整然とした執務室で私たちを出迎えてくれたのは、初老の男性だった。白髪交じりの栗毛の髪を丁寧に後ろに撫でつけた姿は、すらりと高くて好感がもてる。服にはシワ一つなくて、身なりもきちんとしているし、挨拶する姿もとても綺麗だわ。長年仕えている執事なのかもしれない。
「レスター、邪魔するわね」
「奥様、どうかされましたか? 坊ちゃんでしたら、まだお戻りではありませんよ」
「そのようね。本当にあの子ときたら……。ヴェルヘルミーナ、彼は執事のレスター・アプトンよ。古くから我が家に仕えてくれていて、今は、ヴィンセントの補佐を兼ねてこの屋敷で働いてもらっているの」
「お初にお目にかかります、ヴェルヘルミーナ様」
「はじめまして。この地のことは分からないことも多いですが、どうぞよろしくお願いします」
精一杯笑顔で挨拶をすると、レスターは目を細めて微笑み、
「レスター、どうしたの?」
「申し訳ありません。歳を取ると涙もろくなりますな……ついに、坊ちゃんに春が訪れるのかと思うと、嬉しさがこみ上げまして」
「ふふふっ。それも、こんなに可愛い子ですもの、きっと満開の花が咲くわよ!」
「奥様、ようございましたね」
今にも手を取り合って喜びだしそうな二人が、私に微笑みを向けた。
結婚の調印はまだだし、ヴィンセント様とお会いしたこともないのに、この歓迎ぶりはどういうことか。どう反応するのが正解なのか分からず、私はぎこちない笑顔を顔に浮かべた。
ロックハート家が私のことを歓迎しているという継母の話は、本当のことみたいね。私が無能と知ったら、この笑顔は凍り付くわよね……
一瞬不安がよぎった。思わず伏目がちに下を向いてしまったけど、ローゼマリア様は何事もなかったように、穏やかに私を呼んだ。
「ヴェルヘルミーナ、こちらへいらっしゃい」
差し出された手に指を添えると、ローゼマリア様は大きな肖像画が飾られる壁の前へと移動した。いくつもの肖像画の中、ひときわ大きな額縁の前で立ち止まる。そこに描かれる貴婦人は、若き日のローゼマリア様だろう。一緒に描かれる少年三人の中で、一番背が高い銀髪の少年は、おそらくヴィンセント様。十二歳くらいかしら。
「このリリアードの街をヴィンセントに任せたのは、十年前のことです」
「十年前……」
「その時に、私の持つ伯爵位を与えました。ヴィンセントは幼い頃から才気があり、物覚えもよい子でした。亡きクレアにそっくりです」
懐かしむように微笑むローゼマリア様は、赤子を抱く女性の肖像画へと視線を移す。彼女が、クレア夫人なのだろう。
「彼女はアーリック族の娘でした」
「アーリック!?」
予想外の言葉が出てきたことで、私は思わず驚きの声を上げた。
アーリック族は、神々が眠ると云われるドルミレ山脈を守る一族とも、神の末裔とも伝えられる山の民だ。近隣の王国と不可侵条約を結んでいて交易もあるけど、一族のほとんどが山や森に住み、町に降りてくることはない。それに、純血を重んじているため、若いアーリックの女性は決して山を下りないと聞いたことがある。
「アーリックのことを知っているのね。博識で頼もしいわ」
「恐縮です。……ローゼマリア様、アーリックは女性が外に出ることを認めないと聞いたことがあります」
「その通りよ。でも、クレアの両親は交易を生業としていて、一族の中では柔和な考えをされる方たちだったから、交易にクレアもついて来てたの。私たちはすぐに仲良くなったわ」
ある日、軽い気持ちで子どもが出来ないことを相談したら、親身になってくれたそうだ。それから、アーリックに伝わる子を授かるための体質改善方法や食品、薬に至るまで教えてくれ、共に不妊と闘う日々が始まったのだと、ローザマリア様は静かに話してくれた。