拳銃は仕舞われた。役目はおしまい、もう何もない。続いて壁に掛けられた電話を手にしてある番号へと繋げた。
「はいもしもし、女の子がひとり倒れてしまいましたので救急車をお願いします。発電所の中です」
それだけでは絵海の行動は終わらない。ずかずかと里香の方へと歩み寄り、ポケットから包帯を取り出して里香の腹に巻きつける。里香は苦しそうに声を上げるものの、絵海は作業をやめるつもりなど一切なかった。
「我慢して、絶対助かるから」
その目にはどれだけの緊張感が揺らめいていたのか、楓にはしっかりと見えていた。絵海の気持ちはもはや止める必要もなかった。
「楓」
「なあに、里香」
話に耳を傾け、顔を寄せ、瞳を覗き込む。
「その、やり直し効くからここまでふたりとも必死にならなくても」
「いやだ」
楓は里香を抱き締める手に更に力を込める。
「これ以上里香が死ぬ姿なんて見たくない」
「一回も見てないくせに」
声に力が無い。死は目前とでもいうのだろうか。呼吸は里香の身体を小刻みに揺らしていた。
「絶対に死なせたくない。死んだらおしまいなんだ。次里香が出会う私は私じゃないから。他の人なんだ、私と同じ姿をした……別人なんだよ」
そう、里香にとって次があったとしても、その先の楓は記憶を継いだ者ではない。同じはずなのに異なる彼女、今ここにいる彼女はそれを受け入れようとはしなかった。
「私は絶対に里香のことを死なせないって決めたんだ」
里香を背負って足を踏み出す。そこに流れる感情は静電気のような刺激と鋭い輝きを持っていながらもリボンの優しさを持っていた。
「確かに、全て覚えてる私にも分かる。里香が死んだ次に出会う私もまた、前の記憶を持った別の私だよ」
絵海の言葉も里香を死なせないという意志をハッキリと述べていた。死と背中合わせ隣り合わせでこの世界に同乗している里香。周りの音や景色を感じている余裕などなくぽっかりと空いた虚ろ、空虚を成した心には彼女たちの言葉だけがハッキリと届いていた。
夢見心地の朧気景色、目の上に薄っすらとした靄がかかったその景色はあまりにも不安定な命の証。
そんな彼女が生き続けている証の苦しみを身の内に隠しながら身を預ける。豊満な身体を乗せる背はあまりにも小さな少女。肩で息をして消耗の激しさを全身で語っている少女。
非常シャッターのボタンを押して開く。
激しく乱暴な音の主を内側へと招き入れないように壁となっていたシャッターが上がると共に大量の足が目に映り、そこから伸びる脚の数は正真正銘の脅威だった。
「なるほど……サイコキネシス」
楓の紫色の瞳の隅に蹲っていた濃い紫は瞳全体を覆い始め、覚悟を粘り気の強い意志へと変えていく。楓の足元には三つもの手が生え始める。透明な手の姿を持った歪みは里香の目にも微かに映され、絵海に至っては目を広げて震わせていた。
「念の手、そいつに放り投げられて行き着く先なんて物理法則に任せるだけ」
シャッターが上がり切るその前に手は男の足を掴んでは他の男へと放り投げる。全ての人々が見事に同じように醜い顔をしていて表情を動かすことも叶わない。恐らく研究の中で余計な情報を入れない、事実のみを的確に伝えさせるように感情を排するために行なわれた施術だろう。
見えない手が、異能力の磁場の揺らぎを見ることの出来る一部の者のみが不確実な目で捉える形無き手が、次から次へと人を掴んでは放り投げて振り回して人々を追い払う。
「荒々しくて悪かったな、テレポートは私個人対象限定最大重量私プラス一点五キログラムだからな」
力を振われる者誰もが耳に入れていない言葉の後に続けてまたしても誰も聞いていないであろう言葉を加えて。
「道を強引に開く。覚悟しろ」
そこからシャッターが上がり切って開かれた光景は倒れた男たちによって築き上げられたこの世の中でも類い稀なる汚さを誇った醜い絨毯だった。
「踏むしかないかな仕方ない」
絵海が先陣を切って歩き始める。人々を踏みながら不安定な肉の床を進みながらただひとり枯れ声を靡かせていた。
「ゴメンよ靴さん変なもの踏ませちゃって」
――謝る対象誤ってるぞ
言葉は楓の内に仕舞われた。男どもの伏した床が膨れ上がる様を目にしてサイコキネシスにて床に圧し付ける。そんな様を見て絵海は更けもしない口笛の真似事を、尖らせた口から空気だけを吹き出したのち、獲得した恥を誤魔化すように言葉を重ねて上塗りする。
「変な研究所に騙されて独身で隷属させられてるんだ。骨を埋める場所にキスをさせて」
――コイツ、小さい身体に毒舌収め切れていない
声は枯れ切った喉からは出てこない。楓と絵海の身長はあまり変わらないのだと今ここで確認しつつも里香を研究所の外へと運び出して救急車のお迎えを無事に受けた。