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1-1.双里家に朝が来た

 双里そうり家の朝は騒がしい。


 原因のほぼ全部が、俺の姉にある。


「うへへー。仕事休んで好きなだけ遊んでいいって、そんな幸せ……」


 月曜日の朝七時。双里家の住居である家族向けマンションの自室のベッドに寝転んで、そんなふざけた寝言を言っているのが俺の姉、双里愛奈あいなだ。

 俺は愛奈の耳元に、母から受け継いだフライパンとお玉をゆっくり近づけていって。


「起きろ」


 カンカンカンとけたたましい金属音を響かせた。


「ぎゃああああああ!?」


 フライパンの音にも劣らない鋭い悲鳴と共に飛び起きる愛奈。


「なんなの!? 毎朝なんなのよ!? なんで普通に起こしてくれないのよ!? 目覚ましとかで!」


 やかましく抗議できる程度には、朝から元気だ。


「壊しただろ。三日連続で。毎日目覚ましを買い換えるほど、うちの家計に余裕はない」


 絶対に人は呼べないと断言できるほど、衣類や本で散らかった部屋の片隅に目をやる。

 愛奈が寝ぼけたまま掴んでぶん投げ壊れた目覚まし時計の残骸が、戒めとして残されている。しっかり三つ分。それと凹んだ無残な壁。


 三日連続の目覚まし時計の尊い犠牲の結果、俺が起こすしかないと判断したわけだ。


「ううっ。愛する弟が毎朝起こしてくれるのは嬉しいけど、こんな乱暴な方法はないわよ。もっと優しくやってくれてもいいのに!」

「優しくって、どんなやり方で?」

「わたしがスヤスヤ寝てるとしてね、悠馬ゆうまが部屋に入ってきてこう言うの。起きて、お姉ちゃん。お姉ちゃんがいないと僕むぐっ!?」


 気持ち悪い。


 実在しない俺の妄想を垂れ流す口を無理やり塞いで黙らせたら、愛奈はすぐに腕を掴んでどけた。


「ぷはっ!? なにすんのよ!? せっかく美人の姉が理想の姉弟の朝を教えてあげようとしてるのに!」

「自分で美人って言うな恥ずかしい」

「あー。照れてる。そうよね。こんな美人の姉の、朝の無防備な姿を見ると、健全な男の子なら緊張しちゃうよねー」


 絶対の自信を口にしながら、愛奈は無い胸を得意げに張る。


 確かに愛奈は、一般的に見れば美人と言える顔立ちをしている。少し吊り上がった目に、仕事の都合でショートにしている髪。

 表情も豊かだし職場で可愛いって言われることも多いらしい。


 胸はないけど。ピンク色のパジャマの上からは、僅かな膨らみも確認することはできない、完璧な壁だった。


 それはどうでもいいんだけど。


「あれあれー? お姉ちゃんの美貌に見とれちゃった? わかるわかる。たとえお姉ちゃんでも、こんな美人なら男の子は放っておくはずないわよねー」

「うるさい。とっとと着替えろ」


 実の弟を誘惑するために、目を細めて妖艶なつもりの表情を作って抱きつこうとしてくる愛奈を、俺は払いのけるようにあしらった。


 どんなに美人でも中身は馬鹿だ。というか実の姉だ。そういう感情を持つはずがない。

 なのにブラコン気味を隠そうとしない愛奈のノリは変わらなくて。


「もう。着替えが見たいなんて悠馬も男の子なんだから」

「俺の前で脱ごうとするな」


 俺を邪険に扱わないだけ、いい姉だとは思う。溺愛している雰囲気があるのは問題だけど。

 根が馬鹿だから、愛し方が下手だ。だから嬉しくない。


 とにかく、姉の着替えなんか見てたまるか。特に、それで誘惑しようとしてる馬鹿のは。


 パジャマのボタンを外した愛奈の、あまりにも平坦な胸を覆う薄桃色のブラやズレたズボンから覗く同色の下着を目にしないよう急いで部屋を出て、リビングに向かう。大して手間のかかってない朝食を準備するために。



 ややあって、スーツに着替えた愛奈もリビングに姿を表した。

 濃い色のスーツに短くタイトなスカート。そこから伸びる細い足にはストッキング。


 社会人やってるだけあって、スーツ姿は様になっている。会社でも、美人だけど馬鹿って評価を下されてる駄目社会人らしいけど。


「おはよー! 今日も清々しい朝ね、悠馬!」

「ひとりで起きられたら、もっと清々しくなるぞ」

「もー。可愛い弟が起こしてくれるから清々しいのよ。ねえねえ、今日の朝ごはんは?」

「食パンとベーコン」

「食パンはトーストしてある?」

「してない。生のままでも食えるだろ」

「いやいや!」


 様になったスーツ姿を一瞬で台無しにする絶叫が、リビングに響き渡った。


「トースターうちにあるでしょ!」

「焦げてしまわないか心配で」

「焦げないから! いい感じの焼き目がついたら飛び出てくるから! チンってベルも鳴らしてくれるし!」


 朝から元気だ。少し前まで惰眠を貪ってたのに。


「あと! その感じじゃベーコンも?」

「焼いてない」

「焼いてほしいです!」

「焼く方法がない」

「わたしを起こしたフライパンは何でしょうか!?」

「姉ちゃんを起こす道具だよ」

「違いますベーコンを焼く道具です! あと目玉焼きとか! ステーキとか焼いてください!」

「うるさい。とっとと食え」

「ううっ。お母さん。あなたの息子には、料理の才能があまりにもありませんでした……」

「娘にもなかったから、俺が飯を用意してるんだよ」


 姉が料理をすると、雑な性格のせいで、とんでもない料理が出来上がる。

 俺ならギリギリ食えるものができるから、消去法で料理の担当は俺になったわけだ。


 姉弟で、こういう所だけ似てしまった


「早く食わないと遅刻するぞ」

「やだー! 遅刻したくないけど仕事も行きたくないです! そうだ! 今日は有給を取るわ! ふふ、わたしって天才かも」

「今年度からは、有給は大切に使うって誓わなかったか?」


 社会人になって四年経ってるはず。愛奈は初年度から、有給は毎年度きっちり使い切っていた。しかも上半期の内に。

 数日前に四月になって年度が変わり、新しく休みが付与されたとはいえ、この段階から休むと後が辛い。


 なんで俺が、姉の有給の心配をしないといけないのか。


「わーん。弟がいじめてきます! お母さん助けて!」

「はいはい。行ってこい。そろそろ遅刻するぞ」

「行ってきます! 仕事したくないけど! ねえ悠馬! なんかやる気出ること言って!」

「いつも、やりたくない仕事がんばって、姉ちゃんは偉いと思う」

「うん! なんか頑張れそうな気がしてきた!行ってきます!」

「行ってらっしゃい」

「ねえ悠馬! 行ってきますのキスを」

「やるか馬鹿。さっさと行け」


 粗末な朝食を強引に飲み込んだ愛奈を、なんとか家から追い出した。


 そういえば天気予報で、夕方から雨って言ってたかな。あいつ、傘持ってないだろうな。



 これが双里家の、というか俺、双里悠馬と俺の姉の朝だ。


 俺もまた朝食の片付けをして、可燃ゴミが入ったゴミ袋を持って家を出ようとして。


「おっと。父さん、母さん、兄貴。行ってきます」


 仏壇の前に座ってお椀型の鐘をリンと鳴らす。それから改めてゴミ袋を持って、マンションの扉から出た。俺も高校生。遅刻するわけにはいかない。


 しっかり鍵をかけて、同じタイミングで家から出たお隣さんに挨拶する。マンションの近くのバス停ではクラスメイトが待っている。そんな日常へと出た。

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