「だから! 無理だって!!」
私は頭を抱えていた。お腹の底から声を出して、否定した。
否定したかったのは、今言われたことだけじゃなくて直面するこのあり得ない現実。
「無理ではありません。と、いうよりもですね。やらないといけません」
「だからってさぁ! 絶対、無理! ギルド員も0で依頼も0、ゼロゼロ尽くしのランク0の底辺ギルドなんてどうやっても人なんて来ないって!!」
チハヤ・ナゲカワ──カウンターテーブルをはさんで私の目の前にいる男、いや悪魔はついにはため息をつきやがった。
「いいですか。何度も言っているように、ギルドは魔王討伐に欠かせない存在です。この世界では、
あぁ、何度も聞いたよ。だから私も何度も言ってやる! 悪魔、というかもはや無理難題を押し付ける魔王め!
「何度だって言うさ! 無理なものは無理! こんな辺鄙な村で十数年か何十年かわからないけど、ずっと誰にも利用されずに眠っていたギルドなんだよ! ギルドの経営なんて絶対できない!! 無理無理無理無理無理無理無理無理~!!!」
悪魔はまたため息をついた。
この執事風の黒い燕尾服を着こなしたチハヤ・ナゲカワは、私の執事だ。そして、異世界転生者らしい。
私の前に突然現れた。おじいちゃんの遺言を伝えるために。
見目は麗しい。というかカッコいい。イケメンだ。綺麗な黒い髪の毛はスッキリとカットされ、異国感漂うこれまた黒い瞳はどこか冷たく、それでいて優しげでもあってミステリアスな雰囲気を漂わせている。肌は透き通るんじゃないかと思われるくらい白くて、背も高い。だいたい、私の頭二つ分くらい上だ。
大事なことなので2回言う。美形だ。
美形だから、燕尾服の効果もあって、黙っていればどこぞの貴族か下手したら王子に見えなくもない。
ちょっと幸薄そうでかつアンニュイな雰囲気は、ただそこに佇んでいるだけで絵になる。
だけど、こいつは無理難題を押し付けてくる。悪魔、いや魔王だ。私にとって。
執事もとい悪魔もとい魔王は、天国から地獄へと突き落とされたあの言葉をもう一度言った。
「サラ様。確認したはずです。このままギルドを放っておけば、借金は膨らむばかりで家も失い路頭に迷うことになる──と。いい加減、現実を受け入れてください。サラ様が夢描いていた勝ち組の人生は、バブルのごとく、いえ泡のごとく一瞬のうちに消えてしまったんですよ」
「ぐぬぬぬぬぬぬ!! そんなことわかってるよ! だけど、だけどさ! 簡単に受け入れられるわけねぇーじゃねぇか!!!!」
事の発端は、3日前に遡る。
*
いや~都会ではこんなファッションが流行っているのか。前衛的というか先駆的というかなんというか。このピンクのブラウスなんてちょっと肩出し過ぎじゃないか? 涼しそうだから、まあ、今の季節にはピッタリかもしれないけどさ。
私はペラペラと雑誌を眺めていた。おしゃれな服装の女性のイラストがたくさん載ってる、いわゆるファッション雑誌。でも、何カ月も前の古~い雑誌だ。きっと都会ではさらに新しいファッションで賑わっているに違いない。
「なにかいい服あった~?」
「う~ん。私にはとても着こなせないですけど、エルサさんみたいな大人な感じの人だったら。どうすかね?」
雑誌を読んでいる後ろでチョキチョキと髪の毛を切ってくれていたのは、エルサさん。腰までの長さのストレートな青い髪に海の色みたいな青い瞳がとってもかわいらしく、そしてきれいな私の担当の美容師。
もっとも村に美容院は一つしかなく、美容師も一人しかいないから誰も彼もエルサさんが髪を切ってくれてるんだけど。
都会の美容室の腕前がどうなのかわからない。カリスマ美容師とかっていうのが流行っているらしいけど、エルサさんの流れるような髪さばきに穏やかな接客、それに仕上がりを見たときの嬉しさと驚きは、きっと負けていないと思う。
雑誌をめくる。
──都会、か。大陸から船で5日間もかかるような辺境の島にあるこの村にいたら、まるで別世界みたいな気がする。一度は行ってみたいけど、もう少し先かな。
「都会は人酔いするからのぉ」っておじいちゃんは言っていた。一人で都会に行くには心細い。
「うん、いい感じ! 終わったよ~」
エルサさんの温かい手が頭から離れる。渡された手鏡に映っていたのは、首回りがスッキリ出た赤髪、赤目の美少女だった。
美少女だって思うくらい、つまりは別人と見間違うくらいのイメチェンだ。美少女だと、思っているわけじゃあない。
「どう? 夏の季節らしくってこととサラちゃんが読んでた雑誌の女の子たちのイメージも参考にしてみたんだけど~」
「最っ高です! ありがとうございます!」
私は顔がにやけるのをごまかすために、わざと大きな声でお礼を言った。
エルサさんに手を振りながらバイバイすると、外へ出る。
「……あっちいな」
いや、ものすごく暑いな!! 毎年特有のカラカラとした風と太陽の熱がじりじりと肌を焼いてくる。もうこれは、すぐに屋内へ避難しないとやられるぞ、こりゃ。
髪を切ったあとはどこに行くかまだ決めていなかった。都会で言うところの大通と同じアビシニアロードとか言ってただ村の名前を付けただけの石畳で舗装された通りには、酒場も喫茶店もレストランも、本屋も衣装店もあらゆるお店が並んでいる。
ちょうどその真ん中に位置するエルサさんの美容室の前で、私はどっちに行こうか迷っていた。
もうすぐ昼時。クリスさんの酒場は夜しか空いてないから、いくなら喫茶店かレストランだ。だけど、ご飯の前に本や服を物色しに行くのもいい。
ふむ。やはり、ここは服を見に行こう。新しい髪型に合う服を見繕ってもらって──。
「いたいた! サラちゃん!」
突然の声掛けにびっくりして振り返れば、隣に住むワイシャロ―さんだった。
「どうしたんすか? なんか息上がってますけど」
「大変だよ!!」
ワイシャロ―さんは急に私の腕をつかんできた。ちょ、いきなり触るなんて……と思ったが逆に危急を要する事態らしいことがわかる。
「なにが大変──」
「サラちゃんのおじいちゃんが倒れたんだ!!!」
「えっ……」
*
それからはあっという間だった。突然、体調を崩したおじいちゃんはみるみるうちに容態が悪化し、1日ともたずに亡くなってしまった。
両親のいない私は本当に急に独りぼっちになってしまった。
こうなることを考えていなかったわけじゃない。本当かどうかは知らないけど、世界を股にかけていろんな仕事をこなしてきたらしいおじいちゃんは、私が物心ついたときには現役をとっくに過ぎて悠々自適な生活を送っていた。いつ亡くなってもおかしくない年齢だった。
けど、こんなあっさり亡くなってしまうなんて。
「──ちゃん。サラちゃん」
暗闇のなかで大きく燃える炎をじっと見つめていると、不意に声がかけられる。さっき見たばかりな気がする柔和な笑顔が横にあった。
「エルサ……さん」
「ほら、最後、サラちゃんの番だよ」
そう言ってエルサさんは、たいまつを渡してくれた。先端についた火が、ゆらゆらと揺れている。命の灯みたいに。
そっか。私はもう送る儀式をしていたんだ。
おじいちゃんとの思い出を全部振り返ることもできずに、送らなきゃいけない。
死者の霊がこの世に未練を残さないように。迷うことなく旅立てるように。村人みんなで空箱の棺を真ん中に置いた木組みに火をつけていく。大きく燃える火は全部を燃やして、悪魔から死者を守ってくれる。
エルサさんが背中を押してくれた。私は一歩、また一歩と近づいていくとたいまつを放り投げて最後の火を灯した。ぶわっと一気に炎が広がり、あっという間にたいまつを呑み込んでいく。
不思議と足が震えることはなかった。ただただ、夜空に燃え上がる炎が綺麗だった。煙にのってきっと、おじいちゃんの魂は天に上っていったんだと思う。
*
「さて、と」
翌日。うるさい音もしないので自然と昼過ぎに起きた私は、顔を洗うため洗面所へと向かっていた。
私以外誰もいない家はいつもよりも広く感じる。これが、寂しさと言うやつなのかもしれない。
だけど、寂しいけれど、私は大丈夫だ。急なこととはいえ、しっかりきっちりとおじいちゃんとお別れはした。そして、私にはおじいちゃんが残してくれた莫大な遺産がある。
顔を洗いタオルで拭く頃には、鏡に映る私の顔はちょっと恥ずかしいくらいにやけていた。
莫大な遺産。そう、自慢することでもなんでもないけど、私は18になるこの年まで一度も働いたことがない。そりゃあ、子どもの頃は仕事のお手伝いなんかしたことがあったかもしれないけど、確かに一度も働いたことはない。
そして、おじいちゃんもとっくに現役を退いていた。おじいちゃんと孫の二人暮らしとはいえ、収入がないなか普通に生活してこれたのは、おじいちゃんが今まで世界を股にかけて貯めてきたお金があったからだ。
おじいちゃんの家族は私だけ。つまり、今や私がおじいちゃんの全財産を継ぐ。
勝った。これは間違いなく人生の勝ち組だ。きっとしばらくは働かなくても困らないくらいの遺産があるはずだ。だから私はこのまま好きなことをして生きていけばいい。誰にも気兼ねなく一人でこのまま生きていくのもよし、誰かと一緒に暮らすのもよし、生涯の伴侶を見つけて暮らすのもよし。
「ありがとう。おじいちゃん」
鏡に向かって呟くと、玄関の方から物音が聞こえた。
おっ、来た来た。おじいちゃんは生前、自分になにかあったら代理人が来てくれて遺産の話をしてくれると言っていた。きっと、その人だ。
──このとき、私はおかしさに気がつくべきだった。大陸から船で5日もかかる辺境の島に代理人がそんなに早く来るのか、と。だけど、遺産のことで頭がいっぱいだった私はそんなおかしさなんて気にも留めていなかった。いや、きっとやっぱり急におじいちゃんがいなくなったことで正常な判断ができなかった、ってことにしとこう。
早足で玄関へ向かい、こちらからドアをガラガラと開ける。
「待ってまし──た」
そこに立っていたのは、今まで生きてきた中で一度たりとも見たことがないほどの天使のような人だった。
「初めまして。サラ様。おじい様の代理人としてうかがいにきました。名は、チハヤ・ナゲカワ。どうぞチハヤとお呼びください」
一見不愛想に見えたその人は、ふわりと微笑んだ。天使の羽が舞い降りた、みたいに。