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第二集:記憶との邂逅

 春にしては気温が高く、雨の降る中、見目麗しい青年を先頭に、五人の男性が深い森の中を駆けていた。

 その後ろには総勢三十体の鬼霊獣きれいじゅう

 獰猛な動物の死体に鬼魄グゥェイトゥォが憑りつき、僅かな知性を持った怪物だ。

 多勢に無勢。

寧燕ニンイェン様、このままでは追いつかれてしまいます」

 男達の身体には複数の傷があり、血の臭いが漂う。

「わかっている。しかし、我々に残っている霊力は僅か……。戦闘になれば生き残れまい。私は誰も失うつもりはない」

 こんな時、兄上ならばどうするだろう、と、寧燕ニンイェンと呼ばれた青年は考えた。

 目じりに引かれた紅が焦りで流れる汗で滲んでいる。

 刹那、深緑の閃光が奔った。

「ちょっとぉ、先に行かないでよ!」

「助けなきゃ!」

 男達と鬼霊獣きれいじゅうの間に入ったのは、二人の青年。

夏籥シァイャォ、援護任せたよ」

煙紅イェンホンは私のこと便利で丈夫な……、いや、違う。美しく雅な素晴らしい盾だと思っているでしょう。まったく」

 夏籥シァイャォは男達に重陽華盾ちょうようかしゅんの結界を張り、剛仙弓ごうせんきゅうを構えて守りの体勢に入った。

 煙紅イェンホンくうから紅熊ノ剣こうゆうのつるぎを取り出すと、鬼霊獣きれいじゅうの群れへと向かって行く。

 寒凍魄かんとうはくのろいが身体を蝕んでいるため、長い時間は戦えない。

 しかし、煙紅イェンホンは武神の子供。

 短期決戦は得意中の得意だ。

 次々と鬼霊獣きれいじゅうの頭を斬り落としていく。

 小隊のほとんどを倒したその時、人間の血の臭いに誘われたのか、大型の鬼霊獣きれいじゅうが迫ってきた。

 煙紅イェンホンは立ち向かうも鬼霊獣きれいじゅうの爪は鋭く、剣で受けるだけで腕が痺れる。

「私がいないと駄目だね、煙紅イェンホンは」

 夏籥シァイャォの放った矢が鬼霊獣きれいじゅうの額を撃ち抜く。

 煙紅イェンホンは、ふらつきながらも尚もこちらを捕食しようと近付いてくる鬼霊獣きれいじゅうの真上に跳び上がり、そのまま体重をかけて首を斬り落とした。

「ふう、硬かった。ありがとう、夏籥シァイャォ

「お安い御用だよ」

 夏籥シァイャォは可憐な微笑みを返すと、振り向き、結界を解いた。

「私は医仙いせんです。皆さんの治療をしても?」

「あ、ああ。仲間から頼む」

 男達は夏籥シァイャォに促されるままその場に座り、大人しく手当てを受けることに。

 男達から寧燕ニンイェンと呼ばれている青年は、剣を持ち周囲を警戒している煙紅イェンホンを見つめた。

 口から出ている白い息は、催花雨さいかうが降り注ぐ春には似合わない。

「確か、名前は煙紅イェンホン……。まさか……」

 青年の中に眠る記憶が頭を掠める。

 幼い頃、兄に運ばれたどり着いた先で、朦朧とする意識の中、あたたかな手が自分の手を握ったことを覚えている。

 真夏なのに寒くてたまらなかった身体は、その直後、熱を取り戻した。

 そして横を見ると、白い息を吐きながら苦しむ少年がいて、こちらに向かって「助かってよかった……」と力なく微笑んでいる。

 青年は立ち上がると、煙紅イェンホンへ近付いて行った。

「お前は……」

 煙紅イェンホンが振り向く。

 青年の目に映ったその美しい瞳は、あの時の少年と同じ。

「十年前、禪寓閣ぜんぐうかくで私を救ってくれた……」

 煙紅イェンホンは青年を見て咳き込んだ。

「す、すまない。驚かせてしまったな」

 夏籥シァイャォの視線を感じた煙紅イェンホンは、「大丈夫」と口を動かした。

「でも、そうだろう? 確か……、煙紅イェンホンだったな」

 煙紅イェンホンはどう答えればいいか悩み、正直に話すことにした。

「おっしゃる通りです。では、あなたはシァォ 睿琰ルイイェン殿下なのですね」

 煙紅イェンホンは動揺を表に出さないよう、深呼吸をした。

 会わなくて済むのなら、それが一番良いと願っていた相手が目の前にいる。

 そんな煙紅イェンホンの気持ちとは裏腹に、互いの姿を見えづらくしていた雨が止んだ。

「ああ、そうだ。銀耀ぎんよう江湖こうこではニィェ 寧燕ニンイェンと名乗っている」

「何故銀耀ぎんよう江湖に?」

 煙紅イェンホンの問いに、睿琰ルイイェンは少し考えてから言う。

颯嵐サーランという名に心当たりは?」

 煙紅イェンホンは頷いた。

ニィェ 颯嵐サーランは、銀耀ぎんよう江湖で小規模ながら精鋭の武人を率いている琉星りゅうせい羽林うりんの宗主ですよね」

「そうだ。彼には別の顔がある。琉星りゅうせい羽林うりんの宗主は私の兄、皇長子こうちょうし睿蘭ルイランなのだ」

 煙紅イェンホンも、そのすぐ後ろで男達を治療している夏籥シァイャォも、言葉を失うほど驚愕した。

「兄上は幼き頃より睿靖ルイジン叔父上に憧れていらしてな。皇長子こうちょうしという身分を隠し、銀耀ぎんよう江湖で自分の勢力を築いていらっしゃるのだ。今では私もその勢力を形作る一武人として仲間に入れていただいている」

 誇らしげに語る睿琰ルイイェンの姿に、煙紅イェンホンは一つの疑問が浮かんだ。

「た、確か、睿琰ルイイェン殿下は……」

「ああ。一昨年、皇太子に冊封された。それでも、辞めるつもりはない」

 睿琰ルイイェンは森の中を見渡しながら、拳を握り締めた。

「先ほど、何故銀耀ぎんよう江湖に、と尋ねたな」

「あ、ええ。はい」

煙紅イェンホンも聞いたことくらいはあるだろう。千年前に怨霊となった皇長子こうちょうし睿犀ルイシーについて」

 煙紅イェンホンの心臓が跳ねた。

 夏籥シァイャォの心配そうな目が背中に刺さる。

「十年前に復活した睿犀ルイシーは、自身を陥れた者達すべてを憎み、皇宮を標的として復讐を遂げる力をつけつつある。私は皇帝である父上と、怨霊を封印していた最中さなかに命を落とした煌珠ファンジュ叔母上のために、睿犀ルイシーをこの天下から滅したいのだ」

 咳が出る。

 それは次第に激しくなり、血が混じる。

 赤い氷煙ひょうえん

煙紅イェンホン!」

 睿琰ルイイェンが慌てて煙紅イェンホンの背を撫ぜる。

 夏籥シァイャォくうから何かを取り出しながら駆け寄ってきた。

煙紅イェンホン! 落ち着いて深呼吸するんだ。ほら、これを吸って」

 渡されたのは薬湯が入った竹筒の水筒。

 煙紅イェンホンはゆっくりと湯気を吸い込み、肺を温めた。

「すまない。私の話のせいで……」

「い、いえ。違うのです……」

 まさか睿琰ルイイェンの口から母の名前が出るとは思わず、煙紅イェンホンの身体は激しい動揺に追い付かなかったのだ。

 話を逸らさなければ。

 煙紅イェンホンは話題を変えようと、まだ白い息が出続ける中声を出した。

「殿下は霊力をお持ちなのですね」

「あ、ああ。銀耀ぎんよう江湖で修業を積んでいるからな。人間は本来皆が霊力の源を身体の中にもっていると教えてもらった。それを正しく鍛えれば、誰でも力を得ることが出来る、と」

「その通りです」

煙紅イェンホンはあの頃から力を持っていたのか」

 他愛のない話をしようと思っていたのに、煙紅イェンホンはどうやら墓穴を掘ったようだ。

「わ、私は禪寓閣ぜんぐうかくの先代閣主かくしゅに拾われた身。幼き頃より修練しておりましたので……」

 苦し紛れの嘘でも、まったく真実が含まれていないわけではない。

「そう慌てなくてもよい。銀耀ぎんよう江湖では詮索しないのが暗黙の了解。私が間違っていた。すまない」

「いえいえ! そんな、大丈夫です。本当」

 一国の皇太子に謝罪され、煙紅イェンホンは吹き出る汗が氷の粒と成って肌の上を転がり落ちていくのを感じた。

「霊力を得たのは、それがどうしても必要だったからだ」

 睿琰ルイイェンはまっすぐと二人を見つめ、懐から一枚の古ぼけた布を取り出した。

「これは睿犀ルイシーの許嫁だったムー氏の遥か昔の邸宅跡から発見されたもの。二人は何か知っているだろうか」

 そこには血文字で書かれたのろいの言葉の他に、家宝のことが記されていた。

禍珠かじゅ……?」

 夏籥シァイャォ煙紅イェンホン睿琰ルイイェンを交互に見ながら小首をかしげた。

「私も知りません」

「そうか……。どうやら、睿犀ルイシーの許嫁だった女子おなごはこの家宝を使って奴を蘇らせようとしていたようなのだ。自分の命と引き換えに」

 煙紅イェンホン夏籥シァイャォは顔を見合わせた。

「どうやってそんなこと……」

「わからぬ。それを確かめるために、この禍珠かじゅとやらを探しているのだ。恐ろしい力をもった宝玉ならば、きっと鬼魄きはく界と近しい場所にあるのではないかと思ってな」

「なるほど……」

 煙紅イェンホン睿琰ルイイェンを見て頷いていると、夏籥シァイャォが二人を見て言う。

「家宝ならば、この女子おなごが大事に保管しているのかも。例えば、実家の墓地とかに。女子おなごもさすがに亡くなっているでしょうから、抱きしめながら永久の眠りについているかもしれませんね」

 可愛らしい少女のような笑み。

「それだ!」

 睿琰ルイイェン煙紅イェンホンが同時に叫んだ。

「すごいよ、夏籥シァイャォ! 許嫁だった女の人が、いつか誰かが禍珠かじゅを見つけて睿犀ルイシーのために尽力してくれるかも、と思ってもおかしくはないよね」

「まったくもってその通りだ。何故我らはそれに気付けなかったのか……。さすがは禪寓閣ぜんぐうかくの門下生だ」

 二人から褒められ、夏籥シァイャォは得意げに微笑んだ。

「そうと決まれば、私達はここで失礼する。近いうちに禪寓閣ぜんぐうかくへ礼をしに行く」

「あ、ちょっと……」

 煙紅イェンホンが口ごもる。

「どうした? 煙紅イェンホン

 睿琰ルイイェンが仲間たちの元へ向かいながら聞いた。

 夏籥シァイャォは親友の表情を見て、溜息をついた。

 そして代わりに口を開く。

「皆さんのことが心配なので、私達も同行したいのですがよろしいでしょうか、殿下」

 煙紅イェンホンは親友の発言に驚きつつ、笑みを浮かべた。

「うむ……。たしかに、それは有難いが……、いいのか?」

「もちろんです」

 煙紅イェンホンが頷いた。

「では、頼もう。私のことは寧燕ニンイェンと呼んでくれ。皇宮の者に露見すれば連れ戻されてしまう」

「かしこまりました」

「せっかくだから友達になりません?」

 夏籥シァイャォの言葉に、煙紅イェンホンのみならず琉星りゅうせい羽林うりんの者達も目を丸くした。

「それは嬉しい申し出だ。皇太子になると簡単に人を信じるわけにもいかず、友人をつくれなくてな……。煙紅イェンホン夏籥シァイャォ、今日から友人としてよろしく頼む」

「うん。仲良くしようね、寧燕ニンイェン

 煙紅イェンホンは時々親友の行動力と度胸が恐ろしくなる。

「に、寧燕ニンイェン様」

「違うぞ、煙紅イェンホン。友人なのだから敬称をつけるな」

「……寧燕ニンイェン

「それでいい」

 睿琰ルイイェンは、煙紅イェンホンから見れば従兄弟にあたる。

 皇帝とその弟である睿靖ルイジンが、煌珠ファンジュの秘密を守り続けている限り、その息子である煙紅イェンホンの存在が明かされることはない。

 そのため、睿琰ルイイェンに正体を伝えられるはずもなく、嘘をつき続けることになる。

 煙紅イェンホン玄絹シュェンジュェンに触れ、心に切なさが積もった。

「では早速向かおう。……人数が多いと目立つな。お前たちは戻り、兄上に伝えてくれ」

 睿琰ルイイェン琉星りゅうせい羽林うりんの仲間達にそう告げ、友人となった三人で行くことにした。

ムー氏は墓地ではなく、びょうをもっている。なんでも、石蒜せきさん観音を祀っているらしい」

石蒜せきさん観音? 初めて聞きました」

「私も良くは知らないのだが、公主こうしゅ達が言うところによると、『恋愛成就を願うのではなく、すでに恋仲にある二人が互いに一途であり続けることを誓いに行く』らしい」

「なんと言いますか……。恋愛とは難儀なものなのですね」

「私は素敵だと思うけれど」

 夏籥シァイャォは隣を歩く睿琰ルイイェンに「ね?」と同意を求めた

 三人は会話をしつつ、目立たないよう森の中を進む。

寧燕ニンイェンはいつも紅を引いているの?」

 夏籥シァイャォ睿琰ルイイェンの目元を見つめながら聞いた。

琉星りゅうせい羽林うりんの一員として動いているときだけ引いている。兄上に教えていただいたのだ。少し顔に手を加えるだけで、皇族だと気付かれにくくなる、と」

「へえ。可愛いね。とっても似合っているよ」

 煙紅イェンホンは親友の言動に動悸を感じながら先頭を歩いた。

夏籥シァイャォの度胸には恐れ入るよ……)

 後ろを歩く二人は、端から見れば仲の良さそうなただの見目麗しい青年。

 だが、片方は金霞きんか国の皇太子で、もう一人は医神の息子。

 友人達を振り返り溜息をついている煙紅イェンホンも、武神の息子であり、亡き母は護国巫姫ごこくふき

 そんな不思議な三人組でも、これから行こうとしている場所へ入ることは容易ではない。

 睿犀ルイシーの許嫁の生家、ムー氏は一品軍侯の爵位をもっており、現在も軍功を重ね、邸宅をさらに広い土地へと移しその地位と権力を保っている。

 もし睿琰ルイイェンが身分を明かし皇太子だと告げたとしても、説明できる理由が無いのに侯爵の家や廟の立ち入り禁止区域に押し入ることは出来ない。

寧燕ニンイェン、廟についたらどうなさるおつもりなのですか」

 煙紅イェンホンは前方を警戒しながら睿琰ルイイェンに尋ねた。

「忍び込むほかあるまい」

煙紅イェンホン玄絹シュェンジュェンを使えば簡単じゃない?」

 夏籥シァイャォが微笑む。

玄絹シュェンジュェンとは?」

 睿琰ルイイェンの問いに、煙紅イェンホンは首元からそれを外しながら答えた。

「これが玄絹シュェンジュェンです。産まれた時に、父と母からもらったもので、私の霊力に反応して様々な効力を発揮してくれるのです。例えば……」

 煙紅イェンホン玄絹シュェンジュェンを頭からかぶり、二人の背後に回った。

「……煙紅イェンホン? どこへ行った」

「ここです」

 布をとり、姿を現した。

「なんと……。姿を消せるのか」

「これは姿を消しているのではなく、目立たなくしているのです。私をその辺に落ちている小石と同じ程度の存在感にしている、と言った方がわかりやすいでしょうか」

「なるほど……」

 睿琰ルイイェン玄絹シュェンジュェンに触れ、とても興味深そうに眺めている。

「だから飛んで行こう、二人とも」

 夏籥シァイャォが「その方が早いでしょう?」と、さも当然のことのように言った。

「でも、寧燕ニンイェンは……」

「霊力が芽生えているとはいえ、さすがに空は飛べないぞ」

「大丈夫。私達が飛べるから。ね、煙紅イェンホン

 そう言うと、夏籥シァイャォ睿琰ルイイェンの前面に回り込み、その身体を背負った。

「お、おい」

煙紅イェンホンは強いけれど身体はひ弱なの。だから私が背負うね」

 夏籥シァイャォは地面を蹴り、ふわりと浮かんだ。

「ほら、はやく」

 煙紅イェンホンは「わかったわかった」と浮かび上がり、自分達に玄絹シュェンジュェンを被せた。

「歩くと六時間以上かかるけれど、飛べば四十分ちょいで着くよ」

「そ、そうか。では、よろしく頼む」

 三人は橙色になり始めた空を進む。

 雨が洗った空気がとても清々しい。

 煙紅イェンホンの口から洩れる白い息が、雲のように流れていった。


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