アーリック族は、王国とは異なる秩序の中で生きている。爵位に興味など持っておらず、国政には関与していない。その血が外に出ることも快く思っていないだろう。それでも、ロックハート家に養子として預けることを
そう話しながら、ローゼマリア様は執務室を後にして、静かな廊下を進んでいく。
「……つまり、庶子であるヴィンセント様は、爵位を得たとしても跡継ぎに選ばれない。異を唱える家門もない、ということですね?」
「ふふふっ、ヴェルヘルミーナは本当に賢いわね」
実に楽しそうに仰られるローゼマリア様は、私を振り返った。
「ヴェルヘルミーナ」
「はい、ローゼマリア様」
「ヴィンセントが私の後を継ぐことはありません。それでもこの結婚は、あなたにとって、とても魅力的ですよ」
「え……?」
「ロックハート家は、有能な魔術師を輩出してきただけでなく、交易によって財を成してきました」
「……存じ上げています」
「本邸のあるシェルオーブは、アデルハイム王国の交易の要──」
春と夏、秋に行われるシェルオーブの定期市には、国内外から商人だけでなく、両替商や高利貸し、商売や金融に関わる人がこぞって集まる。その活気は、王国随一とさえ云われている。
我が家は、ペンロド公爵夫人の顔もあるため、年三回も出展できずにいるが、できれば三回とも市に出向きたいと商人たちに相談を受けているくらいだ。
つい、ため息をつきそうになると、ローゼマリア様がふふっと笑みをこぼした。
「ペンロド公爵領のトリメインにも引けを取らないと思ってるのよ」
その名を聞いた時、心臓が跳ねあがった。
この方は、どこまで私とレドモンド家の内情を見抜いているのだろうか。
立ち止まったのローゼマリア様は、一枚の絵に視線を向ける。そこに飾られていたのはアデルハイム王国を中心とした、周辺諸国の地図だ。
「レドモンド家が誇る魔法繊維と織物を、あの
「……この結婚で、ローゼマリア様が望んでいるのは、レドモンドの魔法繊維ですか?」
「そうね。でも、それだけではないのよ。レドモンド家というより、ローゼマリアの手助けをしたいと思っているのよ」
「私の手助け……?」
「あら私の本心は、とっくに伝えていますよ」
まるで謎かけのように言って笑うローゼマリア様は、再び私の手を引いて歩き出す。
出会ってから、どんなことを言われたかしら。
やっと会えたと喜ばれ、着せ替え人形遊びよろしく着替えさせられ、ヴィンセント様の出生の秘密を聞かされた。その一連の流れを思い出しながら、私は首を傾げた。
「ふふふっ、私、娘が欲しかったのよ。こんなに可愛くて賢い子が私の娘になるだなんて……この上ない、幸せですよ」
朗らかに微笑みながらそういわれるローザマリア様は、中庭に面するガラス張りの廊下を指さした。
そこには、初夏の花々が咲き誇っていた。
中庭に出ると、そよぐ風が前髪を揺らして抜けていった。
バラの蔦に彩られる中、カモミールやラベンダーなどのハーブも、植えられているのが目についた。風が甘く優しい香りを届けてくれるのは、その花々の芳香なのだろう。
美しい庭園を吹き抜ける風が、嫌な気持ちを何もかも持っていってくれるようだ。
「ヴェルヘルミーナ、とても素敵な笑顔よ。ふふっ、花は好きかしら?」
「え?……はい」
花が嫌いな人なんていないと思うんだけど、そんなに見とれていたのかしら。
少し恥ずかしくなって俯いた時だ。
ひときわ強い風が舞い上がり、庭園の中にある美しいモザイクタイルの上に、魔法陣が浮かび上がった。
「ヴェルヘルミーナ様!」
声を上げたダリアは、私たちの前に飛び出し、魔法陣に向かって身構えた。
一瞬、緊張が走った。でも、ローゼマリア様は特に焦りを見せることもなく、ダリアの肩に手をそっと置いた。
「心配には及びませんよ。お下がりなさい」
穏やかな声に命じられたダリアは、私に視線を送って来た。それに頷くと、彼女は少しばかり眉間にシワを寄せて後ろへと下がった。
花びらが舞い上がり、風が渦巻く魔法陣の上に人影が浮かび上がる。
息を飲んだ直後だった。風が霧散して、長身の男性が現れた。
身に着ける濃紺の外套の肩に、赤い薔薇の花びらがのっている。その人は、長い指でそれを摘まむと、こちらを振り返った。
揺れた銀髪は腰まで長い三つ編みで、どこかで見たような気がした。
すらりと長い足が踏み出され、その指から赤い花びらが、ひらりと離れていく。
差し込んだ陽射しを浴びて、彼の襟元の
「ただいま戻りました、
「待ちくたびれましたよ、ヴィンセント」
「申し訳ありません。仕事を放り出すわけにはいきませんので」
「可愛いお嬢さんを待たせるほど、重要な仕事とは思えませんけどね」
近づいてくる彼を見上げ、私は唖然とした。
身長は一九〇センチ近くあるだろうか。肩幅もとても大きくて、お父様よりも威圧感を感じる。とても美しい顔をしていらっしゃるのに、見下ろされた私は思わず委縮していた。
「お初にお目にかかります。ヴェルヘルミーナ・レドモンドです」
精一杯の