週末。翌日からはテスト週間が始まる、追い込みをかけなきゃいけない時期。
俺は自分の勉強もしつつ遥の面倒も見ていた。人に教えることは自分の勉強にもつながるとは言うけど、正直実感はしていない。
けど遥もなんとか赤点を取らないか、取ったとしても補習で危なげなく落第を回避できそうなところまで持っていった。
全科目赤点回避は無理だ。もっと早くから勉強に付き合っていれば可能だっただろうから、次の定期テストの時に期待だな。
「ねえラフィオ。これってちゃんと進んでるの?」
「順調に集まっている。とはいえ、まだまだかかりそうだけどね」
「そっかー」
つむぎとラフィオが、近くの河原で拾ってきた石を魔法陣に置き直していた。
中央の石に魔力を集中させる。魔力を吸われた周りの石は河原に戻すのだという。
俺たちがいるのは、公安が用意した一軒家。環境を変えて勉強すれば遥も集中できるかもと思ったから。
そんなに目に見えた変化は感じなかったけど、いつもより成果が出てないわけじゃない。
勉強が苦手な遥が、無理に集中してるのは変わらないな。
ちなみに愛奈は、いつものように家で寝ていた。日曜日に外出するなんてありえないとのこと。
そして俺たちがこの家に来た理由がもうひとつ。
「やってるわねー」
「樋口さん! 助けてくださいもう勉強したくないです!」
「若いうちはよく勉強しなさいな」
「そういう樋口さんはどうなんですか?」
「旧帝大現役合格とだけ言っておくわ。あとは個人情報だから内緒ね」
「ああう。公安って頭いいんだ……」
そりゃそうだ。自分のことを明かせない立場だから、あまり詳しくは教えてもらえないようだけど。
本名も知らないんだ。学歴を少し知ったのは大きな前進。
そんな本名不明の樋口一葉から、俺はこれから格闘術を学ぶ。
「わたしも運動したい。てか、テスト前なのに勉強しない悠馬ずるいと思うな!」
「俺も帰ったら遅くまで勉強するからな。遥も同じようにやるって約束するなら、今は休んでいいぞ」
「あー。なんか急に勉強したくなったなー。そもそもわたし、変身しないと格闘なんかできないしなー」
お手本みたいな棒読みで教科書とノートに向かう遥。本当に勉強やってくれてるかは知らない。やっててほしいけど。
「指導の前に、ひとつプレゼントがあるわ」
和室で、ジャージ姿で俺と向かい合っている樋口がなにか黒いものを差し出した。
マスク、あるいは覆面と呼ぶべきもの。
「いつまでもタオル巻いてるんじゃ格好がつかないでしょ?」
「それはそうだけど。これは?」
「海外の特殊部隊がつけているマスク。そのレプリカよ。マニア向けのショップで簡単に買えるわ。サバイバルゲームとかで雰囲気を出すためにつけてる人も多いらしいわ」
「なるほど」
「マニア向けのレプリカと言っても、機能は問題ないわ。透けることなく顔をちゃんと隠せる。折りたためばタオルよりかさばらない。口と鼻の箇所はメッシュになってて、呼吸も楽よ」
「詳しいんだな」
「自分でも試したから」
樋口はポケットから同じものを取り出した。
「もし必要なら、わたしも戦いに参加するわ」
「いいのか?」
「ええ。基本はあなたたちの補助だけどね。手が足りなくなることも今後あるでしょうし」
遥の車椅子を預かるのが樋口の基本的な仕事。あと裏方の情報収集。けど大量の戦闘員を相手するのなら、こっちの手は多い方がいい。
樋口は公安の人間で、顔を覚えられるのは好ましくない。だからこれまで裏方に徹していたけど、顔がバレない方法があるなら前に出るのもありか。
髪の長い樋口が、顔面をすっぽり覆うマスクをつけられるのかって疑問はあったけど。
「すぐに駆けつけられたらの場合だけどね。それより被ってみて」
言われた通りマスクを被る。
タオルを急いで巻いた時より、たしかに装着が楽だし息苦しくない。何より視界がいつもより広い。
「あと怪物の攻撃がかすめても、解けることがないしね」
「市長さんの前でタオルが解けたの、見てたんだな」
「まあね。じゃあ改めて格闘術の授業よ。基本的に敵は、あなたより上背があって力も強い。つまり、真正面から力比べするのは危険よ。だから投げ技を教えます」
「前に俺にやったみたいなやつか」
「ええ。投げて、壁なり地面なりにぶつけて、生きてたら追撃するのよ。頭部や首を狙って執拗に殴る。それか踏みつける」
「武器があった方がよくないか?」
「普段から武器を携行してると、なにかあったら面倒よ。警察に見咎められたりしてね」
黒い覆面を携行しているだけなら、なんとかなるか。隠すのも難しくないし。
けど武器なら、そう簡単にはいかないな。小さなナイフでも面倒なことになるし、覆面と一緒に見つかれば強盗でも企んでたのかと言われかねない。
「補導されたら、わたしが助けることもできる。けどその間に敵が来たら目も当てられない。あなたが覆面男だって警察に、それから世間に勘付かれるきっかけになりかねない。もし武器がほしいなら、絶対に見つからない方法を探さないと」
「わかった」
武器の携行はしない。己の肉体のみで戦う。それか、その時周りにある物を使わせてもらおう。
「じゃあ、投げ技のやり方を教えるわ。基本的には相手が襲いかかってきた勢いを利用するの。相手を掴みつつ、向きを僅かに変えてバランスを崩させて転ばせる」
「なるほど」