《紗和side》
『紗和。お前のことを絶対に助けるからな!』
遠くの方で旦那様の声が聞こえる。
だけど周りを見ても真っ暗な世界が広がっているだけで何も無い。私は必死になって旦那様を探す。だけどどこまでも広く、長く続くこの空間には。旦那様なんてどこにもいなかった。
……私、どうなったんだっけ?
確か、家の前に琴葉と風神さんがいて、その後は……誰かに、連れ去られた?
働かない頭を必死に動かして今まで起きた出来事を整理する。旦那様から少し離れた隙に大勢の大きな人に囲まれて……。
思い、出した。
車に連れ込まれて、そのまま意識を飛ばしてしまったんだ。そこまで考えていたら、ふと周りが明るくなる。
「こ、こは……私の、部屋?」
ゆっくりとまぶたを開けると明るい光と共に見慣れた光景が目に入る。体を起こし辺りを見渡しているとここは自分の部屋だとだんだん理解する。
「……なんで……。旦那様は?」
まだぼんやりとする頭でまっさきに思い浮かんだ人物は旦那様だった。また周りを見渡すも誰もいない。どうやら私だけここに連れてこられたらしい。
狭い部屋の中で1人、寝せられていた。
ぼうっとしていると、がたがたと襖が動く音がした。はっと意識を戻し、襖の方に目をやる。
「あら、お目覚め?1日眠っていたから、もう目が覚めないのかと思っていたわ」
「琴葉……なんで」
襖から顔を出したのは琴葉だった。
琴葉は座り込む私を見てニヤリと笑う。その笑顔は不気味でこの家で何度も見てきた顔。
1日眠っていたってことは……次の日の朝なのね。混乱しているはずなのに頭の中は冷静で。
関係ないことを考えていた。
「なんでって……。もしかして、皇帝様から話しは聞いていないのかしら?お義姉様の旦那からも何も聞いていないのかしら?」
皇帝様?
旦那様?
なんでそのふたりがここで出てくるの?
話の内容がさっぱり分からず、私は首を傾げるばかり。旦那様が出てくるということは余程大きな出来事なのだろう。
だけど私は何も聞いていない。
そこまで考えて胸の辺りに靄のようなものが広がる。
「琴葉。あまり時間はないから、ここまでにしときなさい。紗和。久しぶりだな」
「お父様……」
琴葉の話のことを考えていると、琴葉の後ろからお父様が出てきた。
琴葉を制すると私の部屋に入り込んできた。久しぶりにお父様の顔を見たけど、何も変わっていない。
私のことを見下すようなそんな目も変わっていない。
恐ろしくなった私は思わず身構える。
逃げなきゃ……そう思うけど体が固まってしまい、思うように動かない。
ずるずると後ろに下がるだけで、体が壁に当たった。
「まぁ、あの華月千隼が紗和に話すはずないだろうな。紗和のことを“八重桜に戻せ”と手紙を送ったんだが」
そんな私を見てお父様は無表情でそう話した。
「八重桜に戻せ?私を……旦那様から、取り戻そうとしたんですか?」
話を聞いただけでもゾッと背筋に寒気が走る。まさか旦那様にそんな手紙を送っていたなんて……。
旦那様のことだから、きっと手紙が届いても私には何も話さないだろう。
私のことを愛してくれている旦那様。
八重桜家のことを嫌っている旦那様。
私は、そんな旦那様のことが……好きなのだから。
「そうだ。お前、流石に“縁結びの儀”のことは聞いているだろう?」
縁結びの儀……。
確かに話しは聞いた。縁結びの儀は琴葉が受け持ち、八重桜神社が仕切る。
それがいったいなぜ私を連れ戻すということになったのだろう。八重桜神社に名誉が戻るかもしれないのに、私がいたら迷惑なんじゃないのかしら。
「……話は聞いてますけど」
警戒しながら頷く。琴葉はお父様の後ろでニヤニヤと笑うだけ。私の嫌いな人達に囲まれ、この空間にいるのは苦痛でしかなかった。
早く……旦那様に会いたい。
会って、抱きしめて欲しい。
そんなことを無意識に思った。
「そうか。なら話が早い。その縁結びの儀なんだが、琴葉には異能がないだろう?このままでは八重桜神社の名誉に傷が着く。なんなら、失敗して皇帝様から殺されてしまうかもしれなない」
「……」
……ああ、何となくわかった。
この八重桜神社の功績は私ではなく琴葉のものになっている。おそらくそれを聞いた皇帝様が琴葉に依頼したのだろう。
話は来たのはいいが、異能がない琴葉ではこの儀式は務まらない。そこで異能を持つ私を連れ戻そうとしたのだろう。だけど、手紙を旦那様に送ったところで取り合ってくれない。
だったら……。
「ここまで話せば私の言いたいことはわかるな?お前に華月家の花嫁じゃなく、八重桜家の侍女として琴葉と舞台に立て。そして、琴葉を支えろ」
お父様の目の色が変わる。私のことはなんとも思っていないのに琴葉のことになると途端に周りが見えなくなる。昔はこうじゃなかったのに。私のことを愛してくれたのに。
……やはり、私はこの家にとって邪魔なのかもしれない。
「そういう事だから。お義姉様は、これからこの家で踊りの稽古をみっちりしてもらうわ。華月家で生活していたから、踊りのことなんてすっかり忘れているでしょう?」
何も言わない私に容赦なく言葉を浴びせる琴葉とお父様。この家で、幸せだと思った瞬間はなかった。何度も何度も死にたいと思った。
だけど……ここまで、心が怒りに震えた、瞬間はなかった。
「一度にたくさん話をしてしまったな。今日から早速稽古が始まる。お前は巫女の衣装を来て神社に来い。いいな?」
何も言わない私にそう言ったお父様。
どうやらこの状況に絶望していると思っているらしい。そう吐き捨てると私の部屋からそそくさと出ていこうとする。
「……い、やです」
「なんか言ったか?」
そんな2人を引き止めるように響いたのは、今にも消えてしまいそうな私の掠れた声。その声に気づいたお父様は振り向き、私を睨む。
前の私ならここで頷いて終わり。
だけど今の私は違う。今、どうしてもここにいたくなかった。2人の言うことを聞きたくなかった。
「おい、もう1回言ってみろ。さっき、なんて言った?」
思いもよらぬ私の声に、お父様は怒りで震えていた。聞こえていたはずなのにお父様は私に詰め寄る。
……怖い。
怖くてたまらない。
でも。
ここで何もしなければきっと後悔する。
「いやです!私、もうこの家の言いなりはなりません!」
「口答えするな!」
恐怖に逆らって、顔を思い切り上げる。お父様に反論するのは生まれて初めてかもしれない。私がいい切る前にお父様の怒りの声が飛び、私の頬を思い切り叩く。
バシンッ!
という乾いた音が部屋に響いた。じんじん痛む頬を押さえながら私はまた顔を上げる。
もう昔の私じゃない。
お父様の言いなりになる私じゃない。
「いい加減にしろ!ここまで育ててやったのに、親不孝するつもりか!もっと琴葉を見習え!お前に拒否権なんかないんだぞ」
興奮しているのかお父様は叫びながら何度も何度も私の体を叩き、蹴りあげる。
ドスっ、ドスっ!
という音と一緒に鈍い痛みが身体中を駆け巡った。おそらくここでお父様の言葉に頷いてしまえば楽になれるだろう。
だけど……私には帰らなきゃ行けない場所がある。旦那様の所へ戻りたい。
帰りたい。
そう思うほど、私の心は旦那様のことでいっぱいだった。
「お義姉様、自惚れすぎじゃないの?華月家できっと心がゆるんでしまったのね。お義姉様が拒否するなんて……」
琴葉はバカにするように私を笑う。
……違う。違う、違う。
この気持ちは自惚れなんかじゃない。私は確かに旦那様に愛されて、華月家のみんなに愛されていた。私を必要とするあの家に帰りたい。
……いや、帰らねばならない。
「……私は、帰ります。私を愛してくれる旦那様の元に。あなた達の言うことなんか……聞きません」
……これが私なりの精一杯の反論。
私の、反抗。
初めてお父様と琴葉に反抗した。
殴られ、蹴られながら出した声は2人に届かないかもしれない。それでもいい。私は、自分のことを自分で守るだけ。
今の生活を……精一杯守るだけなのだ。
「いい加減黙れ!お前は私とこの家の道具に過ぎないんだ!道具が口答えするんじゃない!いいか?今後また反抗するようなら……話せないようにしてやる!」
「お義姉様には反抗する権利なんてないのよ!」
興奮するお父様と琴葉。
このまま諦めずに反抗したかったけど体力が残っていなかった。痛む身体にまだ暴力を振るうお父様はもう何も見えていなかった。
私……殺されてしまうかもしれない。
本気でそう思ってしまった。
段々と意識が遠のく中、私は必死で旦那様のことを想う。旦那様はきっと私のことを助けに来てくれる。
旦那様を私は信じてるから。
「……とにかく。お前は今日からまた八重桜のために働いてもらうからな。覚悟しておけ」
動かなくなった私を見てお父様は吐き捨てた。これ以上何をやっても逃げないと思ったのか琴葉を連れて部屋から出ていく。
「……はぁ、はぁ」
部屋の中に取り残された私は、荒い息を繰り返す。最近は華月家での生活に慣れすぎていた。暴力を振るわれるのがこんなに辛いなんて。
私の体は、すっかりと鉛切っていたんだと自覚した。痛みで動けない体を自分でぎゅっと抱きしめる。
私は大丈夫。大丈夫。
だって……旦那様がいるんだから。
心の中で無意識にそう思えるほど私は旦那様のことを愛していたことに気づく。早く帰って抱きしめて欲しい。
あの大きくて優しい手で私を包み込んで欲しい。
そんなことを考えながら、私はまた意識を飛ばしてしまった……。
***
「そこ!間違ってる!何度言えばわかるの!やはりあなたは華月家に行ったせいで身体がなまっているようね」
翌日。
私は、神社の隅っこで稽古を受けていた。巫女の舞は実際のところまだ踊れていた。だけど皇帝様の前で踊るので、かなり細かい所まで指導してくる。
稽古をするのはお義母さま。私が間違える度に怒号が飛び、竹刀で叩かれていた。
「申し訳ありません……申し訳ありません……」
私はその場で倒れ込み、土下座する勢いでお義母さまに謝る。だけど私の心と身体は疲れきっていて。何をやるにも失敗ばかり。
私……旦那様が来るまで身が持つかしら。
このまま殺されてしまうんじゃ……。
なんて弱気になってしまう。だけど不思議と前のように死にたいとは思わなくなった。昔はこの命が尽きるのを待っていたけど今は違う。
「ほら、さっさと立つ!もう一度最初からやり直し!」
倒れ込む私に容赦なく竹刀を振り下ろすお義母さま。私は力を振り絞るようにして立ち上がる。
この稽古場には私一人しかいない。
一緒に踊るはずの琴葉はというと稽古をサボっており、毎日この家から遊びに行っていた。
実際、私もその様子を何度か目撃していて琴葉は練習する気はなさそうだった。一緒に舞を踊るはずなのに毎日こんなに遊び回って大丈夫なのかしら。
お義母さまの指導を受けながらぼんやりとそんなことを思う。
もし、琴葉が皇帝様の前で失敗してしまったら……おそらく私のせいにされるだろう。
そんなことは容易に想像が着く。
だから、なるべく“縁結びの儀”の前にここをでなければ私はどうなるのか分からない。私を連れ戻そうとするまで八重桜家は困っていた。そう簡単に逃げ出せないことはわかっている。
でも……私は旦那様の元へ戻ると決めた。
「……今日はここまでにするわ。早く着替えてご飯の支度しなさい」
「はぁ……はぁ……」
日が沈みかけた頃。
ようやくお義母さまは竹刀を手から離し、そう言い放つ。私は体力が削られ、息切れしていた。酸素を体の中に取り入れようとするが上手く息ができない。
何度も何度も深呼吸する。
「いいこと?お前はこの八重桜家から逃げることはできないのよ。このくらいでへばっていたらこの先やっていけないわよ。さっさと華月家のことは忘れなさい」
その場でうずくまっているとお義母さまは私の顔を無理やり上げ、そう吐き捨てた。自分よりいいところに嫁いで幸せになるのは許さない。
そう言わんばかりの迫力に、何も言い返すことが出来なかった。
“華月家のことは忘れなさい”。
そう言われてしまったけど。
私の頭の中は常に旦那様のことでいっぱいで。
忘れることなんて到底できるはずも無かった……。
翌朝。
朝早い時間に起きると私はこの家にいた時と変わらない仕事をこなす。朝ごはんを作り、家の掃除をしそれが終われば舞の稽古。
これが私の日課として課された仕事だった。お義母さまとお父様に言われちゃ反抗もできるはずなく。
これ以上酷いことが起こりませんようにと祈りながら過ごしていた。
「……惨めなお義姉様ね。なんで舞を踊るだけなのにこんなにボロボロになるのかしら」
稽古の時間。今日は珍しく琴葉が稽古場に来ていた。
……と言っても最初からいた訳では無い。
お義母さまにみっちりと指導されてから数十分後に来たのだ。
その間、竹刀で体を叩かれるのだからボロボロになるのも無理はない。そのことは琴葉も知っているはずなのに。
私を見るなり軽蔑するような目で見てきた。
「ちょうど良かった。琴葉、お手本を見せてあげなさい。何度注意しても指導してもこの子の癖が直らないのよ。琴葉の綺麗な舞を見たら少しは直してくれるかしらね」
「えー。なんで私がお義姉様なんかに舞を見せなきゃいけないの。お母様が踊ったらどう?」
お義母さまの突然の提案に不貞腐れる琴葉。私も驚いて顔を上げた。まさかお義母さまが琴葉なそんなお願いをするとは思わなくて。
「私なんかもう年で踊れないわよ。1度だけでいいから……ね?」
琴葉の言葉に笑いながら答えるお義母さま。
琴葉はお義母さまの言ったことに渋々納得しスタンバイする。
私は隅で見てるように言われ、大人しく従う。
琴葉の単独の舞を見るなんていつぶりだろうか。今まで稽古をさぼっていたのだ。
どうなるかは想像がつくけど……。
「……え?」
琴葉が踊り始めた瞬間、空気がガラッと変わった。
そのことに気づき思わず息を飲む。
柔らかい空気が全体に流れ始め、琴葉は大きく腕を上げた。
指先まで洗礼され、“美しい”という言葉が似合うほど琴葉の踊りは綺麗だった。
……あんなに稽古をサボっていた琴葉がこんな踊りを見せるなんて……。
私は驚きのあまり動くことが出来なかった。お義母さまを横目に見ると満足そうに琴葉に視線を送っていた。
シャン、シャン、シャン……と鈴の音と共に美しい舞を披露する琴葉。
一通り踊り終わると息切れすることなく私を見た。
「どうだったかしら?私の舞は。これでも“縁結び”の異能が強まったのよ?お義姉様がいない間に私は成長しましたの」
呆気に取られる私をよそに自信満々に話す琴葉。
琴葉には異能がほとんど無かったはずなのに今になって開花したというのか?
「流石琴葉!私の自慢の娘だわ。今日は稽古はもう終わりにしていいわよ。自分の好きに時間を使ってちょうだい」
琴葉の舞の出来に誇らしげに話すお義母さまは本当に嬉しそうで。もう見ていることが苦痛だった。
前だったらこんなことされても何も思わなかったのに。
……なんで、今になって……。
『紗和。必ず迎えに行くからな』
2人のやり取りを見ていると、ふと頭の中に旦那様の声が流れてくる。ハッとして顔を上げるけどもちろんそこに旦那様がいるはずもない。
だけど……この声を聞いて、私は気持ちを奮い立たせた。ここで凹む訳にはいかない。旦那様に会えるまで私は私でいなくちゃ。
「それじゃあお姉様、あとはよろしく〜」
お義母さまの言葉に満足した琴葉はそそくさと稽古場を離れていく。その様子を見ながら、私はゆっくりとお義母さまの元へ歩み寄る。
「もう一度、お願いいたします」
お義母さまに向かって頭を深く下げ、稽古の続行を望んだ。自分からこんなお願いをするなんて思わなかった。
だけど……琴葉の踊りを見て、何も思わなかった訳じゃない。
旦那様の家で過ごして、踊りが訛ったのは事実だから。
後悔のないようにここで完璧にしておきたい。
「あら、やっとやる気になったのね。それじゃあ最初からやりますよ。ほら、さっさと持ち場に戻りなさい」
私の行動に驚きながらもお義母さまはニヤリと笑った。その笑顔を見ながら私は心に誓う。
……私は、もう八重桜家の言いなりにはならない。
私は腕を上げ、舞を舞った。