クリスさんが仲間になってから、数日が経った。変わらず依頼は来ていないから、今のところの成果はギルド員1名・依頼1件。つまりは、残り2名と依頼は5件。
「……もう一人は決まっているんだけどなぁ」
白紙の書類を眺めながら、頭に浮かんだのは仮状態でギルドの手伝いをしてくれているエルサさんだ。チハヤのゴーレム作戦で、忙し過ぎるエルサさんの時間が少しはできたはずなんだけど。
「はぁ……」
エルサさんからは、まだ正式にOKをもらっていない。
何度か美容室に行って、エルサさんがギルドに来るときにも、話をしているのに、あのニコニコ笑顔で「もうちょっと待っててね~」と断り続けているのだ。
「う~む」
もしやはぐらかされている? いや、でもあのガチ天使のエルサさんに限ってそんなことはない……と思いたいんだけど。悪魔のチハヤならやりかねないけど。
書類の横にいきなり紅茶が置かれた。悪魔の登場だ。
「頭を悩ませても無駄ですよ。サラ様が考えたところでろくな案は浮かびません。当たって当たって当たって砕けるのみです」
砕けちゃだめだろう。砕けちゃ。じゃなくて。
「ちょっと丁寧な言い回しをしているけど、私が考えたってムダってこと?」
「包み隠さずストレートに言うと、そうなりますね」
こいつ。さらに性格が悪くなってないか? ……まあ、いい。今はチハヤの言葉にいちいち反応している余裕はないんだ。
「チハヤ。あれから依頼はまだ来てないんだよね?」
「残念ながら」
「だったら、またエルサさんとこ行ってくる! しゃくだけど、チハヤの言う通り、今は当たって当たって当たるしかなさそうだし」
「了解いたしました」
美味しい紅茶を2秒で……ウソ、20秒、いや2分で飲み干すと私はまた暑すぎる外へと出た。猫舌だし。
*
「エルサさん! まだですか!?」
ギルドと同じ並びにある美容室に入るなり、単刀直入に私は聞いた。髭だけが立派な村長が、ない髪を切っていたけどそんなことは気にしない。
「う~ん、もうちょっとかな~」
「もうちょっとって! こ、これ以上切られたらわしの大事な髪が!?」
違う。そうじゃない。エルサさんの目は、鏡越しに私を見てるだろうが。
「村長! ギルドの話です! ギルドの!」
「お~そうか。よかった。よかった」
安心して髭を触る村長。しかし、次の瞬間、エルサさんの口から恐ろしい言葉が漏れた。
「あっ……」
美容師の「あっ」ほど恐ろしいものはない。明らかに髪を切りすぎた証拠だ。村長は動揺を隠せず、目線がエルサさんの顔と鏡とを行ったり来たりしている。
「……い、今。エルサちゃん、『あっ』……て」
「は~い。今日はこれで終わりで~す。それじゃあ、お会計お願いします~」
……誤魔化したな。にっこにこの笑顔だけど。
会計を済ませると、若干震えながら村長はお店を出ていった。大丈夫だよ。私にはいつもとなにも変わらないように見えるから!
「さて、と」
片付けを始めるエルサさん。床に落ちたほとんどない髪の毛は、小さなゴーレムがささっとほうきで集めていた。
「エルサさん、もうちょっとってなんなんですか? クリスさんがギルド員になってくれたし、次はエルサさんだって思ってるんですけど」
「う~ん、そうなんだけどね~」
エルサさんは、はさみを白い布でていねいに拭くと、腰につけた皮製のシザーケースに戻す。くるりと振り返った顔には微妙な笑顔が張り付いていた。
「やっぱり、けっこう忙しくてね。ああ、ごめんね。ゴーレムが来てくれて、片付けの時間とかはあまりかからなくなったから前よりは自由に使える時間は増えたんだけど、やっぱり村のみんなの髪を整えるのは私しかいないし」
た、確かにそうかもしれない。美容師の仕事のメインは髪を切ること。それをゴーレムがやるのはちょっと想像できない。
クリスさんは、いっても夜からの仕事だから日中は割と時間が取れるんだろうし。ぶっちゃけ、昼にしか来ないし。
──でも、これくらいで引いてしまう私じゃない!
「でもエルサさん。合間を見てギルドに来てくれるじゃないですか。そりゃぁ、今のところ依頼もないし紅茶を飲んでおしゃべりして過ごすだけですけど」
「う~ん、そうなんだけどね~」
エルサさんは困ったように首を傾げると腕を組んで頬杖をついた。
なんか……あるな。言いにくいなにかが!
私の勘は、けっこう当たることもある。当たらないときもあるけど。
「なにかあるんですか? エルサさん、子どもの頃からの長い付き合いじゃないですか! 遠慮なく言ってください!!」
エルサさんは「う~ん」とうなったまま、私の方をチラチラと見る。わかりやすいくらいに迷っているな。
「そうね。サラちゃんからは逃げられなさそうだから正直に言うけど、私、痛いのとか血とか苦手なの」
予想外の言葉に私は思わず「へ?」と言ってしまっていた。
「あぁ、いや! でも、ギルドの依頼はモンスター退治とかだけじゃなくて!」
「でも、メインはモンスター退治でしょ? それかダンジョン探索とか。今は小さなギルドかもしれないけど、大きくなればなるほどそういう仕事も舞い込んでくると思うの。そうなってきたら私、耐えられるのかなと思って」
そんなに苦手なの? 血が? でも──。
「今さっきもね。村長さん、ちょっと髪の毛切りすぎちゃってもう少しで痛い思いをさせるところだった」
だから、声が出たんか。村長薄毛だしな。でも、この前は村長の髭を切るとか脅してたような……。
エルサさんは、目を閉じるとため息をつく。
「争いごとも苦手だしさ。サラちゃんを助けるため、と思って引き受けはしたんだけど、やっぱりよくよく考えると向いてないかなって。ごめんね、サラちゃん」
……くぅ! そんな目で見ないで! 優しいエルサさんに、そう言われると何も反論できなくなっちゃうからぁ!!!!
*
はぁ。
そうだよな。クリスさんは、チハヤが魔法使いに向いているというのがウソだと思うくらい血気盛んな印象があるけど、エルサさんは「暴力なんていやですぅ~」「誰かを傷つけることなんてできません~」って感じだもんなぁ。
ギルドに戻って事の顛末をチハヤに話し終えたところで私は深く深くため息をついた。それはもう深い、海より深い。
「ですが。ギルドは戦うだけではありません。探し物や買い付けなどもあります」
チハヤは紅茶をすすった。
「いや~まあ、そうなんだろうけどさ~でも、エルサさんって超優しいし、責任感も強いだろ? ギルドの依頼ならなんでも引き受けちゃいそうなんだよね~」
「なるほど。私の見立てでは、エルサさんは前衛で戦う剣士に向いていると思いますけれども。向かってくるモンスターを切り刻み、切り捨てる──そんな姿が目に浮かびます」
浮かばねぇよ!
「まあ、ですが。他を当たりましょうか。たとえ、エルサさんが入ったとしてもギルド員はもう一人必要ですし」
「そうだな。とは言っても、他にあてがあるわけじゃ──」
カランコロン、とクリスさんがギルド加入記念として扉につけてくれた鐘の音が鳴った。
「──来客?」
「ですね。珍しく。どなたでしょうか」
扉を開けて入ってきたのは、農家のアマドさんだった。
急いで来たのか息が上がり、麦わら帽子の下から汗が噴き出している。
「チハヤ」
「はい」
最後まで言わなくとも、私の手にはタオルが乗っていた。しかも洗い立てのふかふかの奴だ。
また、空間魔法とやらで取り出したのかよ。
「とにかく、アマドさん。これで汗拭いてください。用件はそれからでも──」
「それどころじゃねぇんだ! 大変なんだ! うちの猫がいなくなっちまったんだ!」