桃の花咲く穏やかな春の日。
鳥たちが舞う先にあるのは、滝が流れる岩肌に聳え立つ荘厳な楼閣。
そんな静謐な雰囲気が漂う
年の頃は少年期と青年期の過渡期、十七歳といったところ。
「
「いいの。気に入っているの。
「あたりまえでしょ? 私はここの
「はいはい、そうだね」
刹那、
「……またやったんだね。
身体にも倦怠感が伺える。
「大丈夫だよ。少しだけだから」
首元に巻き付いている黒い布が、体調不良の
「あのさぁ、何度言ったらわかってくれるの?」
治療のために、と、腕を掴まれたため、逃れられない。
「だ、だって、私なら助けられるし、それに……」
「何」
「
「いつもありがとう」
そこへ、水色の
「お、また
「
「無駄だろうなぁ。
「呼びましたか」
「
「
「わかっています、
「そもそも、その力はこういうことに使うものではないからな」
それは強力な封印の力。
その力は武神である父親から受け継いだ膨大な霊力と結びつき、自由自在に操ることが出来る。
従兄弟であり親友の
「それもそうだし、
「十年前、
「自分で決めたことだから」
「今回もらってきた
十年前、
仙界と人間界の境にある
その日、高貴な身分の少年は僅かな希望を携え、「弟を救ってください」と門をたたいた。
凶悪な
口から吐く息は白く、身体は氷のように冷たい。
霊力も何もない人間では、あと数時間で命を落とす。
そこで、
「私なら、救える」と。
咳が出る。
血が混じるも、すぐに凍り、赤い
頭も痛い。それも、破裂しそうなほど。
肺には息を吸うたびに針を飲み込んだような激痛が奔る。
「霊力を使って自分を守るのだ、
自分が助けた少年を見る。
顔色が戻り、呼吸も安定しているようだ。
安心した
「あの時は心配かけて本当に悪かったと思っているよ。気を付ける。もっと自分を大事にするって約束するから、そんなに悲しそうな顔をしないで」
「まったく。毎回そうやって誤魔化すんだから。いつか殴ってやる」
「手合わせで何度も斬りかかって来ているでしょう」
「あれは剣術の修練だから関係ないもん」
「ああ、そう……」
二人は顔を見合わせ、笑いあった。
「仲が良いことは素晴らしいことです。では、私は書房に居ますから。出掛ける時は一声かけてくださいね、
「わかりました」
「
「はいはい、どうぞご自由に」
もらってきた
白い息を切らしながら、屋根まで飛んで行く。
「部屋の中で火鉢を焚くよりも、陽の光を浴びるのが一番。ね、
首に巻いている黒い絹、
☆★☆★☆
千年前のこと。
挙げた武功は数知れず。
辺境の兵達からも信頼され、皇太子に冊封されることが期待されていた、まさに傑物。
その立ち居振る舞いは美しく、才色兼備。
幼馴染で許嫁の
太陽の光も、月の光も、星々の光も、そのすべてが
皇帝もそんな息子を心から愛し、信頼していたため、常に目をかけ慈しんだ。
そして、ついに皇太子へと冊封されることが決まり、儀式の日程も占われていた頃。
北の国境線で不穏な動きを察知した兵部尚書が皇帝へと奏上した。
「このままでは、異民族に北の要所である城が落とされてしまいます」と。
これを皇帝の側で聞いていた
皇帝は「冊封を控えているのに、危険な戦地に送ることなど出来ぬ」と慌てた様子で言うも、
「例え私が皇太子に成ったとしても、異民族による侵略行為で傷つき悲しむ民がいては、本末転倒。我々皇族は、民を守ることこそが本来のあるべき姿です、父上」と。
皇帝は愛する息子の出兵を許可するしかなかった。
窮地にある北の地において、その士気を上げることが出来るのは、
「過酷な戦いとなるだろう。それでも、私はお前たちを信じている。共に
北の国境線へ到着した
それはとてつもない悪戦であった。
異民族を三人葬ったと思えば、
このままでは、例え勝ったとしても多くの仲間を失うことになる。
そうすれば、北の国境線は不安定なまま冬を越すことに。
「火攻めを行うのだ!」と。
敵の本陣に向かい、
そこへ、一斉に火矢を放つ。
それは風に乗って敵軍に広がり、戦場は阿鼻叫喚となった。
何時間経っただろうか。
大量の焼死体が転がる惨状の中、
歓声が上がる。
しかし、それもつかの間、疲弊しきった
雨のように降り注ぐ火矢が油壷に引火する。
「何者だ!」と
「ど、どうして……」という
半日後、援軍として向かったという兵からの報告が入る。
「激戦の末、異民族を退けたものの、すでに
皇帝は
体調が不安定となった皇帝は、自身の命と国の行く末を案じ、皇后に言われるがまま嫡子である第三皇子を皇太子に冊封した。
それは皇后の兄である宰相がずっと願っていた結末だった。
「異民族の族長には慰霊の品を送っておけ。協力への礼金もな」と、宰相は侍従に指示した。
その後、皇太子には宰相の娘が嫁ぎ、血筋が持つ権力が盤石なものとなった宰相は、皇帝が崩御した後、ますますその地位を固め、権勢を振るっていった。
皇太子が皇帝に即位して三年後、それは突如として現れた。
始めは官僚達の家。
台所や燭台、灯篭につける火がすべて青くなったのだ。
その後、それは民へも広がり、最後には皇宮の火も全てが青くなった。
最初の青い火が観測されてから一月後、官僚が次々と死んでいった。
死因はそれぞれ異なり、焼死、病死、中毒死、窒息死、など。
遺体の周囲に火の気は無く、ただ一様に身体の一部が炭化していた。
流行病にも似たその現象は、民を脅かし、やがて皇宮、後宮までをも飲み込んでいった。
「こ、これは
廟はその名前が決まる前から何人もの巫女が送り込まれ、
その甲斐あってか、廟が建立されてから二十年後、青い火は
しかし、その間に失った巫女の命は数百にのぼり、皇宮は非難を浴びることに。
宰相は怒りと恐怖で心を病み、数十冊もの邪術の本を読み漁った。
そして、その中に恐ろしくも
「陛下、公主も含めた陛下の皇統にある
皇帝は弱々しい声で「だが、その次の治世、さらに先の治世が脅かされるのならば、意味がないではないか」と呟く。
宰相は目を見開き、「
「では、これから生まれて来るであろう
「巫女が産まれ次第、親王のうちどなたかを皇太子に冊封し、時を見て即位していただくしかございませぬ」と。
皇帝は青ざめた顔で頷くと、すぐに自身の皇統の
そして新月で互いの顔すら見えない夜の内に、
道士が「
「私は災厄と
「これしか方法はないのです」と、同行した宰相が縋る。
「その
「どう思われようとも、こうするしかないのです」と平伏する男達。
「……いいだろう。
「十か月後の未明に産まれてくる
十か月後、産まれてきた赤子は真珠のように美しく、そして強い封印の力を持っていた。
それから千年後。
その
しかし、どの時代の公主も「与えられた力を行使し、務めを果たす」としか記しておらず、何もわからなかった。
「怨霊を鎮めるだけでは、何の解決にもならないのに」と、
そんな時、彼女は出会ったのだ。
千年前の契約を知る、
二人は互いの運命を調べるうちに心を通わせるようになり、それはやがて愛と成っていった。
幸せな日々。
でも、終わりは突然訪れた。
雨が降っている。
土の匂いを巻き上げるように打ちつける雫は霧となり、空気と共に風にまとわりつく。
まるで、頬を流れ落ちる決意の涙のように。
「我が愛しき妹、
水色の衣に身を包んだ
数時間の後、
その一報はすぐに皇宮に伝わり、
妹が自らの手でこの世に別れを告げてしまった悲しみと、皇帝と対となる
「陛下! このままでは
朝廷に集まった文武百官たちは、暗雲に包まれた空を見て怯えた表情を浮かべている。
「わかっておる。
「かしこまりました。手配いたします」
左丞相は巻物を桐の箱に入れると、蝋で封をし、
普段ならばいくつもの段階を踏んで清書を行ってから
護国巫姫の自害という異常事態。
それも、清き乙女でいなければならないはずの身体に宿してしまった命を隠し続けて。
「
むなしく輝く玉座で呟いた言葉は、幸い、誰の耳にも届かなかった。
護国巫姫に選ばれるほどの高い霊力を持った巫女は、通常懐妊することはない。
例え男性と通じてしまったとしても、種が霊力に耐えられず、死滅してしまうからだ。
それから幾度かの季節を経て七年後、皮肉にも良く晴れた春の日。
影巫女である護国巫姫の代わりとして
新たな巫女を募ったが、護国に値する霊力を持つ者は一向に見つからず、時間は無情にも過ぎ去り、その瞬間が訪れた。
穏やかだった夏の夕刻。
涼やかな風が、突如として灼熱に変化した。
「ああ……、なんてこと……」
避難した女官たちは嘆き、その場に崩れ落ちて顔を覆う。
「
「誰かが……、誰かが七年前に封印を解いていたのよ! でも、いったいどうやって、何を贄にして……」
「そんなに多くの贄が廟内に運び込まれていたのなら、私たちが気付いていたはずよ!」
「でも、ほら……。あの炎は……」
青い炎は突風に巻き付くように一か所に集まると、皇宮の上空へと移り、形を表した。
炎は黒さを増し、紺碧の闇に代わる。
人型へと変化したそれは、頭に漆黒の角、口には黒い牙とともに
「封印されること千余年……。ようやく、ようやく憎き皇統を根絶やしにする機会を得た。震えて待つがいい。私の怒りが大地を焦がし、天を引き裂き、その命を奪い砕くのを!」
この日より、
人間界と
世界は混沌で満たされ、恒久の平和を願う祈りは砂と消え去った。