ハーシムに聞きたいことがあると言って、アリーヤとグレッグを連れたハンクがガルブサアーダを訪れたのはそれから数日後のことだった。
「どうした?」
と言って出て来たハーシムにハンクは言う。
「この国で一番の金持ちはどなたか聞きたい。そして、その家には侍女がいるのかも」
ハーシムは少し目が点となったが素直に答えた。
「この国で一番の金持ちは俺の実家に住む爺さんだが、爺さんの所の侍女は年寄りだ。それでも良いか?」
「良くない。若い子が良い」
「そうか、素直だな~」
にやっと笑われた。
違う! そうじゃない! とハンクは言う。
「アリーヤの為だ。アリーヤに侍女をやりたいんだ!」
「ほほう、それは何故だ?」
「アリーヤは家事が一切出来ないからだ」
それはまた……とハーシムが驚く。
「そんな人がこの国に居るなんて……。まあ、あんたらは他所の国から来たんだろうと思ってたしな」
そう言って、ハンクはないあご髭を触るような仕草をした。
「良いだろう、一応連絡をしてみる。それだと一番若いのが良いんだな?」
「ああ」
ハンクの案というよりグレッグの案だが、それを採用したのはこれだと奴隷商人から買うではなくなるからだ。
「それで何と交換だ?」
「これだ」
ポンと軽く渡したのはあの蜘蛛のモンスターの残骸の一部だった。
「もう入ったのか?」
「ああ、少し勝手をさせてもらった」
「それだけねぇ……」
と言って、ハンクはしばしアリーヤの顏を見ながら考え込んだ。
「良いだろう、その報酬をそれにしてやろう」
「ありがとう」
これもこれで奴隷商人ではないだけで同じような気がするが、まだ良いような気もする。
どこかには自分の手の者を対象者の監視とか守る為にやるのだから良いではないか――とハンクは考えた。
けれど、その時に報酬とかはないだろうけど、アリーヤを見ればムスッとしていた。
誰が見ても普段通りでそのようには感じられないだろうが、彼女はずっと無言のまま、明らかに怒っていた。
あとで機嫌を取らなければ――とハンクが思うほどに。
その日の夜のうちにハンクはグレッグに少しの間、家から離れていてくれと命じ、二人だけになった所でアリーヤの部屋を訪れた。
アリーヤの部屋には質素なベッドしかなかった。
だから、そのベッドに腰掛けるしかなく、二人は自ずと向かい合った。
「怒っているか?」
誰がどう見てもそうは見えないのにハンクはアリーヤにそう言う。
「いいえ」
普通に言ってはいるが、ハンクには少しツンと冷たく感じた。
「機嫌を直してくれ、アリーヤ。俺だってこうなるとは思わなかったんだ」
その言葉にアリーヤは言う。
「もう頼んでしまったことにとやかく言う気はありません。ですが、私は一から学べます」
気丈に言う彼女にハンクは言う。
「それじゃダメなんだ」
「何故?」
「見栄だよ」
「どうして、そのようなものが必要なんです?」
「帰った時に必要だ」
「帰る?」
「ああ、ずっとここに居る気はない」
それは初めて聞くことだった。
「では、どちらに? ――フマルロに帰るのですか?」
「ああ、帰りたいと思っている。以前のようだったらここよりは安全だし、アリーヤには辛い思いをまたさせてしまうかもしれないが、あそここそ帰るべき場所だ。それに、あの国に帰らなければ結婚はできないしな。俺がフマルロの人間だからこそ、成り立つもので、別にそんな地位を捨て、アリーヤがずっと許婚でいてくれれば良いとさえ思っていたが、それではダメなんだ。理想は築けないし、俺がフマルロの人間でなくなれば、フマルロはなくなる」
「それは……」
「あの国が今どうなっているか俺にも分からない。風の便りすらない。だからこそ、帰ってあの国を救いたい。生きている者がどのくらいいるか分からないが、あの国を救えれば少しはアリーヤの存在だって救われるかもしれない」
それはつまり、ハンクが英雄になって、アリーヤがその隣に立った時、どう映るかということを言っている。
「あなたはご自分がその国の王になることを望んでおられるのですか?」
「いいや、もし、兄上が生きていたら兄上が王だ。そして、父が生きていれば何も変わらない。もし、意気投合でもして生きてくれれば……とも思う。けれど、そんな甘い事はない。辛い現実、悲しい事しか今はないんだ。アリーヤも経験したろ? もし、フマルロ以上に最悪な国なら手加減はしないだろ。それにあの賢者だって、すぐに救えるとしたらここまでやらないさ」
確かにそうだ。馬二頭と引き換えにここに来させられた。その意味は――。
「アリーヤが悩むことはない。苦しむこともないと思う。悪いのは全てフマルロ。俺達のせいだから、攻められなかったらこうはなってなかったし、俺より良い男と結婚できたぞ? きっと」
笑っていた。とてもにこやかに。
「――そんなこと、ないです……。そんなこと絶対ありえません! 私が好きなのはハンク様で、他の誰でもない! 私の命と引き換えにしようとした私の両親の命、奪ったのは確かにフマルロですが、それを憎いだとか今は思っていません! 私が好きなのは、愛しているのはハンク様だけです! もしも、本当にフマルロがなくなっているのだとしたら、救えるのはあなただけでしょう。オゲディーのようにならない為にはフマルロを復活させることです! それに必要なら、私は喜んでこの身を捧げましょう!」
勢いで熱く語ってしまったアリーヤにハンクは少し微笑んで言った。
「この口からそんなことを聞けるとは思わなかった。ありがとう、でも、そこまで考えなくて良い。ただ、アリーヤには俺の側にいてほしいだけ。アリーヤの声を聞いて癒されたい。俺だって、アリーヤを愛してる。だからこそ、思うんだ、アリーヤを困らせたくない。アリーヤを救いたいって。もし、俺が王になれたら、フマルロのような国は作らない。もっと、温かい国を作りたい。けれど、表面上はこの国のようになってしまうかもしれない。奴隷が奴隷じゃなくなる国はそうそうやって来ない。それを無くせば良いと言うかもしれない。けれど、そこには必要とするからあるものもある。だからこそ、今は辛抱の時だ」
そっとアリーヤの唇にハンクの唇が触れた。
これは――。
「アリーヤが少しでも楽になれれば良いと思うし、その為には必要な事だ。少しでも気を抜くとアリーヤはとんちんかんな事をするからな。慣れてる者の方が良い」
それはここに来る前の事を言っているのか。
「ウルファに習うのは良いさ。でも、それを実際やるのはダメだ。示しがつかないだろう? そうなった時に」
「では、フマルロに帰って結婚などと言うのですか?」
「思えば、そんな事を言っていたなぁ……と思い出したんだ。あの国の決まった所で、それもあの親の前でしないと意味がない。認められてこそなんだ。でも、この世にいなければ意味がないがな。それをはっきりさせる。その為にも行く必要がある。まあ、王族であることを捨てれば、今よりもっと楽に生きられる。けれど、そうなると救えるものも救えなくなる。立場は人を救う。少しは役に立つ。捨てれば、この地と同じだ」
「じゃあ、何故、初めて私に口付けなんかして……」
「それは、したかったからだ! アリーヤの最初は全部俺が欲しい!」
そんな欲、あったんだ――とアリーヤは内心驚いた。
「別に、俺以外としたいならしてくれても構わないが……」
拗ねている。
(可愛い……)
年上の男性にそんなことを思う日が来るなんて思わなかったが。
「いいえ、嬉しいです! 私はハンク様と初めてキスできたことがとても嬉しいですよ!」
「デカデカと言うな! 恥ずかしいだろ!」
照れている。
こんなにも、表情豊かなハンク様は初めてだ。
「もう一度してくれませんか? 出来れば今度は軽めじゃないのが良いのですが」
「え?」
ハンクは固まってしまった。
どうしよう、何か困らせてしまったのか――とまごまごしている間にハンクは正気に戻ったのか、アリーヤの表情を見た。
からかってないように思える。
けれど――。
「楽しみは取っておくものだろう? それともアリーヤは先に楽しむ方か?」
「そうですね……同時に楽しむ方です」
「そうか、覚えておく」
そう言って、ハンク一つ笑って、アリーヤの部屋を出て行った。