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第10話 忙しい

「つまりはそれは、村の人たちみんなが忙し過ぎるということです」


 チハヤのその一言を聞いて、はて、急に何言ってんだこいつ、と私は思ってしまった。忙しいのは当たり前のことだろ、と。


「忙しいのは当たり前だろ、みたいに思ったかもしれませんが──」


「心の声を当てるな!」


 チハヤは咳払いをした。目の色がすっと変わる。


「忙しいということは、心に余裕がないということです。余暇にやりたいことを置いておいてでも今、目の前にある作業に時間というリソースを費やさなければいけない。そういう状態です」


「う~ん、ちょっとわかりにくいけど、確かにそうかもね~」


 エルサさんは、チハヤがささっと準備した紅茶を一口飲むと、ほうっと息を吐いた。


「私も忙しいときは朝からお客さんの髪を切って、終わったら後片付けをして掃除をして、明日の準備をしたらあとはご飯を食べて寝るだけみたいな、そんな感じになってしまうし。本当に忙しいときは、家について気づいたら朝になってたこともあったな~小鳥が起こしてくれたの~チュンチュンって」


 「小鳥が起こしてくれたの~」じゃないよ! エルサさん、それはほぼ気絶じゃん! 働き過ぎだよ!


 エルサさん、そんなに忙しいのにギルドまで……どんだけ心が天使なんですか。誰かさんと違って。


「はい。そこでひまの達人、サラ様。時間がありすぎるとどうですか?」


 ほらな、悪魔はいちいちこんな言い方をしやがる。


「ひまの達人って、まあ、いいや。スルーしないと話が進まないから。……そうだね。なんでもいいからなにか面白いことを探し始めるよね」


「はい。つまりはそういうことです」


「いや、どういうこと?」


 チハヤは急に受付テーブルの前に出ていくと、誰も座っていない丸テーブルの前を行ったり来たりと歩き始めた。


 紅茶を持ったままだから様にならないけど。


「忙しいと人は心をなくす。心に余裕がないから余暇は後回しになる。目の前の作業に追われて視野も狭くなる。そうして考えることも忘れてしまうのです。この生活で本当にいいのだろうか、と」


「なるほど。わかるわ。私、時々思うことあるの。なぜ人は髪の毛が生えるの? 髪の毛がなければ髪の毛を切る必要もないのにって。いっそのこと今切っているこの髪の毛を全部剃ってしまえば、この人は半年は来なくてすむんじゃないかって」


 あれ……? エルサ、さん? 優しい顔してもしかしてとんでもない闇をお持ちで?


「エ、エルサさん?」


「うん?」


「あの、ちょっと怖いかな~って!」


「あっ、大丈夫よ。サラちゃんのことをそんな風に思ったことはないから」


「あはは」


 そういう意味じゃないんだけど、もうそういうことにしておこう。怖すぎて空笑いしか出ねぇ。


 ……でも、チハヤが何を問題にしたいのかは見えてきた。


「あーようするに、みんな忙しくなくなれば時間も生まれてやりたいこともできるようになって、ひまになって、いっちょギルドでもやってみるか、ってなるってことでしょ?」


 チハヤのきれいな黒い瞳と目が合う。


「そういうことです。そして誰かの忙しさを解消するのもギルドの仕事の一つ。一人では解決不可能な問題を解決する──これがギルドの意義ですから。みなさん、問題というカッコの中にモンスター退治とかダンジョン探索とか迷い猫探しとか、大きなものを入れてしまうので、いまいちギルドの必要性を理解していないみたいですが」


「確かに、言われてみればそうよね~私もいまいち何をするところなのかよくわからなくて」


 ……本当によく手伝ってくれてるよ、エルサさん。


「でも、そうだね。その線は悪くないかも。今の話で思いついたことがあるんだけど、エルサさんちょっと協力してくれません?」


「ん、いいよ~」





 というわけで私たちが向かった先は、険しい山の麓にある村長の家だった。


 あのあと、エルサさんの仕事が終わるまで、またひまと言いながら待っていたからとっくに日は落ちて真っ暗になってしまった。


 村長は、突然訪問したのに驚いていたが、すぐに家の中へと通してくれる。村の会議とかで村人が集まるちょっとした広間に案内してもらうと、村長は自慢のあごひげをなでた。


「いやいやよく来てくれた。おじいさんが亡くなってから元気かどうか心配していたが、かわいい笑顔はいつも通りのようじゃ」


「はい、エルサさんがよくしてくれて」


 あとはまあ、チハヤの奴もなんだかんだ言って役に立ってくれてはいる。無茶ぶりもはなはだしいけど。


 私はエルサさんの真似をして、いつもの2倍増しの笑顔で返事をした。


「それで夜遅くに何かの? 村にモンスターは出ないとはいえ、夜道は危険じゃよ」


「相談があるんです。私、なんやかんやあって今、ギルドを運営してる、いや運営しようとしてるんですが──」


「あぁ、聞いたよ。村のみんなを勧誘してるって。でもなぁ、みんな忙しいから。言ったようにここらにはモンスターもいなければ、大陸との交易になるような名物もないしのぉ」


 村長はまた長いあごひげを撫でた。


「ふむ。こういう言い方は先代に失礼にあたる、か。そう、何にもないわけじゃないんじゃ。ここには大陸の都会にはない素晴らしいものがある。なんだと思う?」


「……えっと、自然、ですか?」


 あっ、なんかヤバい予感がする。


「ブブ―じゃ。自然だけじゃない、温かい人の心がある。それに何と言っても村のみんなの団結力じゃ」


 話長くなる奴だ。絶対、そうだこれ。


「最初は何もなかったこの村を一から開拓していったわしらの祖先は──」


 ヤバいヤバいマジヤバい。


「邪のモンスターのいない平和な楽園をじゃな──」


 「エルサさん、ヤバいよヤバいよ」と小声でささやくと、エルサさんはなぜかぐっと右こぶしを固めて私に向けてウインクした。


 おもむろに立ち上がるとシザーケースから髪切りばさみを取り出し──。


「村長? お話が長くなるようだったら、髪と素敵なおひげ切らせてもらいますね?」


 いや、もう突きつけてる! 格好からいってしまえば、ナイフを突きつけてるみたいになってる!


 村長は「あわわ」と焦った声を出すと、不自然な笑顔を張り付けて私にどうぞって感じで手の平を向けた。


「そう、村長の言う通りギルドに勧誘しても誰も入ってくれないんです」


 私が話し始めると、エルサさんははさみをしまい、大人しく私の横で話を聞いてくれている。


 さっきの闇といい、躊躇のないこの動きといい、この人だけは敵に回したらあかんわ。


「それで、忙しいんだと思うんです。あと、ギルドが何の役に立つのかもわからないんじゃないかって。だからお願いがあって、仕事を回してほしいんです。みんなの仕事のほんの一部分でもいいので。これなら人に任せても大丈夫ってやつ。ギルドを通して依頼という形で回してくれれば、ウチで、ウチのギルドで手伝います」


 そうすれば、みんなに少し余裕ができるはずだと力説する。


 余裕があれば今までできなかったことをしようと思えるし、場合によってはギルドに入ってくれるかもしれない、と。


 そしてもちろん最後には、無償でいいので──と付け加えた。


 自分たちでできていることを、たとえ忙しいからといってお金を払ってまで誰かにやってもらうなんてことはしない。


 無償では正式な依頼にはならないけど、ギルドが回るきっかけにはなる。ギルドが回れば、依頼が生まれ、そして人が集まってくるかもしれない。とにもかくにも今、必要なのは、村のみんなにギルドを使って・・・もらうこと。


 私の言葉に最初は頭をひねっていた村長だったが、無償という言葉が効いたのか、隣にいるエルサさんが怖いのか、とにかく最後には深くうなずき、パンッと膝を叩いた。


「まだよくわからんところもあるが、サラちゃんの頼みじゃ。それにおじいさんには飲み屋のツケを払ってもらっていた恩もあるしな。明日、みなに声をかけとくよ」


「やった! ありがとうございます!」


 私は立ち上がると、エルサさんとハイタッチした。


 エルサさんがニコニコしながら聞いてくる。


「でも、依頼が来たら誰がやるの?」


 エルサさんのその一言で、私は端と気がついたのだ。チハヤにまんまと騙されていたことを。そうだった。今、ギルドにギルド員は仮を除けば、ゼロ。忙し過ぎて気絶するエルサさんにお願いやってもらうわけにもいかない。


 チハヤお前、諮りおったなぁ~!!


 私は髪飾りに向かって呪いの念を込めた。

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