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第20話 幼い恋の記憶はおぼろけなもの

 私、そんなに笑われるような格好をしているかしら。

 こんなに可愛らしいドレスを着たのは幼い頃以来だし、着なれてないから、着せられてる感があるのかもしれない。でも、笑われるほどではないと思うのよ。ダリアが選んでくれてローゼマリア様が喜んでくださったのだから。

 少し腹立たしくなってきたわ。


「私、そんなにおかしな格好をしていますか?」


 少しだけ語気を強くすれば、ヴィンセント様は「すまない」と言いながらこちらを見た。だけど、すぐに視線を逸らされた。

 まだ、笑うのを堪えているわね。

 何がそんなにおかしいのかと、胸元を観たり、ドレスの裾を少し持ち上げてみた。すると、視界に白いハンカチを持ったヴィンセント様の手がすっと入ってきた。


「口元に、砂糖菓子の欠片がついていてね」

「……えっ?」

「ほら、こっちを向きなさい」


 ごつごつとしたヴィンセント様の指が、私の顔を彼の方に向けたかと思うと、柔らかなハンカチが口元をそっと拭ってくれた。

 口元を汚さないよう気をつけていたにも関わらず、私はお砂糖とクッキーの粉をつけてすまし顔をしていたということか。


 その滑稽な姿を想像していしまい、一気に恥ずかしさが込み上げてきた。

 小さなクッキー一つ、綺麗に食べられなかったなんて、淑女としてはあるまじき失態だわ。


「君は、食べるのが下手なようだな、ヴェルヘルミーナ」


 まるで、私を知っているような口ぶりのヴィンセント様は、赤い口紅で汚れてしまったハンカチを、さも当然のように畳んでしまわれた。

 私はと言えば、何をどう返したらいいか分からず、混乱しながら言葉を探すしかなかった。


 相変わらずってどういうことかしら。私はヴィンセント様と、どこかで会っているというの?


「覚えていないのか? パイを上手く食べられなくてドレスを汚した時、亡きレドモンド卿に叱られたことがあっただろう」

「パイ……お父様に、叱られた?」

「他にも、スープを飲むのが下手で口元を汚して──」


 ヴィンセント様は懐かしむように目を細め、次々に私の古い記憶を語り始めた。

 それらは、まだお母様がお元気だったころのこと。私が、幼かった頃の思い出ばかりだ。

 お母様は、まだ小さいのだからと笑って許して下さったけど、お父様は甘やかしてはならないと言って、いつだって行儀作法に厳しかった。


 特に、お屋敷の外で粗相をすると、こってりお説教をされたものだわ。それが、幼い私には意地悪のように思えて、泣いて怒ったこともあった。


「お父様は意地悪です。そう言って、よく泣いていたじゃないか」


 まるで、私の心の内を見透かしたかのような言葉に、息が止まるかと思った。


 厳しく叱るお父様の顔を思い出していたこともあって、語り掛けるヴィンセント様にお父様の厳しい面影が重なる。


 そう言えば、彼は第五魔術師団で長を務められていると聞いている。お父様がお勤めだった師団なのは、偶然だと思っていたけど、もしかして長いこと第五師団にいらっしゃったのかしら。

 だから、私を知っている?


「……私は、ヴィンセント様とは、初めてお会いしたと思うのですが」

「こうして話すのは久しぶりだから、忘れているのも仕方がない」

「忘れている……?」

「レドモンド卿は、私によく言っっていたよ。娘が砦に行きたいと言って困ると」

「お父様が? 確かに、幼い頃は何度もリリアードへお連れ下さいとお願いしましたけど……」

「レドモンド卿は、砦に想い人がいるのではないかと心配しておられた」

「おっ、想い人!? そんな、まだ十にも満たない頃に……そんな……」


 思いもよらぬ昔話に、私は驚きと気恥ずかしさに頬を染めながら、一人の魔術師を思い出した。そう、優しい幻影を見せてくれた、背の高い銀髪の青年だ。

 私は、彼に会いたくて、毎月のようにリリアードへ行きたいとお願いをしていた。


「レドモンド卿は、君を連れてくるたびに、私に『娘はやらないからな』と釘を刺していてね」

「……え? あ、あの、どういう、意味……」


 台詞の意味が全く分からない。

 お父様とヴィンセント様が気さくにお話をされる仲だった、ということは分かる。分かるけど、きっと、彼が伝えたいことの本質はそれではないのよね。

 お父様は幼い私がヴィンセント様に恋をしていると思っていた。つまり、私は彼に会っていた、ということ?


「まだ、思い出さないか」


 楽しそうに笑みを浮かべたヴィンセント様は、私に手を差し出した。でも、握手を求めている手ではない。それが何を意味しているのか分からず、硬直していると、彼の手の上にぽんっと何かの植物の芽が現れた。

 小さな芽は、蔦となってするすると伸びていく。その光景を茫然と見ていると、伸びた蔦は私の座っている椅子に巻き付いた。


「大きくなったね、ヴェルヘルミーナ」


 ヴィンセント様が、私の名を呼んだ瞬間、蔦に芽吹いた花の蕾が一斉に咲いた。


 花の咲きほころぶ幻は甘い香りを届け、誘われた蝶がひらりひらりと舞い降りる。それはまるで、幼き日に見た優しい幻影のようだった。

 優しく微笑んだヴィンセント様に、おぼろげに覚えていた銀髪の青年が重なった。


 私はぽつりと「ヴィンス、様?」と呟いていた。

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