謎の小動物が変身能力を見せて、こうやって会話してる時点で、現実感など既にないのだけど。
「この世界に危機が迫っているんだ。魔法少女になってくれ。あ、もしかして妖精なのに、変な語尾がついてないから信用してもらえないとかか?」
「いや、それは関係ないけど」
「ちょっと待っててくれ。こほん。お姉さん、魔法少女になってくれポンポコ」
「お前が何の動物かは知らないけど、狸では絶対ないよな」
「お前とは話してない! 僕はこのお姉さんと話してるんだ! あ、話してるんだポンポコ!」
「ポンポコ言うのがしんどいなら無理するなよ」
「それでお姉さん、返事は」
「そうねー。面白そうな話だと思うけど、わたし忙しいから――」
ぎゃあ。
姉が意外に冷静に断りの返事を言っているその最中に、悲鳴が聞こえた。
しかも大勢の、老若はわからないけど男女の悲鳴。それからたくさんの足音と、何かが壊れる音。
「ああ。来てしまった。思ったより早い……」
俺の頭に乗ったラフィオが震える声でつぶやく。
おい、何が起こっている。
「言っただろ。世界に危機が迫っていると。凶悪な怪物がこの街に現れ、人々を恐怖に陥れる。怪物を打ち倒し人々を救うことができるのは魔法少女だけぐえっ」
勝手に説明を始めたラフィオを引っ掴んで黙らせながら、物陰に隠れながら悲鳴の方を見る。
大勢の人が逃げていく光景が見えた。その中心にいるのは、異形の存在。
幼い頃に見ていたような、ヒーローものの怪人のような物がそこにいた。
閉じられてはいるがバンドは留まっていない、中途半端な開き具合の傘。そこから黒い手足が生えていて、取手を天井に向けた状態で立っている。
そして手足が生えている以上は胴体に当てはまると思われる傘の部分に、顔が浮かんでいた。
大きくつり上がったふたつの目。大きく空いているのに感情を読み取れない口。鋭い牙が生えているのはわかった。
手には大きな傘。
「あれはなんだ」
「フィアイーター。恐怖を食らう怪物だ」
俺の手から抜け出したラフィオが、肩まで駆け上って答えた。
フィアイーターなる怪物は、手に持った傘で周囲の人間を手当たり次第に殴ったらしい。奴の周りに何人かが倒れている。近くの売店にも傘が掠ったらしく、商品がぶちまかれていた。
倒れた人の生死はわからない。全く動く気配がなかった。
「悠馬、逃げましょう。危ないから」
「ああ。行こう」
「待ってくれ!」
こちらに気づかない内に逃げるべき。なのにラフィオが引き止めた。
「君がいないとフィアイーターは倒せない。警察や軍隊にも、足止めはできても倒すことは絶対に不可能だ。魔法少女の力がないと、もっと多くの犠牲が出る。だからお姉さん、魔法少女になってくれ」
「嫌です!」
「なっ!?」
思ったより強い拒絶が愛奈の口から出たから、ラフィオは驚きの声をあげる。
俺も賛同だけどな。言い方をもう少し考えて欲しかった。
俺の考えなど知らない愛奈は、ラフィオに断りの言葉を続けた。俺が止める暇もなかった。
「ラフィオにも事情はあると思う! けど、いきなり戦えなんて言われても無理です! わたしはただの会社員で、戦いとは無縁な生き方してきたし!」
「で、でも! この世界の女の子は小さな頃、みんな戦う魔法少女に憧れるものだと」
「昔の話です! もう卒業しました! というか、見てよ! あの怪物と戦うなんてむぐっ!?」
「少し黙ってくれ」
姉の口を塞いだけど、もう遅いな。最初に大声で否定された時点で手遅れだった。
「ぷはっ!? なによ悠馬!? あなたも、わたしに戦えって言うの!?」
「言わないけど、声で怪物に気づかれた」
「あ……」
フィアイーターだっけ。それがこっちに顔を向けた。
「フィアアアアア!」
それから雄叫びのようなものを上げ、傘を振り上げながら、走ってくる。
「逃げるぞ!」
「待て! 戦うんだぐえっ」
「わーん! なんでこうなるのよー! こうなったのも全部ラフィオのせいだから!」
止めるラフィオを掴み、自分の責任を認めない姉ちゃんの手を引き走る。あいつの走る速さはどれくらいだ? 俺や愛奈より早かったら、その時点でアウトだ。
けど振り返る暇も惜しい。とにかく逃げないと。それから。
「早く魔法少女になるって言え!」
「いーやー! 嫌です! 戦うなんて無理無理! むーりー!」
「戦わないと死ぬかもしれないんだぞ!」
「だったら! わたしじゃなくて悠馬にお願いしてよ!」
「魔法少女は女にしかなれないんだ!」
こいつらは。叫んで無駄に体力を使うな。というかラフィオは自分で走れ。楽しやがって!
そんなことを考えながら走っていると、視界の端に人の姿が見えた。
俺と同じくらいの年齢の女の子。知らない制服を着てるけど、たぶん高校生。
足を押さえて、自販機の陰に蹲っていた。
フィアイーターにやられたか、逃げてる途中で派手に転んだか。怪我をした足で必死にここまで逃げてきたけど、これ以上は走れないと悟って物陰に隠れ、怪物がこっちに来ない確率に賭けた。
その賭けは俺たちのせいで失敗して、フィアイーターはもうすぐ彼女を見つけるだろう。
彼女が襲われるのを見捨てれば、その隙に俺たちは逃げられるな。
けど、そんなことはできない。
「おい! 大丈夫か!? 逃げるぞ!」
俺はその子の方へと駆け寄った。
足には痛々しい打撲の跡。けど、片足は無事なようだった。
「立てるな? 肩を貸してやるから、逃げるぞ」
「え、あ、はい!」
「ちょっと悠馬! なにしてるの!?」
「見ればわかるだろ! 姉ちゃんは先に逃げてろ!」
「そんなこと言われても!」
ちらりとフィアイーターの方を見る。既に、かなり近くまで迫っていた。