走っていた。とにかく、全力……とまではいかないもののそれなりに息が上がるくらい走っていた。
全く、こんなのばっかりだ。この前はみんなの仕事を手伝ったと思ったら、クリスさんと見知らぬ土地の山登りをして、今度は猫を追っかけている。薄々気づいてはいたけど、いや気づかないふりをしていただけか、ギルドって肉体労働だ!
前を走るエルサさんが振り返る。
「サラちゃん、早く! グレース、見逃しちゃうよ!!」
いろいろと思うところはあったけど、まず──。
「グレースってなに!?」
「猫ちゃんの名前! いろんな猫ちゃんがいるからわかりづらいでしょ? 灰色の毛並みだからグレース! サラちゃん、早く追いかけないと!!」
野良猫に名前をつけるところがエルサさんらしい。人だけじゃなく動物にも優しい。優しさの塊みたいなものだ、エルサさんは。
「サラ様。さすがに遅いかと」
お前は黙ってろ!
5分ほど前──飼い猫が行方不明になっていること、おびき寄せるためにチハヤが猫のおかしを用意したこと、そしてそのおかしを野良猫に奪われてしまったことなどなどを説明したら、エルサさんは飛び出した。美容室にお客さんを待たせてだ。
「命にかかわることかも!!」とエルサさんは血相を変えて走り出した。慌ててそのあとをチハヤと私で追いかける形になっている。……チハヤは、なんだか余裕そうではあるけど。
でも、だ。たしかにそこまでは考えていなかった。迷子になったとか、は思ったけど命の問題とは思っていなかった。いなくなったのは最近のこと。少し探せば見つかるだろうと。
……甘かったのかもしれない。エルサさんに急かされるように、私は思い切り走る。走って走って、村長の家に着いたときには動けないくらいになってしまった。
「サラちゃん、ちょっと休憩する? グレースはやっぱり山の方に行ったみたいだし、ここからは一本道だから少しくらい休んでも大丈夫だよ」
こんなときでもエルサさんは優しい。けど、今はその優しさに甘えている場合じゃあない。
「行きます。なにがあったかわからない。野良猫──グレースを追いかけないと……!」
「でも……」
足が前に出ない。一歩も。
運動不足? まだ18の乙女なのにこんな……。
「サラ様。ご無理はなさらぬよう。ここからは、私とエルサさんだけでも問題ありません」
「そうはいかない……でしょ!」
今までだったらチハヤに甘えてたかもしれない。けど、私は今、ギルドの管理者、マスターだ。
クリスさんのように途中で仕事を投げ出すわけにはいかない。
でも、足はガクガクだった。胸も痛いし、正直今すぐふかふかのベッドに横になりたい。
任せた方がいいか。私、足手まといになってるし。邪魔をするくらいなら──。
そう逡巡していたら、急にふわりと体が持ち上がった。
「わっ、はっ、えっ?」
ふわりと香る花のかおり。チハヤの顔がまさに目と鼻の先の至近距離にある。
「ちっ、ちかちかちか近っ!!」
「時間もないので、これが最適解です。行きますよ。サラ様」
チハヤとエルサさんは颯爽と走り始めた。
この二人、どんだけ体力あるんだ? 脚力もあるし、ってか今、私はどういう状況? チハヤの顔が間近にあって、私の背中にはがっしりとした両腕が当たっていて、おい、まじか、これはあの有名な──。
お姫様抱っこというやつだ!!
「どうかされましたか?」
「ななな、なんでもないって!!!」
意識するな! サラ! お前、意識したらおちるぞ! いろんな意味で……ああ、いや、いろんな意味とかそういう……!!
「……禁止」
「……なにか?」
「禁止って言ったよねっ!!!!!!!」
チハヤは自分が超絶イケメンということを意識して行動してほしい──何度目かの願いもむなしく、私はそのままの恥ずかしい状態で山道を登っていった。
村の山道は途中までは人が入ることもあるから、道が整っている。だけど、明らかにそっから先は獣道になっているというその境目が見えてきた。
先を走っていたエルサさんは境目で立ち止まった。
「ここから先が悪魔の森ですか?」
「う~ん、もっと先に行かない限りは大丈夫じゃないかな? 私も詳しくは知らないんだけど」
「実はモンスターが潜んでいるなどはありませか?」
「それはないと思うな~髪を切るときにね~村長がいっつも話しているから。アビシニア村を開拓した先祖たちが、平和な村をつくろうと苦闘し、モンスターの住まない島に変えたとかって」
「では──いったいなにが……」
「……あのぅ」
チハヤよ。わざとなのか? わざとこの格好でシリアスな話をしているのか?
「そろそろ降ろしていただいてもいいでしょうかね~? 十分、体力は回復したんですけど~」
「了解いたしました」
チハヤは当然のように私の腕を肩に回すと、ゆっくりと地面へとおろしてくれる。
なんの恥じらいもなく、無表情でやるなよ。動揺したこっちがバカみたいじゃないか!
まあいい。
「それで、ここからどうしましょう」
「猫のおやつがあればおびき寄せられるんですが。他の方法といっても……」
「あっちです! たぶん!!」
言うなりエルサさんはまた全速力で駆けていく。でも、その方向は森の中だ。
「エルサさん! いくら悪魔の森じゃなくても、一人じゃ危険──って、全然聞こえてない!?」
「追いかけましょう」
「マジか!?」
エルサさんの背中を二人して追いかける。とは言っても、森の中。背の高い草が枝が邪魔してなかなか進めない。
「チハヤ! 魔法は?」
「炎を出せば木々を燃やすことができます。あるいは風を起こせば枝を切り落とすことができるかもしれません。ですが、どこに猫がいるかわからない以上は避けた方が懸命です」
「そうだよね……」
くっそ、こんな、こんな深い森の中に猫がいるの? 本当に? いたとしてもいったいなんでこんなところに。
「……って」
エルサさんの足が止まった。くるりと振り返ると、唇に指を当てて「静かに」というポーズをしている。
まさか!? いるの!? 本当に!!?
しゃがみ込んだエルサさんの足元には、1、2、3……野良猫も合わせて4匹の猫がいた。アマドさんの猫もマシュマロもいる。
「これは……」
「私の作ったおやつを食べていますね」
野良猫がチハヤから奪ったはずの怪しい猫のおやつを真ん中にして、3匹の猫が小さな舌を出しておやつをなめている。
「でも……なんで?」