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第10話 パーフェクトリーディング ――5 公衆電話

 ハトは羽ばたきながら地へと降りた。パタパタと柔らかな自然の音を奏でながら、ハトの家族はみんなで可愛らしい合奏に夢中になっていた。地を歩き、地をつつき、優しさを持った独特な鳴き声を空に奏でて。

 里香の意識はここで鮮明に色付いた。空は未だに蒼くありながらも遠い底の方が暗くなり始めていた。向こう側は星がきらめく深海だろうか、潮が満ちて深海色の夜に染め上げられてしまう前に駆け出す。

 きっとこのまま何周も同じ日々を繰り返すことが最も危ない。繰り返せば繰り返しただけ自身が不利になってしまう。そう、相手は記憶を残した上に里香よりも戦いの経験が深いようでおまけに殺すという人の道から外れた行動に躊躇がないのだから。

 このまま相手が有利になるがままに進めてしまっては里香がますます苦しむだけであろう。相手がこの時間の歩き方を覚えてしまって最速で殺しに来るようになって八方塞がりの広場に立たされる。それこそが里香にとって最も悲劇的な終わり方だった。

 もう友だちにさえ会うことが出来ない、そんな状況を作り上げるわけには行かなかった。運命の進行の線から外れた里香はここで全てをつかみ取る権利があった。手と足はそうした状況を切り開くためにあるのだということ。これから迎えに行くはずの死の闇空を深海の夜空へと、更には希望の星空に変えてみせることこそ里香に与えられた特権だった。

 走りながら住宅街の迷路へと潜り込む。知らない場所、地図にさえ載っていない細かな地形。

 この地形であれば学校を突き止めて追いかけて来る少女と言えども、仮に把握していたと言えども簡単に見つけ出すことなど出来ないだろう。

 曲がり角を二度、そこから直進して立派な家の建ち並ぶ路地を突き進み、空に飲まれた地の先を目指して進み続ける。途中で現れた曲がり角の誘導に従いながら進み抜ける。

 やがて進むにあたって窮屈に感じていた景色が広がり始める。灰色でザラザラとしたレンガのレーンは取り払われて、家の整列も途切れて田畑が広がり始めた。そこから里香は更に走り、信号によって交通が管理された通りに出てそれから更に道なりへと進み、ところどころに並ぶ家を目にしながら風を切る勢いで駆け続ける。

 どこだろう、どこにあるのだろう。

 進み続けたその先に待ち構えていた薄っすらと透き通る黒い箱の中へと吸い込まれるように入って行く。里香が絶対に欲しかったものとの出会いはここにあり。

 中に居座る緑色の電話の受話器を手に取り、小銭を取り出した。緑の体の中に入れ込んで、特定の番号を押して。

 それから少しの間を置いてなり始めた優しい呼び出し音。ここまでの流れの全てに緊張が走る。指先は震えて止められない。やがて少女が電話に出た。

「もしもし」

 落ち着いた声は里香にとっての大きな救い。焦りは止まらない、心臓の鼓動がうるさくて受話器越しの向こう側にまで、見えない景色の世界にまで届いてしまいそう。

 電話機に入り込んで向こうの電話から飛び出して楓の傍へと行きたくて、一緒に居たくて堪らなかった。

「もしもし」

 再び問われて里香はようやく声を振り絞った。

「もしもし楓私今大変なの」

 震える声はあまりにも情けなくて今にも周りの音に押しつぶされてしまいそうな響きをしていた。

「私、二回殺されちゃった、ループ前の記憶を持ち続ける敵に会って」

「そうか、私のとこ来れるか」

 頼りがいのある声が響き続ける。それは心にまで染み渡って辺りの景色が滲み霞み曖昧になり始める。その目の捉える景色の謎、それはその目に溜め込まれた涙にあった。

 やがてある公園を指定されて電話は里香の方から意思を断ち切って終わりを迎えた。公衆電話など金を入れなければ続けられない儚い繋がり、弱々しく感じられる強い電波は怠け者なのか金がよほど欲しいモノなのか。

 里香はいつもと比べて極限まで早く鼓動を打つ心臓に感覚を委ねつつ、ふらつきながら電話ボックスを出て走り続ける。目指す場所は楓の家の近くに佇むこじんまりとした公園。大きく広げられた道路に比べて肩身の狭い公園は里香を歓迎してくれるだろうか。薄く広く広がる運命を駆けて行く。道路を更に進み、曲がっては進み続ける。最早景色など見ていなかった、障害物があるか、そこにヒトはいるのだろうか、あの女ではない事だけを祈る、そうした想いだけで脚は進められる。最早その足に想いなど乗っかっていなかった。その心に思考など擦りつけられてはいなかった。その背に冷静さは寄りかかってなどいなかった。

 やがてたどり着いたそこを目にしてひと息ついてベンチに腰掛ける。楓の姿は未だに見えず、不安は大きくなっていく。立派に育った暗い感情は空へと舞うことなくただ留まり続けていた。

 溜まる不安は暗くなり始めた空の濃い青に溶け込んで、里香の大きな胸の中を息苦しさ満点の不安で充たしていた。果たして楓としっかり会うことが出来るのだろうか、不安で仕方がなかった。

 そんな不安で破裂してしまいそうな身体を自分で抱き締めて、待ち続ける。

 里香の耳に空気を裂いて届けられる枯れ声の叫び。それひとつで里香の中で何かが砕けてしまった。

「見つけたよ、逃げやがって、どうすればループを終わらせられるか」



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