「わたしが来るまで頑張ってたのね、悠馬。ありがとう」
「……ああ」
「おっと」
労りの言葉をかける愛奈に、俺は気がつくと抱きついていた。
「俺は何もしてない。殺されるかもしれない危険を冒して、あとはラフィオの上で震えてただけだ」
「いや、君はよく頑張ってたよ。一度は敵の動きを止められた。立派な戦い方だ」
「そうよ。変身できないのに、よくできました! 偉い偉い!」
俺より背の低い愛奈が、手を伸ばして頭を撫でる。
ああ、姉ちゃんは優しいな。
「姉ちゃんは怖くないのか?」
「え?」
「目の前で人が死ぬのを見た。俺はそれを助けられなかったし、今度は自分が死ぬかもって思った。姉ちゃんが来た時すごく安心したけど……姉ちゃんはどうなんだ?」
「怖いよー」
愛奈はあっけらかんと答えようとした。
できてなかった。
俺の腕の中で震えていた。
昨日と同じだ。社会人としての最低限の矜持のおかげで保ててたプライドが、ここに来て崩壊した。
「いやいや! 無理無理! 怖いもん! わたしだって怖いし! この世界の終わりとか言われたから戦ってるけど怖いの嫌だし!」
「もっと大人な言い方で慰めてもらえると思ったんだけど」
「お姉ちゃんは大人です!」
「はいはい。ありがとな」
「もっと感謝してください! なにに対してのありがとうか知らないけど!」
「まったく」
「ねえ悠馬! わたしも頑張ったから! 撫でて撫でて!」
「よしよし」
「うへへ。悠馬、すきー」
「やめろ気持ち悪い」
撫でられて顔を蕩けさせる愛奈には、大人や姉としての威厳は無かった。
けど愛奈の嘆きは俺の救いになった。
怖いのは俺だけじゃない。それがわかっただけでも、十分だ。
力不足と、本人の迂闊さで救えなかった命もある。けど、俺たちが戦わないと死者は増える。
怖いけど、姉ちゃんと一緒ならなんとかできる。それは間違いなかった。
「ところでふたりとも、結局夕飯を買いそびれたね」
急にラフィオが話しかけてきて、俺は頭の上に意識を向けた。
忘れてた。けど、あそこにいた目的は本来はそれだ。
「家の近くのスーパー行くか」
「そこにはプリンは売ってるかい?」
「売ってる。さっきの店ほど種類はないけどな」
「しかたない。今日のところは我慢しておいてやる」
何目線なんだ、これは。
「そっかー。ラフィオがご飯作ってくれるんだよねー。何作るの? ステーキ?」
「野菜炒め」
「そっかー。でも、明日はステーキだよね?」
「そのうち、ね」
「ひゃっはー!」
さっきまで怖がってたと思ったのに、急に元気になりやがって。
こういう性格だから安心できるんだけどな。
「おいしい! ちゃんとキャベツに火が通ってる! 豚肉も焼いてある! おいしい!」
「そ、そんなに褒められると照れるな。簡単に作っただけなのに」
ラフィオが作った野菜炒めを、愛奈は笑顔で頬張っていた。
「いやいや。手間がかかった料理を、家で久々に食べたからね。感動してるのよ。悠馬は手抜き料理しか作らないのよね」
「料理は、いかに手を抜くかが正義だ」
「抜きすぎなのよ! それより悠馬、ビール」
「高校生に酌をさせるな」
「なによー。わたし、今日頑張ったんだからねー」
「はいはい」
空になったコップを向けてくる姉にため息をつきながら、キッチンに入って冷蔵庫から缶ビールを持ってくる。
「自分で注げよ。というか缶から直接飲め」
「わかってないわねー。愛する弟が自分のためにやってくれるのが嬉しいんじゃない」
愛する弟からウザがられている事実にも目を向けてほしい。この馬鹿は全く意識しないけど。
「ぷはっ! 頑張った後のビールは最高ね!」
「頑張った……そういえば姉ちゃん、今日会社休んだって言ってたよな?」
「え?」
触れてほしくない話題になったとでも言うように、愛奈はピクリと肩を震わせた。
「今年度からは、有給大切に使うって言ってたよな?」
「い、言ったかなそんなこと。言ったような? 言ってないような? そ、そうよ。今日は仕方なかったのよ!」
「姉ちゃん?」
「ひいぃっ!? そ、そうだ! お風呂入ってきます!」
「明日からラフィオが朝食作るから、俺は姉ちゃん起こすのに専念できるな。ちゃんとスーツに着替えてリビングに来るまで、フライパン鳴らし続けられるな」
「い、嫌! それだけはご勘弁を! 許して! 許してください悠馬様! そうだ! 一緒にお風呂入ってあげるから仲直りしよ?」
「入らないし、別に喧嘩もしてない」
「もー。悠馬ってば照れ屋さんなんだからー」
「本気で怒るぞ」
「わー! 待って待って! 今度からはちゃんとするから! できるだけ頑張るから!」
「全力で頑張ってほしいんだけどな……」
魔法少女としては頼りになる姉が、社会人としてまともになる日は来るのだろうか。
翌朝。
「ぎゃああああああ!」
「起きるまで鳴らすならな」
「待って! 待ってください! 起きてるから! もう起きてるってば!」
「じゃあ、着替えてリビングまで来い」
「あああああああ! 着替えるから! ちなみに朝ごはんはなんですか!?」
「このフライパンでラフィオが目玉焼きとベーコン焼いてくれたぞ」
「フライパンさんが酷使されてる!」
耳を押さえながら起き上がった姉に、俺は容赦ない追撃を食らわせる。
「ゆ、悠馬! わたしの着替えるところ見たいっていうことね!」
「それはない」
貧相な体で誘惑するにしても、態度に余裕がないから全然そそられない。というか、姉弟なのに興奮するか。
目を細めて妖艶っぽい表情を作って、体をくねらせつつパジャマのボタンを外し始めた姉を視界から出すべく、俺はフライパンを叩きながら廊下に出た。
「あ! そうだ! ラフィオに、わたしの下着だけは洗濯しないように言ってよね! 悠馬がやってよ!」
「はいはい。さっさと着替えろ」
それはまあ、配慮してやってもいいけど。俺が洗うのはいいのか。