つまり、この市川麻美さんの方が面倒事を厭わない、いい人ってことだな。愛奈はそれに気づいていないけど。
「さて、この人とどう接触するかだな」
愛奈の企みに同意はしたとはいえ、やり方については俺も迷っている。
向こうにとって俺は赤の他人。社会人が見ず知らずの男子高校生と接点を持つなんて、普通の状況じゃない。
書類には彼女の住所も記載されていた。まずはそこに行くことからか。
「休みに入ってからでいいか? 平日だと、向こうの方が忙しくて家では会えなさそうだし」
あと、俺もトレーニングとかで忙しいし。
「ええ、期待してるわね悠馬隊員」
誰が隊員だ。
そんなふうにして世間はゴールデンウィークに入っていった。
つむぎは普段通りの学校生活を送って子供の日の行事を楽しみにしていて、遥は無事に補習を終えた。期末テストは真面目にやれよという先生のありがたい言葉と共に。
愛奈は、過酷な労働からしばし解放されることに歓喜の声をあげながら、浴びるように酒を飲んでそのまま寝た。あとのことは俺に一任して。
ラフィオは連休を利用して、本格的に料理の腕を磨いたり家の片付けをするつもりらしい。つむぎに邪魔をされながらだけど。
そして俺は早速、市川さんの所に行くことに。
遥の車椅子を押しながら。
「いや、なんでお前がいるんだ」
「補習の間、悠馬と一緒に帰れなかった日も多かったから! その分を補うためだよ!」
当然のことと言うように、遥は胸を張って親指を立てる。
いや、割と常に一緒にいただろ。ほんの数日、一緒に帰らなかっただけだろ。
「ほら。お休みの間、悠馬とデートしたいなーって思ってたし」
「今日じゃなくてもいいだろ。明日、もっと別な場所に一緒に行こう」
「それはそれとして今日も悠馬と一緒にいたいのです!」
「……」
「悠馬もひとりで行動するのは寂しいなーって思ってたでしょ?」
「いや、別に」
「そっかー」
ひとりで動くことなんか慣れてるし。
「わたしは寂しいのです!」
「それが本音か」
「それは間違いないけど本当の本音は、悠馬が女と会うなんて放っておけないというものです!」
「はいはい」
ようやく言ったその本音が、一番納得できるものだった。
車椅子の少女を知らない場所に放置するわけにもいかず、ここまで来てしまったからには諦めて同行させる。
俺もここには初めて来た。市内では比較的裕福層が集まっていると思しき住宅街。駅から近いのもあって地価は高そう。家々の敷地も広めだ。
裕福そうと感じた遥の家よりも、さらにグレードは高いように思えた。
俺の家の最寄り駅からは五駅ほど離れている。
その住宅街の一角に市川さんは住んでいるのだけど。
「あ。おーい、部長!」
遥が何かを見つけて声をかけた。見ると、知った顔が体操服姿でこっちに走ってきていた。
陸上部部長の早坂文香。
「やあ。遥、悠馬くん。こんな所で奇遇だね。デートかい? それにしては少し変わった目的地だけど」
「はい! デートです! 知らない場所にふたりで行くっていう」
「おい」
堂々と嘘をつくな。
部長はランニングの最中に見えるけど、あわよくば遥を押し付けて単独行動をしようと考えた俺の目論見は、事前に潰されてしまった。
「この足だと普段は自由に動けないので! 知らない住宅街とかも行ってみれば新鮮なんですよね。特に彼氏と一緒の時はなおさら!」
「なるほどね」
好き勝手言いやがって。
「ぜえ、ぜえ、ふ、フミ! 待ってください!」
するともうひとつ、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「もう。サキ遅いよ!」
「フミが! 速すぎなのです! はあはあ……」
同じく体操服姿の生徒会長、佐竹三咲さんだ。
陸上部の部長についていくのが必死なようで、荒い息をしながらヨロヨロとこっちに走ってくる。
「ぜえぜえ。おや、おふたりとも、ごきげんよう。デートですの?」
「はい!」
わかった。受け答えは遥に任せる。
「おふたりはトレーニングですか?」
「そうだよ。サキが体力つけたいって言うから、付き合ってあげてるんだ。まずはランニングで基礎体力の向上から」
「だからって、フミは厳しすぎます……」
「これくらい普通だよ。ね、遥?」
「どれくらい走ったのかはわからないですけど、陸上部なら普通ですね。毎日やります」
「ま、毎日……」
普段は俺たちの前で頼りになる姿を見せている生徒会長が、絶望したような顔を見せてその場に座り込んだ。
「サキは昔から体力がないからね。ランニングなんかクラスでずっとビリだった。常に一番のわたしと大違い」
そうなのか。生徒会長って文武両道で体育も楽々こなせるイメージあったけど、この人は違うらしい。
「あなたのような体力馬鹿と一緒にしないでください! フミだって小学校の頃からテストの点数はいつも最下位でした!」
「よく同じ高校入れましたね」
「あはは! サキが勉強教えてくれたから、その時だけなんとかなったのさ!」
愉快そうに笑う部長。
性質が真逆だけど、だからバランスが取れてると言えるのかな。
それよりも。
「昔からの知り合いなんですね」
「そうだよ。幼馴染だよ」
「なるほど。ふたりともこの近くに住んでるんですか?」
じゃないと、こんな住宅街をわざわざランニングの場所には選ばない。ふたりとも、すぐに頷いてくれた。
「ちなみにこの近所に、市川さんのお宅はありますか?」
試しに尋ねてみた。あるのは間違いないのだけど、ふたりが情報を持ってないか訊く価値はあった。
「ああ。あの大きな家だね」
「発明じいさんの家ですわね」
ふたりは、何事もないように答えた。近所では有名人とでも言うように。