そこは木とコンクリートで創り上げられた家が建ち並び、苔むした灰色の壁がそびえる街並み、つまりはいつも通りの街の光景。ただし、他と異なるところがひとつ、ふたつ、みっつ。実に派手で摩訶不思議なモノを放出しながら戦う人種、彼らがいくつもの特異点を感じさせた。
そこを進みながら里香は心の中で確認しながら納得する。
――もしかしてここがこの前絵海が言ってた、楓が行ってた世界
楓の話によれば里香のアクセスは弾かれているとのことだったが、流石に四等級の許可証の方が強いのだろう。里香は今ここに立っていた。間違いなくこの場にいた。
さらに進んで道路へと出る。車道の真ん中に設置された安楽椅子を見つめて里香が聞かされた話は本当のことなのだと確認していた。
近付いて、安楽椅子に腰かけている少女の顔を見つめる。わざとらしい程に整った顔はこの世の中の類い稀なる美貌という言葉がよく似合っていた。
「ようこそ、被験体里香」
美しい声、艶のある低くてよく響く声を耳にして里香が思ったのはそのようなこと。生身の身体は敵地にあるというにもかかわらずあまりにも呑気なものだった。
「綺麗な声ですね」
持つべき緊張感など何処にも見当たらず、持たなくていい緊張感を持ち合わせる。そんな有り様だった。
「さあ、アクセス権限四等級ね、里香ちゃん」
その声は心の底にまで響き渡る甘みをもっていた。この少女の目は、里香を掴んで離さなかった。
「黄泉ノ帰リ道のからくりについて話してあげる」
ブレザーとカッターシャツ。同じくらいの年齢のはずの少女も着飾るものによってここまで変わって来るものだろうか。里香の目にはしっかりと大人として映っていた。
その心情は置いてけぼりにされて行く。この景色の中で浮いた雰囲気全開の少女、月夜は里香の心に構わず里香に構う。
「それはね、この機械を通して行われるの。この世界には様々な情報が保存されている。例えば被検体が見てきた景色、戦いの日々、そういったものを繋ぎ合わせてこの世界自体をアップデートしていく」
つまり、里香や絵海、その他様々な人物が見てきた物や事を拾い上げることで構成した世界。それこそがこの世界の実態なのだという。
「言っとくけど、この世界にはあなたの記憶もそのまま入る。黄泉ノ帰リ道を使った履歴や使う前の記憶さえも」
情報の世界、それはこの世界をも凌駕する時間軸を持った電気と光の世界だった。
「絵海の能力なんて本来ただ高めな記憶能力に加えてこの世界にアクセスして保存されている自身の視点にある記憶の全てを読み込む精巧な読み込み権限によって作られた紛い物だよ」
つまるところ、絵海の能力は絶対記憶能力などではない。そもそもがただの機械頼りだということ。
「パーフェクトリーディング、自己記憶領域を完璧に読み込みダウンロードするだけのシステムだよ、あと能力者が外に出す脳波によって生じる歪みを見る眼もオプションで」
更に月夜の話は続けられる。この情報世界に保存している月夜はかつて闘病生活を送っていた月夜、今は亡き少女の脳波による思考パターンから記憶、動きの癖まで完全に読み込んで創り上げられたものなのだという。父が黒幕で、目的は今ここにいる月夜を現実に呼び起こすこと。
「私のそっくりさんを整形で完全に私にして機械で脳波の流動パターンを書き換え記憶を完全に流し込む。おまけに死なないように時間遡行の防衛機能付き、呆れるね」
あの研究者の群れ、全てが一定の醜い顔に揃えてあるということを思い出し、目を見開いた。
完全再現の為の実験台、やがてはどこかの女を捕まえて月夜の顔に作り替えるつもりだろう。
「そう、つまりそういうこと。今も絶えずに保存している記憶を覗けば思考なんて丸裸だよ」
里香の頬は突然熱を帯びた。全て何もかもがこの美女に知られてしまっているという事実。恥ずかしくありながらも心の奥に妙に弾む熱を感じさせられた。
「恥ずかしい、そうだね、でもその奥の感情は何? 妙だね」
「そ、その、月夜ちゃんみたいな美人ならいいかなって。恥ずかしいけど……快感」
それについては月夜は何も答えることなく、頬を掻きながら空を眺め、里香に視線を戻した。
「そろそろ外が危ないね、じゃあ最後にとっておきの秘術、科学の法則の全てから外れた固有の法則で動く技を授けて終わりとしよう」
そうして何かを流し込まれ、里香の身体は景色に溶けて問答無用で消し去られてしまった。
☆
眼は開かれた。見える景色は相変わらず無機質の壁紙のようで、あまりにも味気ない。この世界の中にこれまでと違う生きた証。何故だか楓に抱えられていた。赤い染みが汚すその顔はそれでもなお鋭い視線を崩すことなく。
里香の思考は突然奪われた。わき腹に走るものは恐ろしいまでに強烈。それが痛みなのだと分かるまでにどれだけの時間を経ただろう。
一瞬、永遠にも感じられるほどにゆっくりと流れるその時、瞬く間という言葉の並びを忘れてしまいそうなほどに長い一瞬だった。
痛みは里香を襲う。思考も何もかも奪ってしまうほどの痛み、痛みの根源から湧いて来る生温かい水はあまりにも生々しい湧き水。無機を生きた感覚で充たし続ける。
やがてその痛みの中で、消えることのない痛みを抱える中で男が構える拳銃に目を当ててひとつの事実にようやく思考が追いついた。
――そっか、撃たれたんだ
それは消えることのないこと。消えるかも知れないのはある意味で自身の命だった。