思い返される記憶はひとりの物、あくまでも里香の見てきた世界。この日、里香は楓と公園で待ち合わせをしていた。ベッドタウンとは言われるものの、所詮は田舎の中での待ち合わせ。特に大した都会へと出るつもりもなくて、日本の中に在る異国へと足を踏み出す勇気などそこに無かった。
そんな田舎でも時間は平等に流れるのみ。里香の左腕に巻かれた時計の示す時間、それを覗き込むことで里香は既に普通ではないということに気が付いた。
「楓、遅いなあ」
口では軽々と言ってはみたものの、里香の内側では濃度が高くてドロッとした得体の知れないものが延々と流れる。あまりの粘り気と流れる遅さに心地悪さは膨らんで止まることを知らない。
「楓の家に行ってみよう」
これは既にただ事ではなかった。楓が予定に遅れることなどそうそう見たことがない。ましてや里香との約束。楓にとっては宝物のように輝かしくて代えの効かない大切な彼女との待ち合わせ。それに遅れる時点であまりにもおかしいことなのだと里香は心の中で繰り返す。歩みを刻む度に、楓の家に近付いて行く度に、想いは強く深くなる一方だった。一直線、向きを変えることを知らないその想いは里香に得体の知れない息苦しさをもたらした。
予感が蔓延る。草木に隠れていた不穏が飛び出して、平穏は川の中に潜って出てこない。得体の知れない不安、根拠など何ひとつ無かったものの不安はどれだけ拭っても消え去ることはなく、気持ちを拭い去ろうとする心が濡れ切って拭くほどに気持ちを広げて汚し続けるばかり。楓に出会うまでは救いようがなければ救われようもない。無力な自分に少しでもチカラを。そう思いつつ決して届くことのない強さを見つめながら、陰しか見当たらない輝きを目指して進んで行った。
そうして家はもうすぐ近く、もう少し進めば家に到着といったところでの出来事だった。それはのどかな住居の生活が流れる空間に響くにはあまりにも刺々しすぎる悲鳴だった。
「里香に手出したら許さ」
そこから響く音は平和を壊すようにこの場所、大好きな人が住まう家を打ち壊した。
「残念だけど依頼だから、被験体里香は絶対に回収する、楓も消し去る、いいね」
ボロボロに崩れる家、大人ふたりが出てこようとするものの、それを塞ぐように木材のぼろきれと成り果てた木が落ちて行った。コンクリートが命という季節の終焉を飾る雪となって降り注いでいた。
ケタケタと趣味の悪い笑い声をまき散らしながら先ほどの声よりも低く潰れたものが響いてきた。
「やりすぎでしょ、バレたらどうするの」
「それはもう能力が暴走して自滅してたって言うだけ」
相手はふたりだろうか。楽しそうに語り合うその様は明らかに正気ではなかった。澄み切った空にガラガラとしていながらも綺麗さを保ったまさに削れたガラスを思わせる声で重ねて口にした。
「大丈夫、死人に口なし目もなし耳もなし。濡れた衣を死装束にするし、今の有り様は見てないしどんな言葉も聞いてない」
超常現象こそが完全犯罪を作り上げる、そう言いたいのだろうか。能力の暴走、全てを知っている里香でなければ言葉にして覆すことは出来ず、超能力が絡む裁判など法廷も撥ね退けてしまうに違いない。
里香はこの状況を飲み込むと共に新たな問題を形にされる前に目の当たりにしていた。言葉という不確実な物を真実として飲み込んでいた。
――私、捕まっちゃう
声にすることも出来ず、ただ駆ける。見つかってしまえば全てが終わり。楓の掴んだ情報によれば里香は何かの実験を受けていたらしい。きっとネクロスリップに関わる実験、つまりそれをより深く理解する刺客。もしかすると捕まってしまえば次は無いかも知れない。