グレースを追って駆け出したはいいものの、王都の地理が頭に入っていない私は、どこへ向かっているのかちんぷんかんぷんだった。……ちんぷんかんぷんって死語か?
しかも、エルサさんは以前の迷い猫捜索のときと同じ、いや、それ以上の猛スピードで私の前を走っている。エルサさんの背中を追いかけるだけで精一杯で今、自分がどこにいるかなんて考えている余裕はない。
チハヤからの連絡もないし、とにかく離されないように足を前に動かすしかない。
……もう、足痛いけど、息も上がってるし、だけど、だけど、グレースを助けるためだ。弱音なんて吐いていられない!
人通りが少ない、マジックショップの通りを進むとさらに人はまばらになり、やがて誰もいなくなった。
裏路地、なのかもしれない。お店も家もないただのレンガの壁が細い道につらなっている。この先に……グレースをさらった3人組が?
「エルサさん! この先なんですか!?」
「うん、もうすぐ街外れに出るよ! グレースをどこにどうやって連れていこうとしているのかはわからないけど、街を出る前に捕まえないと大変なことになる!」
大変なこと? 王都を出たらなにかマズいことでもあるのか?
その疑問はすぐにエルサさんから教えてもらった。
「街の外にはモンスターが出るんだよ! だから、その前に助けないと!!」
そうか。村と違って、大陸にはモンスターが出るんだ。私とエルサさんだけじゃ、モンスターと戦うことなんてできない。
「エルサさん! 早く行きましょう! グレースが危ない!!」
*
ただただひた走ることさらに十数分。王都の喧騒は全く聞こえないくらい遠くへ来て、壁を抜けると急に開けた海が目の前に現れた。
海!? そうか、海に逃げるつもりだ!! 船に乗ってどこか遠くへ行ってしまえばたとえギルドが追ったとしてもそう簡単に見つからない。
グレースがどこか異国の地で売り飛ばされる!? そんなこと許すわけにはいかない!!
「エルサさん!!」
「わかってるよ!!!」
道が開けたその崖下──海に向かってエルサさんはためらうことなく飛び降りていった。
えぇ!? いくらなんでも無茶な──。
小石が転がる崖下をのぞくと、誰もいない海辺に4つの人影が見えた。間違いなくグレースと、グレースをさらった連中だ。でも──。
「エルサさんお願いします! 私もすぐに行くから!!」
エルサさんはよろけながらも着地した。そんなに高い崖じゃない。だけど、悔しいけど私には飛び降りる勇気がなかった。たぶん、いや絶対ケガする。
「チハヤ! まだか! 返事してよ!!」
急ぎ足で海へ続く岩肌を下りながら、もう一度クローバーに呼びかける。それでもチハヤから応答はなかった。
もしかして、壊れちゃったのか? 昨日、あんな戦いに巻き込まれたし、この間具合悪くてトイレに駆け込んだりしてたから。……それかエルサママのあのスペシャルヒーラーの治療のせいとか……。
いや、マイナスのことを考えるのはやめよう。チハヤは絶対来てくれる。たとえ、クローバーが壊れてたとしても、私の居場所がわからなくても、絶対に来てくれるはずだ!
チハヤは、私の執事なんだから。
「──動くんじゃない。動くとこの子の命はないよ」
私がようやく海辺へたどり着いたとき。エルサさんは、私を気絶させた男と対峙していた。男はグレースの首根っこを腕で抑え込みながらナイフの切っ先を細い首に突きつけている。
グレースは今にも泣きだしそうな顔で、青ざめた表情で、ふるふると震えていた。
「なんだぁ? 誰かと思ったらあんときのお子ちゃまか」
もう一人、別の男が駆け下りてきたばかりの私を見てへらへらと笑った。お子ちゃまって、これでも私はもう──なんて言ってる場合じゃない!
「グレースを離して!!」
「グレース? お前がつけた名前か? そんな名前忘れるんだな! この獣人は新しい飼い主の下で新しい名を付けられて一生暮らすんだ。へへっ」
「私は飼い主なんかじゃない!! グレースは、私の大切な仲間だ! すごく怯えてる!! 今すぐ解放してよ!!」
「動くなって言ってるんだけどな。そこの青髪の君も、今来た君も。さもないと──」
「やめて!!!!!」
ナイフの刃がグレースの首筋に近づいた。もうあとわずかに動くだけでも、首にナイフが刺さってしまう!
「へっへっへ。なにも人質を取る必要はないぜ! 生意気な小娘一人に、いかにも戦ったことがなさそうな女が一人。俺一人でも相手できる」
「念には念を、だよ。ほら、青髪の彼女は立派な剣を背負ってるじゃないか」
「いや~あれはただのお飾りだぜ! ほら、もう足がガクガク震えてやがる!! どれ、いっちょ相手してやるか~?」
言われてエルサさんの様子を確認すると、生まれたての小鹿みたいに足が震えている。ダメだ──やっぱりエルサさん。
「ふ~ん。まあ、好きにしたら。僕はこの子を連れたまま先に船に乗ってるよ?」
「あいよ。まっ、出港するまでのお遊びってことで」
もう一人の姿が見えないと思ったら、用意していたらしき小舟をこっちに引き寄せている。あれに乗って逃げるつもり!?
くっ、させない! 走って追いかけようとした私の前に、男が立ちはだかった。
「おっと、行かせねぇよ~。ってか行けると思ったか? もう一発脳天にぶちこんでやるから、大人しく寝てろ!」
男が手に持っていた棍棒を振り上げる──。
「待ちなさい!!」
振り下ろされる瞬間に、間に入ったエルサさんの剣が棍棒の一撃を止めてくれた……けど。
「どうした? やるか? やっぱり、まだ震えてるじゃねぇか!! 情けねぇ。戦えもしねぇのに女が剣を持つなってんだ!」
もう一度、棍棒が振り下ろされる。力が込められた一撃にエルサさんは吹き飛び、巻き込まれる形で私も砂浜の上を転がっていた。
「へっ、笑わせるな! 戦いが怖いやつがなにを守れるってんだ!! ケガしたくなけりゃ諦めるんだな! そこで指くわえて大人しく見てろ! 大事なお仲間とやらが連れ去られる瞬間をな!」
海岸に下品な笑い声が響く。まだ起き上がれない私は、手の中からすり抜けようとする砂をつかむことしかできなかった。
こんな──こんなことって。なんでこんなことに……。私が連れてきたから? 王都へ来たから? グレースをギルドに入れたから? 人間にしたから? 野良猫のまま、あのまま村で生きていれば、グレースはこんな目にあわないですんだの?
『あくまでもサラ様は一般人。村人A。モブ。物語の主人公になり得るような器ではない』──前にチハヤにそう言われたけどさ。本当にそうだった。私は、力のない私にはなにもできない。なにも、なにも……。
「……大人しく見てるなんてことできるわけないでしょ」
立ち上がったのはエルサさんだった。剣の先端を相手に向けて、でもまだ足は震えたままだ。
それなのにエルサさんは真っ直ぐ男を見据えていた。今まで見たこともないような怖い顔つきで。
「私は、戦うのが怖い!!!!」
「なんだぁ? ハッハッハー!!! そんなこと自慢してどうすんだよ!!」
「血が怖い! 見るのも嫌だし、自分のせいで傷つけるなんて想像したら震えるほど怖い!! だけど、だけどね一つわかったことがある!! 私は、私は!!!! 大切な人が傷つけられるのが一番怖いの!! だから!!!!」
「エルサさん!!!!!」
エルサさんは、剣を構えて声を上げながら突撃した。でも、ダメだ。目はつむっちゃってるし、足が全然違う方に向いてる。
「へっへっへ。仕方ねぇな。一発、喰らわせてやるか!!!」
砂をまき散らしながら振り上げた棍棒が、エルサさんの頭目掛けて落ちてくる。間に合わない──そう思った瞬間、エルサさんの動きが急加速した。
黒い影が視界に入る。
「大変お待たせしました、サラ様。もう、心配ありません」