たどり着いた
三人も地面へ降り立つと、
「霊力の無い人間にはわからないのだろう。誓いに来る者皆怨念を吸われている」
「わざわざ一途でいることを誓いに来るのは、どちらかがそうでない、または不貞行為があったから、ってことでしょうか」
「世も末だね」
三人はさらに廟の内部へと進んでいく。
「ああ、あれが
よく手入れが行き届いているようで、塵一つ見当たらない。
「観音様は通常中性的に造られるものだが……」
「明らかに女性的。それに、きっと造型の元になった人物がいる」
それほどに、細かく造り込まれている。
今にも話し出しそうなほどに。
三人は顔を見合わせる。
「それが
「恐らくは」
「じゃぁ、遺体は……」
ただ、廟はまだ奥まで続いているようだ。
「夜中に来るしかないようだな」
「そうですね。僧侶の皆さんに顔を覚えられないうちに出ましょう」
幸い、観光目的で来ているのだろう人々も多く、男三人で歩いていても怪しくない。
三人は廟を後にした。
そして、深夜。
「行くぞ」
入るとすぐに
すると、観音像の前に一人の女性が立っていた。
気付かれはしないだろうが、三人は音を立てないよう注意して歩く。
「霊力を持った人間が来るなんて、そうそうないのよ」
女性と目が合った。
「隠れたって無駄。私は怨霊なの。お三方、霊力の
「初めまして、
振り返った女性は黒髪を肩に垂らさないよう、綺麗に結い上げている。
可憐な顔立ちだが、しっかりとした身体つきから武人であることがうかがえる。
薄い紫色の
「
「
「厳密に言えば、そうです。父が武神なので……」
「仲間に秘密を持つのは良くないわよ」
「秘密というほどのことではない。
「残念。友情って、あまり好きじゃないのよね」
「何をしに来たの?」
「
「ああ……。駄目よ」
「
「『殿下』をつけなさいよ。彼は
「それは千年前のこと。今はただの怨霊です」
「私は未来の夫を、くだらない理由で奪われたの」
「彼は皇太子に冊封されることが決まっていた。
彼女は唇を噛み、うつむいた。
「それに、私は一品軍侯の娘。身分は貴いけれど、それでも、第三皇子の妃には敵わない。第三皇子の妃は皇后陛下の兄君である宰相の娘。家柄が違いすぎる」
「権力を欲する宰相と、その配下達はこう考えたの。『
視線が宙を浮き、
「初めは名誉の戦死だと思った。でも、指揮官級の精鋭を三千人父が貸していたにもかかわらず、戻ってきたのは怪我で戦線離脱していた十人足らず。そんなのおかしいでしょう? 彼はいくつもの軍功を挙げ、国境軍からの指示も厚い武人なのよ?」
声が震えている。
「父の様子も日に日におかしくなっていった。だから、私は問いただしたの。本当の事を」
「父は家を守るために誰にも言えなかったのよ。帰還した兵から真実を聞いていたのに……。
彼女の左胸のあたりに幻覚の血がにじむ。
「私に与えられた彼の遺品は小刀だけ。私はそれで彼の後を追った。彼のいない世で生きていける自信がなかったから」
「いいかしら。彼は千年の時を経て、忌々しい
「
「その通り。誰が手伝ったのかは知らないけれど、彼の魂を取り戻すために使われたのはあの女の身体。その時にはすでに死んでいたようだけれど、身体に宿る霊力で充分贄に出来たのよ」
「どうしてそれを知っている」
「だって、千年も封じられていた魂を取り戻すにはそれ相応の力が必要になるのよ? だから、誰かが
それを見た
「あなた……、
「
「そうよ。恐らく、食べ物か飲み物に黄泉の食材を混ぜられたのね。生きながらにその
「彼は死後その
「彼の復活を邪魔する奴は消す。今生からも、黄泉からも」
「お探しの
「さぁ、何からもらおうかしら」
靄がまっすぐ
「くっ」
鈍い声。
靄が当たった個所の皮膚が擦り切れたように赤く血がにじんでいる。
「
「
球状の結界が
「そんなもの……、きゃあ!」
矢による突風が靄を散らし、
「な、何なの。何なのよ、その力は!」
しかし、
「どうして⁉ なぜ私を攻撃できるの⁉」
何かを思い出したように身体を震わせた
右腕が貫かれている。
「観音像のどこかにあなたの骨が納められているのでしょう。だからここから離れられない。だって、十年前に大好きな
それに、と、
「
「うるさいうるさいうるさい!」
靄が次々と放たれる。
「なんなのよ……。ひらひら飛び回って、目障りなのよ!」
靄が
「死ね」
中から何かが弾ける音がした。
それは白い煙を発し、冷気を纏っている。
黒い球体を剥がすように床に零れ落ちたのは、黒ずんだ氷だった。
「あなたの怨念など、私が罹患した
先ほどまで持っていた
「そ、そんな……。嘘よ、嘘よ!」
断末魔がこだまする。
「あんたたちを呪ってやる!
最期の高笑いが消えていく。
観音像の首が落ち、金属特有の轟音が響く。
切り口から何かが転がり出てきた。
「頭蓋骨、ですね」
「おかしい……」
通常、地縛霊などの、『土地』や『物』に縛られている霊は、その身体か場、物に鎖がついているはず。
「もしかして、
「お疲れ様、
「ありがとう、
結界から二人が出て来る。
「難しい顔してどうしたの?」
「今戦っていた
「どういうことなんだ」
「頭蓋骨と怨霊を繋ぐ鎖が見えなかったんです。だから、あれは霊体ではなく、怨念の残滓……、
「それでは、
「おそらく、もう輪廻の中にいるか、最悪の場合転生しているでしょう」
「そんな! 同じ魂を持った人間が生きているってこと?」
「色々聞きたいことはあるが、まずは……」
三人は床に転がる
「……
「じゃぁ、少なくともあと二つあるってこと?」
三人は絶句した。
こんなにも危険なものが他にも存在し、それがどこにあるのかもわからない。
「ひとまず、
「そうだな。兄上のところへ行こう」
三人は廟から出ると、
しかし、飛行を始めて三十分ほど経った頃、
「
「下は……。
「大丈夫。私の結界があれば守れるから」
「
「だ、大丈夫だよ。さっき霊力を使いすぎただけだから」
「何度も言うけれど、体調に自信があって本当に大丈夫な人は吐血なんてしないんだよ」
「もっともだ」
そんな目で見つめられてしまったら、
「わかった。少し休ませてもら……」
小声で言う。
「見られている」
その何かは、土を身体に塗りたくり、臭気を隠しているつもりだろうが、血の臭いが漂っている。
多くは動物だが、わずかに混じるのは人間の血液のにおい。
「
三人が警戒を強めると、低く、たどたどしいがしっかりとした声が聞こえてきた。
「誰だ、棲み処に、入り込んで、きたのは」
三人は驚いた。
薄暗い中、目を凝らす。
体躯の大きな武将にも見えなくはないが、それは確かに人間ではなかった。
「我らは旅の者。傷ついた仲間を休ませ、ここを通り過ぎたいだけだ。戦う意思はない」
「……人間と、人間ではない、者がいる」
「なぜ人間ではないと?」
三人の鼓動が早くなる。
「……美味そうな匂いがしないから、二人は人間じゃない。人間なのは、お前、だけ」
指をさされた
「その通り。私は人間だ」
「では、食材にする」
「私は黙ってお前の食事になるつもりはない」
睨み合う。
「人間は鹿を殺す。熊を殺す。兎や豚、牛を殺し、食料にする。俺と同じ。だが、俺達は人間とは違って、必要なものを、必要な時に、必要な分だけしか、とっていないぞ」
「人間とは違って、とは?」
「人間は食べもしないのに、人間を襲う。人間は食べもしないのに、人間を殺す。それはおかしいことだ。間違っている」
小型の五体の
月の光が彼らを照らす。
「それは……」
三人は言葉を失くし、彼らの姿を見た。
「俺達は、遥か昔、何百年も前、戦っていた。人間に調教されて、
数多の裂傷に皮膚の爛れ。
それらは動物同士の争いではつくはずもない、戦争の傷。
「用済みになり、山に捨てられたところに、
「人間は、欲を満たすためだけに、殺す。それは、腹が空いたとかじゃなくて、殺意と優越感、支配欲、加虐心。俺が入っていた檻の隣には、捕まった人間が、たくさん押し込まれた檻があった。毎日請われた。特に、女たちから、『その爪で、殺してくれ』と。あれは、とても恐ろしかった」
人間について弁明する言葉は、すべて綺麗ごとに過ぎない。
「人間は、恐ろしい生き物だ。でも、食べれば美味い」
「俺は、女たちから、『
「知っているか?」と
「人間は、共通の敵が好きだ。感情無く、攻撃しても、許されると、思うのだろう」
「ある日、偶然、夜に俺の檻が開いた。女たちは、檻の隙間に首を押し付け、『引き裂いて!』と懇願した。だから、そうした」
その時、ちょうど見回りに来ていた兵士が入ってきて、
「次の日には首を斬られ、この山に捨てられた。首を斬られる前に、たくさん刺されたり切られたりした。それも、隣の檻に入っていた人間たちに。俺は抵抗しなかった」
「俺は山に捨てられたおかげで、二度目の命を得た。今度は俺が仲間を護る。人間を共通の敵にして」
手から零れ落ちていく希望と期待。
絶望が脳を支配する、あの冷たくて灼熱の感覚。
溢れ出してくる涙が滑稽で、悲しむ自分が許せない、焦燥に襲われる瞬間。
「どうして私はこんなにも役立たずなのだろう」と、両親の偉大さと自分の矮小さを比べて苦しむ感情。
助けられる力があるのに、何故間に合わなかったのか、と、自分を責める。
抜け出せない。逃げ出せない。見上げれば晴れ渡る空が羨ましくて恨めしくて辛い奈落の底。
それを無理やり奮い立たせているから、求める姿しか見えなくなる。
悲嘆に縋り、思い描く航路との相違点にまた苦しむ。
「あなたの言いたいことはわかります。でも、それを許すわけにはいかないんです」
口からは赤い
「なぜ我々は人間と同じように生きられない?」
悲哀を含んだ強い瞳。仲間を護りたいのだろう。
だが、同情に
「あなたがたまたま人間に近い倫理観を身に着けているとして、それには何の力もありません」
「どうしてだ」
「殺意には、殺意しか返ってこないからです」
「
「結界を解いてくれ。彼らをここまで追い詰めてしまったのは私の祖先達。終わらせるには、私が戦わなければならない。でも、一人では無理だ。力を貸してくれないか」
「……仕方ないなぁ!」
「行くぞ」
低いうめき声が響く。
後方へ宙返りすると、着地した勢いを使って再び
流石にまずいと察知したのか、
あふれ出す血は腕を伝い、地面を濡らしていく。
刃に赤い氷の結晶が現れる。
鈍い音を立てながら滴る大量の血液。
「まだ、まだ戦え……、ぐっ」
突如、
「あっ、はぁっ、お、お前、な、何をした!」
「氷が血流にのって届いたんですね。心臓に」
彼の命も、思いも、野望も、すべて消え去った。
残りの五体は
「気を付けろ。まだあと一体気配がする」
その時だった。
「……父の遺体は返していただきます」
子供にしては大きい。
青年期だろうか。
先ほどの
「父親を殺されて、我々に復讐しないのか」
「父とその側近を亡き者としたあなた達に、私が敵うとでも?」
「あえて出てこなかったんですね」
「ええ。父の死は無駄にはしません」
話し方に淀みがない。人間の言葉を話しなれているのだろうか。
「言葉が流暢ですね」
「人間は食べる以外にも使い道があるでしょう?」
捕えているのだろうか。それならば、見逃すわけにはいかない、と、
「あなたが想像しているようなことはしていません。習いに行っているのです。目の不自由なご婦人の元へ」
三人はぞっとした。
今目の前にいる
「名前を窺っても?」
「私の名は
自信に満ちた笑顔が、恐怖をあおる。
「一つ聞きたいのですが」
「何故その人間を差し出さなかったのです? そうすれば、人間ではないお二人は怪我を負うことなくここから出ることが出来ましたし、私の父も死なずに済んだ。綺麗に終われたでしょうに」
空気が張りつめる。
瘴気ではなく、わずかながら霊力を保有しているのがわかる。
武器を構えようとする二人を制し、
「綺麗な終わり方なんて、そうそうないんです。だからこの世には、傷つけあう道具や言葉があるのでしょう」
力なく微笑む
「では、私もその道具や言葉を身に着けて来ますね。今はまだ人間の時代。それを終わらせる力を持った
「『
「わからない。『人間の時代』というのも『それを終わらせる力』というのも、さっぱりだ」
「
二人は頷いた。
三人は
月灯りが眩しく、
地上が見えなくなる。
三人の目には、進むべき方角と互いのことしか映らない。
だから気付けなかった。
森の奥、一人の女性が隠れていることに。
右腕をだらりと下げ、首から流れる血を左手で押さえている。
「やっと始まるのね……」
女性が背負っている剣が小刻みに揺れる。
まるで何かを食べているように。