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第20話 被検体 ――4 リボンの使い道

そこに立つふたりの女はきっと楓を殺した人物なのだろう。憎い相手、それでもなお話さなければならないということ。目の前の邪悪を己の殺意と共に空想内で踏み潰し捻りあげながら冷静を装ってみせた。

「いったい何の用ですか」

 楓が死したことを知っていると悟らせない。相手に何ひとつ情報を与えない。知っていることを知られては次の周まで不利を引き摺ってしまうかも知れない。楓の話によれば里香のことを実験台としてよく知る人物、能力も筒抜けでおまけに記憶まで知られてしまっているかも知れないという。

 記憶を知られてしまうのならば意味を成さないだろう。しかしながら試してみたいこともあった。どのみちこの人生には一度大きく手を振るのだ。全ての記憶を、想ったこと考えたこと、感じたことから無意識の全て迄が残されてしまうのだろうか。絵海の記憶能力と同じレベルで残されるのか、機械ひとつにそこまでの精度があるのか、絵海の能力が天性のものなのか全てが実験の成果物なのか、適合率に個人差があるのだろうか。疑問の水を溜めた井戸は枯れるということを知らなかった。同じ者だけでいつまでも潤い続けていた。

 目の前に立つ女は光をも吸い込む黒いスーツ姿をしていた。そんな固い装いに表情ひとつ動かさないその顔の固まり具合い。それだけで闇の浅瀬にまで気付かぬ間に足を踏み入れてしまっているものだと気付かされた。

「先ほど申し上げた通り、あなた方をお迎えに上がりました」

 腕を無理やりつかんでは無理やり引っ張り無理に連れ出す。確実に迎えに上がるという対応ではない。拘束までしてしまおうといった対応だった。

 里香の手は振り上げられて暴れ始める。これ以上は許してはならない。このままでは死に損なってしまう。やり直しが効かなくなってしまう前にどうにか現実から、現在から目を背ける手段を作り上げなければ。その一心で女の手を振りほどいて逃げる。絵海もそれに倣い女の身体を押し退けて共に逃げ、群衆の隙間へと入り込み駆けて紛れて。

「里香、トイレに行こう」

 どういった経緯だろうか、思考の中を読み取ることも叶わずに里香の思考は迷宮へと入り込んでは進むことなく埋もれ行く。彼女の目を見つめてひとつだけ確信を持った。考えは分からないが、理解は霧に隠れて霧散してしまってはいるものの、彼女の瞳には迷いの曇り空ひとつかかっていないということだけははっきりと見て取った。

 やがて連れられたそこは小さく纏まったレンガ造りの薄汚れた建物。当時は草木生い茂る美しい景色の中のひとつの幻想としてデザインされたものだったのだろう。美しさの幻影は重い影を引いて経年によってつけられた汚れと使用目的のふたつによって洒落のひとつも残さないトイレ。個室が男女それぞれたったのひとつずつのそこへ、ふたり揃って女性トイレに入り込み、ドアを閉める。そこから流れるように絵海は里香の頭を床に押さえつけながら手首に巻きつけていた桜色の紐をほどいて首に巻きつける。

 咄嗟のことで首を締められるまでもなく息が詰まる。そこに殺意の込められた紐が迫って意識を命を奪い取って見せようと必死になる姿。深刻な表情を浮かべる絵海の顔をかすれた視界で眺めては感情のひとつも浮かべる余裕がないのだと悟って事実だけを見つめながら影が差し込む視界にいつまでも身を馳せて、やがて訪れる死を否応なしに受け入れるだけだった。

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