その昔からオゲディーという国はあった。
そこに住む者は皆、魔法を体内に宿しており、人それぞれにその魔法は違った。
ある時、フマルロという国がオゲディーを手に入れようと攻めて来て、戦いはしたがその武力に屈し、オゲディーはフマルロのものとなった。
その為、
上手く生き延びれた――とは思わない。
この十五年間、ただ生きていた。
フマルロがオゲディーに攻めて来た時、アリーヤは姫として生きていた。まだ産まれて間もない彼女が助かったのはその魔法の力のおかげだろう。
フマルロの者達は魔法について何も知らなかったが、それを見た時にさらに欲しいと思ったらしい。
それは新たな命によって生まれ、誰一人として同じものはないと聞かされれば、誰だってこうして自分の所に置いておきたくなるのではないか?
現にこうして今も一人だけオゲディーの元姫という立場でありながら生き続けているのはフマルロ国の第一王子であるダンが幼少の頃に自分よりも幼すぎるアリーヤを許婚にするのは嫌だ! と我が儘を言い、それなら――と彼らの両親が当時七歳であった第二王子のハンクをアリーヤの許婚にしたからだ。
ハンクは今、十七歳だ。
金髪に白い肌がとてもよく似合う格好良い外見。
彼の兄も負けじとそうだが、身の周りにはいつも何人かの魔法を捨てたオゲディーの選りすぐりの美女達がお世話をしていた。
今日もダンはそんな彼女達と部屋の中で楽しそうな声をさせている。
「アリーヤ、聞いているのか?」
そうしないと自分の血族の者にアリーヤが何をされるか分かったもんじゃないからだ。
「はい……」
彼女は静かに答えた。
「ったく、今日は馬に乗って少し遠くまで行くからお前も来いと昨日言ったはずだが?」
「ええ、そう言われたので動きやすい格好を――と思い、こうなったのですが」
「普通に考えてそれはないだろう?」
「え?」
アリーヤは馬に乗るのが初めてなのか、それなりに地味な格好ではあるが、乗るまでにかなり苦戦しそうだ。
それともアリーヤはこうして私は元姫様なので自分をもっと大事に扱えと言いたいが為にそんなドレスを選んで来たのだろうか。
「誰か、アリーヤの服を着替えさせてくれないか? ちゃんと馬に乗れる格好にしてほしい」
その願いを叶える為、そそくさと二人の侍女が現れ、アリーヤの服を着替えさせた。
兄がこれを見たら、別に連れて行かなくても良いだろ? とか、一人居れば十分じゃないか? と言いそうだけど。
しばらく待っていれば、きちんと着替えられたアリーヤが一人、ハンクの前に現れた。
「良かった、これで馬に乗れるな」
ほっとしている。
あのハンクが……。
「グレッグはもう行ってしまっているから、早く行くぞ」
「はい」
ハンクの後をアリーヤは歩く。
そこに会話はない。
この宮殿内では不必要な会話は避けるべきだった。
何かあればすぐに悪いのはアリーヤのせいになる。
そういう所だった。
だから、時々アリーヤは考える。
自分も他の皆と同じようにしてもらえば良かったと。
でも、彼がこうしてずっと側に居てくれるなら、それはそれで良いと思うことにした。
彼のその優しさは目には決して見えないけれど、人にはっきり言わないだけでアリーヤには十分伝わっていたからだ。
人によってはそれは幸せなことか? と訊いて来るかもしれない。
そうしたらきっと自分はうんともすんとも言えないけれど、それによって生かされてるとは到底思えなかっただろう。
何故なら、ハンクはフマルロの人間にしては甘いからだ。
自分と同じ国で生まれた者に対しては従順であり、攻めた国の者であったアリーヤには見え隠れする本意で接してくれる。
きっと、他の誰に対してもそうなのだ。
自分の嫌なものに対しても同じだろう。
ふいにハンクが口を開く。
「今日は俺と一緒に乗ることになるが問題は?」
「ないです」
そうかとも言わずにすたすたとハンクは行ってしまう。
恥ずかしいという表情もしていなかった。
だが、誰かにこんな所を聞かれたくないというのは感じ取れた。
だからいつもこんな感じで終わる。
それが寂しいと感じてしまったらもう終わりだ。
この国で生きて行くのは辛くなってしまう。
こんな事を考えるのはやめようとアリーヤは外を見た。
晴れている。
馬に乗っての散歩日和だった。
ハンクとアリーヤは宮殿から少し離れた所にある馬小屋までやって来た。
もう馬が二頭外に出て、いつでも出掛けられるようにしてある。
「お待ちしておりました」
「悪かったな、グレッグ。少し手間取ってしまって」
そんな曖昧な理由で濁してしまった。
そうですか、とグレッグは気にせず言う。
ハンクの世話係兼護衛でもあるグレッグはハンクよりも年上の二十三歳の黒髪の男だった。背格好もハンクより良いのだが、愛想はない。
冷ややかなものを時々感じるのは全てハンクがしないから代わりにしているのだろう。
「今日はどちらまで?」
「そうだな……もうこの国に魔法などないか調べるか?」
何故急に? とアリーヤは思えど、反対はしない。
全てを決めるのはハンクであり、アリーヤとグレッグはそれに従うだけだった。
アリーヤはハンクと一緒に馬に乗っていた。
グレッグは一人だ。
もうこんな所まで来たという時にハンクはまた口を開いた。
「お前の誕生日はいつなんだろうな?」
「それは……私も分かりません。けれど、誰かが言っていました。私が生まれた日はとても月が綺麗だったって」
「そんな頃がお前の誕生日……」
そうしたら、アリーヤは十六歳になる。
結婚をしても良いと許される年齢だ。
この国だけかもしれないが、そうしたらハンクは素直に彼女と結婚し、夫となるだろう。
内心はアリーヤにとって良い夫になりたいと願うが、それは表向きでは許されないだろう。
この温もりを感じられるのも今だけか――アリーヤの茶色い髪はふわふわそうだった。
良い匂いも若干して来る。
風呂などそんなに入っていないだろうに、彼女にこうも感じるのはあの時以来だ。
自分の不注意でやってしまった大怪我をいとも簡単にアリーヤは治した。
それが魔法だと言う。
それも幼すぎる彼女は何も教わっていないのにその愛を持ってした。
それは誰も彼もが出来ることではなく、彼女だけが持つという能力。
この治癒魔法のことは誰にも言うつもりがなかった。
なのに、彼女の親はその身を守る為に娘の秘密をすぐに売った。
けれど自身に備わっていたものは誰にも好かれなかった。
だから、ああなったのだ。
クシャッ! とその記憶を捻り潰してハンクは今を謳歌しようとする。
全てはあんな残酷な事態をもう二度と見たくなかったからだ。
己の保身の為に、ハンクはフマルロにとって利となる事だけをする。
そう育てられた。
そして、アリーヤもまた一緒だ。
「アリーヤはあの国を出たいと思わないか?」
「え?」
それはさっきの着替えの時に聞いた時とは違う意味の同じ言葉。
「俺は、感謝しているんだ。自分の不注意で負ってしまった大怪我をアリーヤの魔法が救ってくれた、ありがとうとずっと言いたかった。けれどそれを言えばきっとお前がそそのかしただのと言う奴がいるだろう。だから、嫌だったんだ。本当はグレッグさえ連れて来たくなかったが、連れて行かないのは怪しまれる。グレッグには大事な話があると言って、こういう風にしてもらっている。だから、あんまり言えないけれどもし――」
そこで突然、あの日聞いたかもしれない襲撃の音が背後からした。