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3-19.市川麻美

 製鉄所で働いていた現場の労働者だけど、最終的にはそれなりの立場にまで至ったのだろう。あるいはここが先祖代々の土地だったのか、他の家族に高給取りがいたのか。

 とにかく、市川邸は大きかった。馬鹿でかいお屋敷とか、そんな規格外の金持ちの家ではなくても、広い敷地の中に近代的な三階建ての家屋と複数のガレージが建っていた。


 中は伺えないけれど、たぶん車が入ってるんだろうな。複数台持ちか。ここは都市部だから必須というわけじゃないけれど、家の力を見せつけられた気分だ。俺の家には一台もないのに。事故で家族を失った経緯とかもあるけど。


「悠馬。なんか顔が怖いよ」

「なんでだろうな。怒りとは違うかな。俺、車ってあんまり好きじゃないのかも」

「普通に乗ってたけどね」

「そうだな。別に大嫌いとかトラウマで乗れないとかじゃないんだよな」


 悲しい思い出が蘇っただけだ。


「大丈夫?」

「大丈夫。行くぞ」


 立派な門構えに設置してあるチャイムを鳴らす。すぐに反応があった。インターホンから声が聞こえるのではなく、玄関が開いて住人が顔を出すという形で。


「はーい。どなたでしょうか」


 写真で見た顔。市川麻美その人だった。まさか家主で有名人のおじさんではなく、本命といきなり対面だとは。

 もちろん想定した流れと違うからと応対者変更を言えるわけもなく、むしろ手間が省けたと挨拶をする。


「こんにちは。俺……僕は双里悠馬といいます。こっちは同級生の神箸遥」

「同級生というか、恋人です痛っ」

「余計なことは言うな」


 座っているから低い位置にある遥の頬をつねる。他人の前でやることじゃないから、すぐに離したけど。


 麻美さんはそんなやり取りを気にすることなく、相手が無害そうな高校生カップルだと思って自ら門の方まで歩いてきた。

 写真ではわからなかったけど、性格は思い切りがいいというか、サバサバしてて親しみやすい人のようだ。


 あと、胸はそれなりにあった。これは愛奈が大きく気落ちする要素だ。

 かわいそうに。


「ここは発明おじさんの家で合ってますでしょうか」

「そうだよー。でもごめんね。今おじいちゃん、シルバー会の集まりで留守なの。帰るの待つ?」


 なるほど。ちょっと変わっているけど社交的で慕われてる人か。


「いえ。実は、使っている切削機械がどんなものかなって興味がありまして」

「切削機械に興味あるの?」

「あ、はい。姉がそれに関わる仕事をしてまして。どんなものかなーって実物を見たいと思ってたんですけど、姉の職場に押しかけるわけにもいかず」

「この家にあると、学校の先輩が教えてくれたんです!」


 遥が堂々と嘘に便乗する。嘘だけど同時に間違いなく真実だった。


「なるほど! そういうことだねー。うんうん、少年たちが機械に興味を持ってくれるのはいいことだ。わたしもそういう女の子だったんだなー」


 麻美さんは腕を組んで頷く。そっか。そういう女の子だったのか。愛奈よりずっと、営業の対象の機械に親しみを持ってた人生だったのだろう。

 愛奈は勝てないな。


「いいよいいよ。見ていって。こっちだよ」


 麻美さんは俺たちを招き入れると、ガレージのひとつに歩いていく。


「そこ、段差あるから気をつけてね。ごめんね、古いだけでバリアフリーとか考えてない家で。おじいちゃんもおばちゃんも、まだまだすごく元気でさ」

「いえいえー」


 車椅子の遥を見て、詳しい事情は訊かずに気遣いだけする。良い人だな。



 ガレージの中には車はなく、その代わりに旋盤とボール盤、あとフライス盤が置いてあった。

 フライス盤は金属を削る機械で、旋盤は削られる側を回転させるけどフライス盤は削る側を回転させるって違いがある。


 いずれも工場で使うというほど大型ではないけど、それなりのサイズがある高級品。

 それから、昔から使っているらしい古めかしさがあった。道具の使い方が丁寧だから長持ちするのだろう。


 その他手持ち工具も当たり前のように置いてある。ドライバーにスパナにハンマー。


 中には使い方のわからない工具もあった。なんか、剣みたいに大きな刃がついているもの。


「すごいですね。これ、買うのに結構お金がいりますよね」

「まあね。うち、昔からここら一帯の地主でさ。お金はあるけど代々そんな贅沢を好む人がいなかったみたいで。おじいちゃんも、人のためになる発明をするんだって言って買ったんだよね」


 家柄からして良い人だな。その血を引いている麻美さんも、好ましい人柄をしてそうだった。

 愛奈では勝てないと確信できた。別に勝負をするわけではないけど、仲良くやれるだろうか。


「この機械」

「おや? どうかした?」

「いえ。メーカーが姉の会社だったので」


 お世話になります。愛奈、こいつ後輩であると同時に顧客だぞ。


「ほんと? まあ旋盤作ってる会社なんて日本にも何十とあるわけじゃないし、地元では大きくて品質のいいやつを作る会社はさらに限られてる。こういう偶然が起こることも珍しくないよね」


 そうですね。愛奈にとっては残念なことに。


「実はね、わたしも春からこの会社にいるの。今は働いてるというか、研修中だけど」


 知ってます。姉がそれで悩んでます。

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