頬を緩ませながら少女はハサミを取り出して鈴のような声を髪とともに風になびかせた。
「大人しく死んでくれればすぐさま四百万だったのに」
「人の命はプライスレス、人の命を奪う仕事もまたプライスレス……その価値は正反対だがな」
そうした仕事、人殺しに値段を付けることさえ許さずに楓は先ほど地に叩きつけられた植木鉢の破片を手に取り再び駆け始める。
一歩で少女はハサミを細い指で優雅に動かし、自身の髪を切り、異能力を発動してみせた。その直後、指に挟まれた髪は背筋を伸ばし固くなる。そんな人の態度を思わせる勢いで張り詰めて棘となる。
「髪の毛が刺されば私の物、所有物にはやっぱり名前書かなきゃ」
語りながら投げられた黒い針、それこそが彼女の能力なのだろう。髪を針に変え、それを刺して物を飛ばす能力、針が刺さったものはあの少女の意のままに糸を引かれる操り人形。
楓は針を植木鉢の破片で振り払ってすぐさま放り投げる。
更に駆けるも、距離は詰められるものの、少女の余裕は崩れない。表情を崩し浮かべたいやらしい笑みは、勝利の貌だった。
「もらった」
少女の目は楓の後ろを向いていた。視線に誘導されて楓は振り返る。その目を出迎えたものは迫り来る破片だった。先ほど楓の防具として使ったそれが敵の武器へと色合いを変えていたのだ。
迫る迫る迫り来る。灰色の壁に、住宅たちを囲む壁に挟まれた空間の中、破片は楓の紅を求めて身を砕かれても構わないといった様子で勢いよく飛んで来る。
距離を詰めて目にも止まらぬ速さを保ったまま確実に楓を狙って。
やがてそれは標的を突き刺そう、そういった時のことだった。
標的はその姿を消した。
「は?」
素っ頓狂な声を浮かべて優雅の欠片も残さない表情をその目が叫び散らす。
何処に居るのだろう。
少女は嫌な予感で心臓の鼓動を激しく叩き鳴らしながら後ろを振り返る。
そこに立っていた。小さな少女が立っていた。怒りと憎しみを滾らせ揺れながら睨み付けて来る紫色の瞳は少女にとっては死神のよう。心にまで入り込み噛み砕いてしまいそうな勢いを持っていた。
鬼の表情を挿し込む楓に怯えを見せてしまう。身体は自然と震え上がり、ついつい恐怖に身を委ねてしまう。そんな中での行動、手に隠し持っていた針を金切り声とともに放り投げる。
「死ね死ね死ね死ねしねしねシネシネシネシネシネ」
少女の狙い通りに針は楓の右手に刺さる。テレキネシスとテレポート、ふたつもの能力を見せた女とは言えども刺さってしまえば抗いようもない、少女の瞳には飾り付けと自信と煌めく笑みが帰って来ていた。
楓の右手は針に導かれるままに後ろへと引かれる。途端に楓の顔に浮かべられたもの、それは勝利を掴み取った者の輝きだった。
表情の変化と共に状況の変化もまた訪れる。手に刺さった黒い針は勢いよく燃え上がり失われた。再び下げられた手。それをなぞり流れる一滴の血が地へと落ち、楓の表情に更なる冷気をもたらした。その表情は既に冬を迎えていると言って差し支えなかった。
「終わりだ」
制限時間の中で戦いを終わらせる。ただそれだけのこと。相手に情を見せる必要などない。楓は大きな炎を空中に舞わせて赤い景色を作り上げる。散り行く炎、漂い続ける炎、踊る炎。それはまさに炎の葉を着けた空気、空を舞う楓の炎の葉だった。
少女は目を見開いて駆け出した。あの紫の瞳には既に容赦の文字は消えていた。感情などとうに沈み切っていたのだ。
そう思い込ませたのが楓の勝利の訪れだった。
能力を閉じ、跪く。もう立ち上がる気力や体力など何も残されていなかった。
その姿を目にして里香が慌てて駆けつける。駆け寄って、腕を肩に回して立ち上がらせ、いっそうくまが濃くなった目を、疲れに輝きを失った紫色の瞳を覗き込む。
「勝者が跪くなんて滑稽にも程があるよな」
「カッコよかったよ」
交わし合う言葉は既に年数を重ねてきた友人のようであり、しかしながら交わる想いは友情とはズレた何か、そうとしか言い表すことが出来なかった。
「それじゃ、帰ろうよ」
「ありがと」
「こっちの言葉だよ、助けてくれてありがとね」
互いに想いを魅せ合いながら互いに目を惹きあいながら、ゆっくりと歩みを進め、暗闇が深くなるごとに姿を眩ませ続けて、やがては景色の中に消えて行った。