獣討伐へ駆り出されている。


 さらに魔獣被害に加え、マナ欠乏症けつぼうしょうと言う体内を巡るマナがいちじるしく低下することにより体調不良におちいると言う病も、各地で増加の傾向がある。


 これの調査も特務部隊が一枚噛んでいる。



(『魔獣増加・凶暴化になんらかの関係があるのでは?』とも疑われているな)



 だが、両者の因果関係は証明されていない。魔獣の増加と凶暴化についても、未だ原因不明というのが現状だ。


 根本的な解決策が見出せず、軍部の政策は後手に回っている。



(原因不明とは、頭の痛い話だ。せめて何らかの糸口を掴めればいいんだが……)



 成果は上がらず、やる事ばかりが増えていく。

 団員達への負担は増す一方で、このままでは皆が疲労で倒れかねない。由々しき事態だ。



(そうなる前に、一度、体制を見直す必要があるな)



 近い内に上層部へ掛け合ってみよう、とルーカスは考えた。



「——だああっ! 一向に減る気配がねえ、やってらんねー!!」


「愚痴ばっかこぼして、さっきから手を動かしてないんだ、当然だろ!」



 ハーシェルとアーネストが飽きずに口論を続けている。

 見慣れた光景である。



(……やれやれ。喧嘩するほど仲が良い、とはよく言ったものだが……)



 ルーカスは溜息を吐き出した後、喧騒けんそうに負けじと仕事に没頭していった。






 しばらく集中して書類に向かっていると。

 「コンコン」と執務室の扉を叩く音が聞こえて来た。


 返事を待たず「失礼します!」と女性特有の高い声が響いて扉が開く。


 部屋の中へ入って来たのは、やや紫みを帯びた深い青色の長髪を、高い位置でまとめて垂らした女性。


 紫水晶アメジストのように美しい瞳が、真っ直ぐルーカスへ向けられる。

 少し吊り上がった目尻と、引き締まった美しい顔の造形からキツそうな印象を受ける彼女は、特務部隊の団員の一人。


 ハーシェル、アーネスト同様ルーカスの側近であるアイシャだった。



「ルーカス団長、騎士団からの応援要請です!」



 通りが良く、覇気はきのある声が告げた言葉に、ルーカスは筆を走らせる手を止めた。



「詳細は?」


「場所は王都南部の森、約三メートルの熊型魔獣——魔熊まゆう

 王都へ続く林道付近に現れたとの事です。

 昨日さくじつ夜半前に丁度港町との中間辺りで通りがかった商人が目撃し、幸い何事もなく王都へ辿り着いたそうです。

 しかし王都との距離が近い事、通行量の多い道であった事、このニ点を踏まえ討伐が決定。

 夜半過ぎに騎士三十八さんじゅうはち名が派遣され、夜明けと共に戦闘を開始。現在交戦中ですが、予想以上に凶暴な魔熊まゆうで負傷者多数。

 決定打に欠け防戦一方で苦戦を強いられている模様です。

 それと未確認ですが、民間人が巻き込まれたとの情報もあり——」



 すらすらと情報が告げられた。

 聞く限りでも状況は良くない。事は一刻を争うだろう。

 ルーカスはすぐさま筆を置いて立ち上がった。



「すぐに出る。ロベルトは?」


「団長ならそう言うだろうとおっしゃって、馬の準備と必要物資を取りに行かれてます」



 「流石だな」とルーカスは口角の端を上げた。


 ロベルトは副団長であり、騎士学校時代の先輩だ。

 今でこそ立場が逆転しているが、付き合いが長いだけあって自分の性格をよく熟知している。



「念のため七班、十班にも出撃を通達。ハーシェル、アーネスト、アイシャ、準備が整い次第出発するぞ」



 団員達から「承知しょうちしました!」と、威勢のいい返事が返る。


 ルーカスは机に立て掛けた刀を腰にたずさえると、王国の国旗こっきでもある獅子ししえがかれた赤のマントを羽織はおった。


 襟足えりあしで一つに束ねた黒髪と共にマントをひるがえし、扉へと向かう。

 その背に団員達が付き従う形で、執務室をあとにした。






 そうして、騎士団から魔獣討伐の救援要請を受けた特務部隊は、ルーカスひきいる一班を含めた計三班、二十にじゅう名が現場へと急行した。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?