川沿いの歩道を歩いている。橋を通り抜けて、川の流れに逆らうように歩き続けて、里香は新しい景色を目にしてしまった。
そこに立つ女、ピンクの服を纏った女。サイズが合っていないのだろうか、右のみが肩を丸出しにしてしまっていておまけにこの季節の中では見ている側にまで熱気を伝えてしまう長い袖は右手を覆い隠し、恐らく履いているであろうズボンを丸々覆い隠してしまっていた。そこから伸びた細めではあれども肉感をむき出しにした脚を覆う青と白の縞模様のソックスの左側はふくらはぎの殆どを覆っているにも拘わらず右側は足首までの長さに留まっていた。伸ばされたキャラメルを思わせる茶髪は左半分だけが編み込み纏められていた。左右非対称、里香にはそのだらしないファッションセンスに目を疑うことしか出来なかった。そんなセンスを持つ女が持つ茶色の鋭い目はしっかりと里香を捉えていた。きっと目つきを研ぎ澄ませるまでもなく鋭さは健在なのだろう。目つきの悪さに身を震わせながら通り抜けようとしたものの、目の前に立ち塞がって言の葉を吹き始めた。
「お前、能力者だろう。正直に答えてみせて」
不思議な声質をしていた。枯れ気味の声は性別を感じさせない。男女のどちら、中性的か、そういった次元の話ではなくもはや性別が無いという言葉が最もぴったりと当てはまる音色をしていた。
そんな相手に対して里香は得体の知れない危機感を覚えた。寒々しい心地は煮えたぎった泡を吹いてここ最近で最も居心地の悪い濁りを生み出す。どうにもならない止まらない、そんな独特な嫌悪感が蔓延っていた。
ひたすら顔を合わせて見つめてくる女、里香よりも少しばかり背の低い少女、彼女の問いに対してただ一度の会話で済ませよう、そう決めて口を開く。
「いいえ、どういう話か知りません」
完全なる知らぬふり、その回答と共に目の前の少女の目は左上へと動いていた。一瞬の出来事、それを経て再び正面を向いては里香との会話を紡ぎ続ける。
「嘘、その気配の大きさ、磁場の揺れ方、使ってないはずがないね。それもまだ初心者、そうでしょ」
里香は思い返す。楓と初めて、何なら能力を扱ったことのないその時から見抜かれていた。自覚よりも速く、ずっとずっと早く気が付いていた。
「そ、そうだね。本当は私……」
話を切ることは許されないのだろうか、太陽が顔を沈めてしまう前に帰りたくて仕方がなかった、おどろおどろしい感覚は、得体の知れない気持ち悪さはひたすら肌を撫で続けて止まらない。川の流れと反対向きに歩く姿、もしも川の中で流れに逆らったならばこのような想いをすぐさま味わうことが出来るものだろうか。このような感情など髪を丸めるようにくしゃくしゃにして太陽に追いつくほどの距離、見えなくなるくらいの遠くへと飛ばしてしまいたかった。
少女は里香の顔をしっかりと見つめる、その距離は楓相手でさえ取ったことのないもの。目と鼻の先という言葉が相応しいその距離に里香は嫌悪感を覚えた。
「自覚はあったみたい、かな。しかし最大の問題はそこじゃないんだ。もしも知ってるなら協力して」
一刻も早く離れたかった。全身が警告を飛ばしてくる。激しいはずなのにどこか冷めたような感情を向けるその視線、激しく黒く滾っていながらもどこか盛り上がらないその情の正体は何だろう。待てども訪れない暗闇を思わせる感情を前に得体の知れない恐怖が止まらなかった。
「答えてくれるだけでいい、他に異能力者の仲間はいるのか」
「は……はい」
その瞳は動かない。ただ里香の目を見つめている。ただただ凝視している。全てを見透かしてしまいそうな鋭さを目の形と色、共に持ち合わせていた。暗く沈んだ茶色の瞳の理由が知りたくて堪らなかった。
「そう。それなら困った。どうせ能力は話さないって取り決めてるんでしょ、いつものこと」
他にも能力者に出会っているのだろうか、そう思いかけて考えを取り消した。能力者を見抜く時点で知っている。当然の疑問は浮かべるまでもなかった。
「もしかすると最近私が迷惑した能力の持ち主かも知れないから答えてみせて」
里香は安心を拾い上げた、土手に転がる石と同じ程度のもの、頼りないことこの上ない感情。それでも助かるというのが本音。
「どういうことで困ってるんですか」
そう、早く話を閉じて楓と会ってこの話を告げてみたい。その時どのような顔をしているだろうか、里香と同じで引き気味だろうか、空の上を見つめ、綿のような雲に楓を想う心を乗せて流す。届けばいい、届かせて、一刻も早く会いたい。
少女は話を繋ぎ続ける。
「私は絶対記憶能力者。どのようなものでも一度見たら色あせないし聞いたものは永遠に流れ続ける。店の中で流れる音楽から、今ここを流れている川の音色まで」
一度覚えたものは忘れない。それは果たしてどれだけ便利なものだろう。想像するだけで羨む気持ちが止まらない。テストで満点は確実なのだから。
「今朝のニュースなんかは凄かった。私たちとは無縁だろうけども東の都の方で新しい電車みたいなのが開通したって言う話」
それは里香も覚えていた。寧ろ見た上でなにも覚えていない人物の方が少ないだろう、そう勝手に結論を下そうとしていた。
「思わない? どれだけ速いかな、見慣れない姿してるね、ニュースでの落ち着きを隠すことの出来ない男の声はいつもより弾んでいて、まさに新しいものを感じさせてくれたよ」
相づちを打つ。共感という餅をつき続け、感情は固まり更につき続けてはより強く固まっていった。この微笑ましい会話、その影に潜む謎の胸騒ぎがどうしてもチラついてしまう。どれだけ抑えたところで手を挙げて跳ねてその存在感を示してしまう。
「でもね、この感覚もいいことばかりじゃない。悪いことだってあるんだよ。例えば殺人事件、読み上げられただけで浮かんでくるその感情を前触れのひとつも無しに思い出すことがあるんだ。鮮明でまさに今新しく得た感情ですって言わんばかりの採れたて感情のようで活きがよくて」
途端に里香は思い出さざるを得なかった。そう、ついこの前味わったばかりのあの感情。あの痛み、迫り来る終焉の感覚を、突然訪れる脅威の圧、思い出すだけで忌々しい非日常の恐怖がまさに今やってきたような新鮮そのものの色でやって来る。死の感覚から楓と共に過ごした時間の中の暗部というものを。