「樋口一葉?」
「ええ。もちろん偽名だけど」
そりゃな。樋口一葉くらい俺も知ってる。有名な女性文学者だ。
「命令を受けて、魔法少女について探る担当になりました」
淡々と、自分の立場を簡潔に説明した。こっちからは聞きたいことが大量にあるから、色々話してもらうからな。
「警視庁の……公安部? つまり?」
みんなの注文を紙にまとめて店員に渡した後、愛奈も名刺を覗き込んだ。
警視庁もわかる。東京の警察だ。うちの県にある警察とはまた別系統の組織。全国の警察をまとめる警察庁って役所の下に、各都道府県の警察が枝分かれして存在している。
そこの。
「要するに公安ね。国家の脅威に対処する組織」
澁谷が静かに言って、樋口は頷いた。
「正確に言うなら、警視庁だから東京での活動がメインだけどね。必要があれば、こうして他所の県にも出張るのよ」
「わたしの予想、当たってたね。公安が動くかもって言ってたやつ」
「言ってたけどな。警察とか、東京地検特捜部とかと並列して」
なんとなく権力がありそうなところを列挙しただけだ。
けど、確かに権力が俺たちを探っている事実はあったわけで。
とにかく、国家に奉仕する仕事に就いている女か。しかも、普通の警察じゃない。そんな奴に接近されていたとは。
ああ、公務員なら民間人から奢られるのはまずいよな。賄賂罪ってやつになるのか?
「それで。警察が出たということは、僕たちを逮捕するつもりかい?」
魔法少女たちの中で最も特異な存在、ラフィオが挑発的に尋ねると、樋口は少しため息をついた。
「逮捕はしない。とりあえず監視するだけ。あなたたちの扱いをどうするか、警視庁も、その上の警察庁のお偉方も、というか国も困っているのよ」
国か。大きく出たな。
順を追って話すわねと、樋口は言う。
「先週の月曜日、怪物とそれを倒した謎の女や覆面の男の報道が出た後には、警察は動き出していた。警視庁もね。一部の政治家の指示があったから」
「その政治家って?」
「……言えない」
ずるいなあ。俺たちのことを探れって指示だろうに、自分のことは言えないなんて。
「けど、警視庁の最初の動きは鈍かった。事件は東京で起こったことじゃないから、東京の組織が出張ることじゃない。この県にも、県警公安課はあるしね。警察庁と県警に任せて、うちは情報収集だけすればいいと。仮に東京にまで事態が広がった時に備えてね」
「へえー」
愛奈が、公安って東京だけじゃないんだって顔をしていた。さすがに口にはしてないけど。
ちなみに俺も、今初めて知った。たぶんみんな同様だろう。澁谷は別かも。
「自分の縄張りで起こった事件は自分で捜査する。東京のお客さんに任せるなんてありえない。そういう組織なのよ」
「あー。それは映画とかで見たことあるわねー。県を跨いだ事件の合同捜査本部を立ち上げるけど、結局自分の県警に有利な方にしか働かないで足を引っ張り合うやつ。警察ってそういうものなのね」
ギロリと、樋口が愛奈を鋭い目つきで睨んだ。
「? なんか怒ってます?」
「愛奈さん。公安とその他の警察、そんなに仲が良くないって聞きますよ。一緒にされるのは不愉快なのかも」
「そうなの? それはごめんなさいね。いただきます」
あんまり申し訳なさを感じない言い方をしてから、運ばれてきたナポリタンを食べ始める愛奈。
公安も結局は縄張り意識があるから同じ。そう言いたげだ。
この独特なペースに、樋口は再度ため息をついた。
「似ていることは認めるわ。けど厄介なのが、事件の重大性と不明性は県警の手に余るということ。なにかあった時に、警視庁からやってきた余所者のせいにするっていう考え方も魅力的よ」
「毎日のように怪物が出るのは重大なのはわかるけど、そんなに不明か? 怪物が出てきて、ヒーローが倒すだけだろ?」
「わたしだって、小さい頃はミラクルフォースを見てたわ。警察のお偉いさんもみんな、ヒーローのなんたるかは知っている。この国の文化がかつての子供たちに植え付けた印象は大きいわ。けど、テレビのヒーローと怪人が実際に出てきたら話は違う。警察としても対処しなきゃいけないし、ヒーローに見える側を盲信するわけにはいかない」
そういうもんか。
怪物が悪なのは理解できる。人を殺してるから。
けど、それと対立している側を正義だとも、断定は簡単にはできないと。
「怪物とは別の方向で、市民に被害を与える存在かもしれない。もちろん純粋に、市民を守ってるだけかも。あるいは権力が下手に介入した結果、魔法少女と呼ばれる集団を刺激して国民に逆に牙を剥くこともあるかも」
「そんなことしないわよ」
「ええ。しそうにないわね、あなたは。けど断定はできないのよ。権力として魔法少女と敵対とはいかなくても、なにか邪魔をしてしまうかも。それで怪物が暴れ放題になったら、警察や自衛隊では対処できない」
「そうだね。フィアイーターは傷つけるだけなら、通常の兵器でも可能だ。けどコアを壊すのは魔法少女じゃないとできない。また普通の軍隊がフィアイーターと戦えば、それなりに死傷者人が出るか兵器のコストがかかるだろう」
「ええ。公安のお偉いさんも、似たような考え方だったわ」
偉い人も考えてるんだな。自分たちで怪物と戦えばどれだけの被害が出るかを。
「要するに、何もしないわけにいかない割に、どうすればいいのかわからない。下手に動いて市民への被害が拡大した時の責任を恐れて、誰も仕事をやりたがらないのよね」
「いいのか。公安がそんなので」
「仕方ないでしょ? そもそも相手が謎すぎて、誰が適任なのかわからないんだから。仕事の押し付け合いよ。県警なのか警察庁なのか。どの部門の人員がやるのか」
「部門?」
「聞いたことがあります。公安部は対処する組織によって、部門が分かれていると。右派、左派、国際テロリスト、様々な場所からやってくる外国人工作員」
「ええ。そして、異世界から来て恐怖を集める侵略者の専門家は、いない」
だから、相手がわからない、か。