結局、姉ちゃんの必死の抵抗によって、明日の朝もいつもどおりの時間に起きることとなった。
これでも家長だ。少しは言うこと聞いてあげよう。
「僕はいない。僕はいない。存在しない……」
「悠馬さんおはようございます!」
「ひいぃっ!?」
「おはよう。今日もモフモフは感じるか?」
「はい! どこにあるんでしょう?」
「どこだろうなー」
「僕はいない。僕はいない……」
自己暗示により己の存在を無にすることで、つむぎから姿を隠そうとするラフィオの無駄な努力に目を落とす。
つむぎは、ラフィオの存在を完全に確信している。なぜかは知らない。第六感ってやつかな。
「ほら、遅刻するぞ。行ってこい」
「はい! 行ってきまーす!」
「良かった。今日も悪魔は過ぎ去った」
「そうだ悠馬さん! 今度家に遊びに行ってもいいですか!?」
「僕はいない。僕は存在しない!」
「ああ。いいぞ。いつでも来い。……やっぱり、親は忙しくて帰ってこないか?」
「はい! 別に寂しくはないですけど、愛奈さんの部屋って漫画とかいっぱい置いてますし!」
別に多くはないと思うけど、小さい頃から少女漫画はよく読んでいたな。
今度こそ学校に向けて走っていくつむぎを見送っていると、ラフィオが鞄から顔を出した。
「あの子、両親とはあまり仲が良くないないのかい?」
「滅多に帰ってこないのは事実だけど、良くないとは違うと思う。ふたりとも、つむぎのために頑張っている」
「そうか。それも一種の愛か」
そう、親の仕事も大事だ。娘と一緒にいてやる時間も同じように大事だけど、どっちが上かは比べられるものじゃない。
俺には、どちらも手に入らないものだし。
「どうだ? ラフィオが料理作ってもてなしてやれよ。温かい食事を誰かが作るのは大事だよな?」
「嫌だ。断る。ありえない。敵をもてなす? 絶対にやるもんか」
こいつも頑固だ。
ラフィオの危機が去ったら、今度は俺の危機だった。
「悠馬おはよっ! 魔法少女の正体、ネットで色々言われてるけどわかんないね!」
遥が話しかけてきた。今日も元気だなあ。
「そんなに魔法少女になりたいのか?」
「うん! なんとか会えないかなー」
「会えないと思うけどな」
「そうかな? 案外近くにいたりして」
遥がいたずらっぽい笑みを浮かべてこっちを見る。なんなんだ。
ちなみに鞄の中ではラフィオが、なんとか話しかけようと暴れている。それを押さえつける俺の握力は、この数日で随分鍛えられた。
「ねえ悠馬。今日は放課後、遊びに行かない?」
「……なにかしたいことがあるのか?」
一緒に帰ろうじゃない。遊びに行かない、だ。
なにか目的があるから、こうやって誘ってる。
「服を買いたいです!」
「服?」
「そう! これから、もっと暖かくなるし。夏に向けての服とかも買いたいなって」
「そうか。でも、俺じゃなくてもいいだろ。友達いるだろうし」
「わかってないなー悠馬は。こういうのは、男の子の意見を聞くものなんだよ。そういう努力をしてこその、モテる女なのです!」
親指を立てて得意げな顔。
「片足がなくなって初めての夏! 今年の夏はかつてない刺激を求めたいのです!」
わからないな、遥の考えてることは。
そんな気持ちが顔に出てたのだろう。遥は続けて言う。
「つまりね、車椅子の女の子でも楽しい夏を過ごしたいって思って。海も行きたいしお祭りとかも行きたい。あとは……まあ色々楽しみたいの。普通の女の子みたいに」
「気持ちはわかる。普通って大事だよな」
新年度を迎えたばかりで、もう夏のことを考えてるのは気が早いとも思うけど。
「でしょー? で、その第一歩がオシャレなんです!」
「おしゃれ」
「そう! 正直、車椅子のわたしを一番見慣れてるのって悠馬じゃん?」
「それは知らないけど。クラスのみんなも同じくらい見慣れてるだろ」
「いやいや。毎日押してるのは悠馬くらいだし。あ、でも、るっちゃんとか夏美にも押してもらってる気がするかな」
こんな性格だからクラスでも友達が多い。足がなくなる前から交友は広かったし、障害者になってからもそれは変わらない。
学校生活の中で車椅子を押す役目は俺じゃなくて、同性の友達の方が多いはず。俺は朝だけ。
そもそも、車椅子なんて自力で動かせるものだし。
「でもでも! わたしは悠馬に服を選んでほしいの!」
「……わかった。今日は用事ないし、いいぞ」
気乗りしないけど、魔法少女の話題を出さないなら別にいいか。
昨日もそうだったし、フィアイーターも毎日出るわけじゃない。たぶん大丈夫だろうと頷いた。
おいラフィオ。鞄の中で親指立てるな。遥の真似かよ。別に遥を魔法少女にする気はないからな。
放課後。
二日連続で怪物の襲撃があった駅周辺も、一日出てこない日があれば落ち着きを取り戻していた。
電車は問題なく運行して、ショッピングセンターも可能な限りの営業を再開。
そんな様子を横目に、俺たちは電車に乗って数駅離れた所にある市街地へと向かう。映画を見たり本格的に買い物するなら、ここだ。
もちろん服を色々選ぶのも。ファッションにあまり詳しくない俺も、服屋がやたらあることは知っている。
駅に併設された商業施設や、歩いて数分の百貨店。駅の周りを歩けば、特定のコンセプトの服やブランドを扱った店はいくらでも見つかる。
世の中の人々は己を着飾ることに情熱を燃やしているらしい。立派な趣味だと思うけど、俺には理解できなかった。
服なんて、着れればなんでもいいだろ。
「その考え方が、君の料理にも表れてるのだと思うよ」
服屋に興味のなさそうな顔がバレたのか、ラフィオが鞄からこっそり話しかけた。すかさず鞄を閉めて黙らせた。